28話 SIDE:ルシアン・ヴァンキッシュ伯爵令息(義兄)
「――遅い」
食堂で義妹を待つルシアンは、イライラした様子でテーブルの上を睨む。
目の前には豪華な料理。だがこれに手を付けるわけにはいかない。
シェフに命じてたっぷりと睡眠薬が盛らせてあるのだから。
「いったい何をやっているんだ、レイヴンは」
この料理はレイヴンのために用意したものだ。
だが「後で行く」と言ったはずなのに、彼女は一向に姿を現さない。
椅子の背もたれに体重を預け、組んだ足をゆすりながら、苛立ちが抑えられない様子のルシアン。
「本当にノロマだな、あのニセ聖女め――」
そう呟く彼の瞳には、明らかな憎しみが込もっていた。
ルシアンがどうしてそこまで義妹を――聖女を憎むようになったのか?
それを知るには、彼の過去を語らなければならない――。
――――――
――――
――
ルシアンの父親であるヴァンキッシュ伯爵。
彼はいい加減な人間で、最低の父親だった。
――ある日。
「おいルシアン! 貴様はヴァンキッシュ家の長男なんだぞ! 外で遊んでばかりいないで部屋で勉強しろ!」
そう言って怒られたルシアン。
(昨日は『部屋に籠ってないで外に出ろ』って言ってたのに……?)
言ってることが違うと悩んでいると、父の右腕である家令が彼に囁く。
「お父上は貴方に期待しておられるから、厳しい言い方になってしまうのです。旦那様はルシアンさまを愛しておられますよ」
そうか、自分は愛されているのか……と、ルシアンは自分に言い聞かせた。
――ある日。
何かトラブルがあったようで、その日の父は不機嫌だった。
「クソッ、どうして上手くいかんのだ! ――おいルシアン、何をしている? こんなところでウロチョロするな、消えろ!」
イライラをぶつけられ意気消沈するルシアンに、一緒にいたメイドが憐みの目で語って聞かせる。
「旦那様は少し機嫌が悪かっただけ。坊ちゃんはちゃんと愛されていますよ」
愛されている、本当に? ルシアンは疑問を抱き始めた。
――ある日。
ルシアンがミスを犯し、高位貴族から注意を受けた事があった。
「このバカが! 社交界の笑いものになりおって、それでも私の息子か? 今の貴様に生きてる価値などない!」
息子に対して人格否定の言葉を平気で吐く父。
見かねた教育係の先生が、のちにコッソリと配慮の言葉を語る。
「先ほどの言葉は叱咤激励です。伯爵様はあなたを愛しておられますよ」
もうやめて、愛してるなんて言わないで――ルシアンにはもう嘘だと分かっていた。
分かっているけれど、期待してしまう。だから言わないで欲しかった。
そんな環境で育ったルシアン。
苦しく辛い日常を過ごす彼にとって、教会で祈りを捧げる時間が唯一の安らぎだった。
教会には必ずある大聖女の像――。
彼女は歴史上初めて現れた聖女であり、精霊教の始祖となった偉大な女性であり、精霊と並んで最大の信仰対象だ。
伝承によると大聖女様はとても慈しみ深い人物で、精霊たちと心を通わせ様々な奇跡を起こし、多くの人々を救ったと言われている。
そんな偉大な大聖女の像に、ルシアンが熱心に祈りを捧げる理由は二つある。
一つ目は偉大で慈愛に満ちた大聖女に祈ることで、自分の苦しい気持ちも救ってもらえるのではないかという期待。
そして二つ目は、精霊教最大の教旨となっている大聖女の言葉だ。
――精霊様は見ていますよ。
精霊は万物に宿っており、何処にでも精霊はいて、人は常に精霊様に見られている。
だから精霊様に恥じない行動を取りましょう。
これが大聖女の残した教えだ。
いつも理不尽な父親に怯えて生きているルシアンにとって、その教えが救いだった。
――精霊に見られても恥じない生き方を。
何も信じられない彼にとって、聖女の教えこそが唯一の正しさであり、救いであり行動の指針となった。
懸命に祈りを捧げるのも、自分が正しくあろうとした結果だろう。
そうして生きてきたルシアンは、誰よりも敬虔な精霊教の信者となっていた。
そんな彼が10歳のときに大事件が起こる。
黒髪の赤子レイヴンが、自分の義妹になったのだ。
「ほ、本物の聖女が僕の妹に……?」
信心深い彼にとって、それは思いがけない状況であった。
信仰の対象が身近にいる幸福感――。
聖女であり義妹でもある彼女を守らなければという使命感――。
そして何より、聖女なら自分を救ってくれるかもしれないという期待感――。
レイヴンがこの家に来てから、ルシアンは様々な感情を抱き、思いやりをもって彼女に接した。
そうして月日が過ぎた結果――彼の期待は裏切られた。
大きくなった彼女は、とても聖女とは思えない成長を遂げていた。
常に無表情で感情を見せず、父親の言いなりに行動し、言われたことをロボットのようにこなす。
(な、何だこれは? これじゃまるで――)
――まるで大っ嫌いな自分を見ているようじゃないか。
そんな義妹の様子に絶望を感じるルシアン。
(こんなのは聖女じゃない――!)
それからルシアンは、レイヴンをまともに見れなくなった。
自分が敬愛する大聖女、それとはまったく違う聖女候補に、自分の信仰が壊される気がした。
だから義妹とは距離を置き、居ないものとして扱った。
彼女がどうなっていたとしても見て見ぬふりをした。
成人し儀典官として王城に務めるようになってからは、会いたくなくて屋敷に一切近寄らないようになっていた。
――義妹を見捨てるなんて自分は間違っているかもしれない。
――ひょっとしたら精霊様に恥じるような行動をしているのかもしれない。
そう怯えたりもしたルシアンだが、それ以上にレイヴンに関わるのは無理だった。
でなければ彼の心が耐えられなかったのだ。
そんなある日、ルシアンのもとに衝撃的なニュースが飛び込んできた。
義妹が【嫌がらせ】という不名誉なスキルを授かり、王太子から婚約破棄されたという。
「は……ははは……」
ルシアンの口元に乾いた笑いが浮かぶ。
もしレイヴンが本物の聖女なら、もっと素晴らしいスキルを授かってたはずだ。
もしレイヴンが本物の聖女なら、もっと王太子にも愛されていたはずだ。
もしレイヴンが本物の聖女なら、もっと――。
「何だ、やっぱりアイツは偽物だったんじゃないか」
ルシアンはそう確信する。
――自分が敬愛する大聖女とは違っていて当然だ。
――自分が義妹を嫌うのも当然の事だった。
――自分は何一つ、精霊に恥じるような事をしてはいなかったのだ。
「――っは! はははははははははっ!」
彼は激しく笑った。
自分が正しいと、心から信じられたゆえの笑いだった。
――――――
――――
――
ルシアンが様子を見に来た時にはすでに、レイヴンは自室にいなかった。
代わりに部屋は家探ししたかのように荷物が散乱しており、大量の黒髪が床に散らばり、窓は大きくあけ放たれていた。
「――クソっ! 逃げたなレイヴンめ!」
ルシアンはそう判断し、義妹を追うために部屋を出る。
今の彼に迷いはない。
偽物の聖女なと罰せられて当然だ。
それに王太子から「妹を罰せよ」と直々の命令も出ている。
だからルシアンは、自分の行動が正当だと感じていた。
――精霊様は見ていますよ。
そう言われても、精霊に恥じる行為などしていないと確信していた。
「必ず見つけて――消してやるぞニセ聖女!」




