30話 お前は今、何か困ってるんじゃないのか?
【今回の再登場キャラ】
■ノア・ルクレール … クレール教国からの留学生で、聖王庁の司祭の位を冠する少年。レイヴンとは共通学科の成績で1・2位を争うライバル。
少し時間を遡って――。
思わずローランドの元から逃げ出してしまったレイヴン。
不甲斐なさと恥ずかしさが混ざったような気分で、夜の街を小走りで進む。
そんな情けないレイヴンに対して、頭の上に乗った精霊のメイプルがぷんぷん怒っている。
『もーバカバカ! 何で逃げ出してるんだよレイヴン! ローランドに助けを求めにいったんじゃなかったの!?』
すぐ上から容赦なく飛んでくる叱責に、思わず耳をふさぐレイヴン。
「うっ……し、仕方ないじゃん。やっぱり人に迷惑かけられないって思ったんだから」
弱々しく反論をしてみるも、その程度でメイプルは許してくれない。
『いい加減にしなよ、迷惑とか言ってる場合? 周りに気を使い過ぎるのは日本人の悪いところだからね!』
「だからメイプル、なんでアンタは日本人の文化的スクリプトまで把握してんのよ!?」
前世の知識を隠す気のないメイプルに、流石にツッコまざるを得なくなったレイヴン。
だがメイプルの方は意にも介さず、レイヴンに辛辣な説教を続ける。
『そんな事はどうでもいいから! レイヴンはその性格をなんとかしなよ! 前世じゃ心理学を学んできたんだよね? それなのに自分の心もコントロール出来ないなんて、どういう事なのさ!?』
「そ、そんなの無理に決まってるでしょ!」
心理学を学んだからといって、人の心が全て分かるわけではない。
特に自分の心というものは、波のように揺らいで零れてしまうと感じる。
「心理学を学んだくらいで心を自在にできるなら、この世の中とっくに平和になってるから! 宗教より心理学が信仰されてるから!」
ぐぬぬぬぬ……と睨み合う二人。
やがて大きくため息をつき、メイプルが先に引き下がった。
『はぁあ~……。もういい、分かったよ。レイヴンのその性格は、死んでも治らないって事だね』
「な、何よその諦めた感じ?」
『ともかく今は言い争ってる場合じゃないからね。これからどうするかを改めて考えないと』
神妙な面持ちで今後について提案するメイプルに、レイヴンも気持ちを切り替える。
「そ、それだったらちゃんと考えてるから。やっぱり教会を頼るのが一番じゃないかな? この際聖女であることを明かして保護してもらえれば、流石にお義兄さまも手出しできないでしょ」
ローランドを頼れない以上、現実的な選択肢はそれくらいしかないだろう。
『いいの? 聖女だってバレたら厄介なんじゃ?』
「厄介だよ。信者に拝み倒されたりするし」
今までもそれが嫌で、なるべく教会には近づかないようにしていた。
「でもそんな事も言ってられないじゃん」
背に腹は代えられないと覚悟を決めたレイヴンは、近くの教会へ向かうのだった。
* * *
街頭に照らされた石畳の道を抜け、王都で一番大きな教会へ辿り着いたレイヴン。
「そろそろ夜の礼拝が終わる時間だけど……まだ開いてるみたいね」
開け放たれていた扉をくぐり中に入る。
広く荘厳な礼拝堂には、先ほどまで行われていた礼拝の神聖な空気が残っていた。
祈りをささげていたのだろう人々が外へ出ていくのとは反対に、レイヴンは教会の奥へと進んでいく。
「教会へようこそ。こんな時間にどうかしたのかな?」
不意に声がかけられ、反射的に振り向くレイヴン。
声の主は神官服を着た褐色の肌に銀髪の少年。
そしてレイヴンが知っている顔だった。
「え、ノア様?」
「どうして僕の名前を……って、お前もしかしてレイヴンか?」
ノアの方も変装したレイヴンに気付く。
「ノア様がどうしてこんなところに……?」
「どうしてって……僕は聖王庁の司祭だぞ? 教会にいるのは当たり前の事だろう」
「そ、そういえば……」
考えてみれば当然の事だが、大変な状況に置かれたレイヴンの頭からはこぼれ落ちていたようだ。
「それよりレイヴン、君こそどうしてここに? というか何だその恰好は?」
「あ、いや、それは……」
言葉に詰まるレイヴンを見て、ノアの表情が曇る。
「ひょっとして、何か問題でも起こったのか?」
「えっと……」
逡巡するレイヴン。そこへメイプルが顔を出す。
『レイヴン、チャンスだよ! 助けてって言うんだ! せっかく向こうから言ってくれてるんだよ?』
ノアに助力を求めるよう、メイプルが両手を握りしめて力説する。
だが――。
(言えばノア様まで危険に晒してしまう――)
確かに教会という組織を頼りにここへ来たが、だからと言って彼個人を巻き込むのは違うのではないか。
――そう考えるとやはり助けを求められないレイヴン。
「だ、大丈夫、問題ありませんわ。ここの教会の代表の方に会いに来ただけですの」
「ここの代表? ブライド司教にか? だったら呼んできてやるよ」
そう言ってノアが奥に向かおうとした、その時だった。
「その必要はありませんよ、ノア小司祭」
穏やかな声と共に、一人の老人が現れた。
「私がブライド司教です。何か御用ですかな、お嬢さん」
そう名乗りを上げた、ノアと同じ神官服を着た、白髪に白いひげを蓄えた老人。
この人がブライド司教――レイヴンが助けを求めにきた相手だ。
ローランドやノアといった個人を巻き込むわけにはいかないが、精霊教という組織を束ねる司教であれば危険もなく助けてくれるだろうというレイヴンなりの判断だった。
レイヴンがウィッグを外す。
その下から現れたのは、聖女の証である黒髪だ。
「その髪は……聖女さま?」
「私はレイヴン・ヴァンキッシュ。司教に相談したいことがあってここに来ました」
「ふむ……何やら事情があるようですな。奥で話を聞きましょう」
ブライド司教はレイヴンを奥の部屋へ促す。
彼についていくレイヴン、と、そのとき――
「おいレイヴン、覚えてるか?」
立ち去るレイヴンの背中に向かってノアが呼びかけた。
「……?」
「お前は僕に言ったよな? 困った時は手を貸してくれって」
言われてレイヴンは思い出す。
彼女がノアから他国への亡命を勧められた時のこと。
――わたくしが困ったときは、手を貸してくださいね?
確かに彼に対してそう言っていた。
真剣な顔でノアがレイヴンに問う。
「お前は今、何か困ってるんじゃないのか?」
「それは……」
思わず気持ちが揺らぐレイヴン。だけど――
(大丈夫。彼の手を借りなくたって、ちゃんと司教様に話をすれば、きっと解決するはずだよ)
やはり何も言う事が出来ず、彼女は誤魔化すことにした。
「……いいえ、ご心配なく。ただ司教にお話があっただけですわ」




