第4話:とあるエルフの呟き。
※この話は、ゼロ年代後半当たりを時代背景とした話です。
作品解説は活動報告にあります。
私の朝は小鳥の囀りから始まる。
ゆっくりと目を覚ますと、庭に降りて夜露を残すハーブをいくつか摘み、それをお茶として一服。
今日の予定は何にしようか。
おやおや? テラスから見えるアイボリーの塀の上で、翼猫が欠伸をしている。
清らかな真っ白い翼と愛らしい顔を朝いちに拝めるなんて、きっと今日も何か良いことが起こりそうな気がする……。
ブロロロロ!
パッパァー!
キー!
ゴゴゴゴゴゴ……。
窓の外から聞こえる雑音。
懸命に現実逃避しながら筆を走らせていたものの、道を行き交うけたたましい車の音や、近所で行われている工事現場の音に耐え切れず、男はその手を止めた。
(…………)
体をわななかせ、握っていたペン先のインクをノートの端で拭ってから置くと、男は勢い良く立ち上がった。
部屋の窓を開け、叫ぶ。
「ウルサーーーーーーイ!」
叫び声に呼応して、どこかから怒号が返ってくる。
「うるさいのはお前だ、バカエルフ!」
その声に、男は少々不快そうに顔を顰めると、美しいバリトンの声で毒づいた。
「けっ……どいつもこいつも環境を何だと思っているのだ。我々が数百年見守ってきた自然が、今は見るも無残ではないか」
そう言って乱暴に窓を閉めると、作業中の原稿用紙が置かれたちゃぶ台の前、紫色の座布団に座り直した。
今、男はエルフと呼ばれた。
よく見ると、男の耳は角のように長く、身体の骨格も普通の人間とは少し違う。華奢な体付き、キメの細かい肌、整った顔立ちは男とも女ともつかない独特さがあり、表情が不機嫌そうだったとしても、その姿がそこにあるだけで宗教画に出てきそうな美しさを湛えていた。
後ろで乱暴に束ねられてはいるが、長く豊かに伸びた髪などは、まるで錦糸のような輝きを放っている。
彼の名はスレイ。
正真正銘、幻想世界の住人であるはずの『エルフ』である。
ちなみに年齢も既に数百歳を超えている。
スレイはイライラしながらキッチンに行くと、棚からカップ麺を出してお湯を沸かし始めた。
なお現在、これが日常的な朝食だ。
冒頭で語っていたような朝摘みのハーブティーなど、もう何年も飲んでいない。
お茶と言ったらパックの紅茶ばかり飲んでいる。それでも時々、金銭的に余裕がある時には自然食品店で高価な生ハーブを買ってきて、昔を懐かしみながら嗜んでいた。
スレイは四十年余り前に日本へ引っ越してきてから、ずっと東京の阿佐ヶ谷に暮らしている。
あの時は都内と言ってもずっと静かだったのに、気が付けばこのありさまだ。落ち着いて原稿もしていられない。
ここは駅の南口方面で、北口方面の方が静かだ。
喧騒が苦手なスレイとしては、いっそ引っ越したい気持ちはある。
だが、何十年も暮らしている部屋に愛着が湧いてしまってるのもあり、なかなか離れるに至らない。
個人的には棲み処を大事にするエルフの性質のせいだと感じているが、さすがに最近はうるさくてかなわない。
主に大通りを走る車両が増加したせいで、毎日日中はガラス窓を閉めていても外から嵐のようなざわめきが聞こえてきてげんなりする。
ただし、これは森の奥に住んでいたエルフ基準のため、近所の者たちにとって阿佐ヶ谷は、他より静かだと評判らしいが。
(確かに自動車は速く走る……しかしうるさい上に空気を汚す。そんな機械に頼らなくても、移動や運搬くらい馬車でも十分ではないか?)
そう、何事にも早さを求める人間達がせっかちすぎるのだ。
などとぼやきながら、スレイはすすっていたカップ麺を平らげると、雑念ですっかり作業をする気分が削げてしまったので、少し散歩に出かけることにした。
都内は何かと便利だ。
歩いて数分でスーパーや生活用品を扱う店がいくつもあるし、洒落た雑貨店も多い。
散歩に出ると必ず何か一つは買って帰ってしまう程度には誘惑の多い街だろう。
そんなことを考えながら歩いていると、謝り倒す女の子の声に気が付いて、スレイはふと歩みを止めた。
すぐ傍の喫茶店の窓越しに、ピクシーと呼ばれる虫のような羽根を持った小さな妖精が、客に頭を下げているのが見えた。
よく見ると、テーブルの上にはコーヒーのミルクが零れていた。
看板には『ピクシー喫茶』と書かれている。
(ああ。最近よく見るようになった、ピクシーに接客させて愛でる店か)
しかし中には、無許可でいかがわしいサービスまでさせている店もあるという。
ピクシーと呼ばれる種族は、主に木の精霊ドライアードの眷属で、花や木に生息している。主に春や夏などの暖かい季節に活動する種族だ。
(彼らは春は告げても、春を売るような安っぽい存在ではないのだがな)
しかし、それも過去のことだろうか。
森を追われ人の世界に流れ着いた彼らが生きるには、あのような屈辱的な境遇にも耐えなくてはならない。そう思うと、同じ妖精族として同情を禁じえなかった。
スレイは溜息を吐くと、再び歩き始める。
注意して街を観察すれば、そこここで様々な妖精族達が働いているのを見かける。
ビルの清掃員をしているブラウニー。
着ぐるみの振りをして愛想を振りまいているコボルトやホビット。
古より、聖なる宝の取り合いで因縁深い宿敵である、忌々しいドワーフも、体格や知識を活かせる場が工事現場の下働き程度しかない姿を見ると、さすがに胸に迫るものがあった。
スレイがそんな物悲しい気持ちで、規制帯を背に交通誘導をしているドワーフの男をチラ見していたら、視線が交わった瞬間地面に唾を吐いて威嚇されたため、すかさず中指を立てて返事をした。
そう、かつてなら人間が我々妖精を畏れ、敬っていたのに。
我々妖精は高い魔力や優れた身体能力を持っており、本来なら人間なんか相手にならないはずだった。
だが、その魔力の主な源は皮肉にも、自然や人間からの信仰的尊敬、好意的感情が大部分を占めているため、科学の発展で信仰が薄れ、開発で森を失うにつれて弱体化を余儀なくされた。
そうしているうちに帰属する棲み処を失い、偉大なる精霊の眷属として敬われることすらなくなった今の我々は、この世界ではただの人ならざるものに過ぎない。
それが現実だった。
(む、帰る前に北口の八百屋で一キロ百円のぶんぶくもやしが出てるか確認せねばな)
カタカタとキーボードを叩く音だけが、スレイの部屋に響いている。
散歩に出たせいか、そしてもやし一キロもゲットして、気持ちを切り替えることに成功したスレイは、現在絶賛作業中だった。
今取り組んでいるのは、妖精達と触れ合えるテーマパークの煽り文、つまりキャッチコピーと紹介文、その他諸々の書面である。
妖精族は、贔屓目などしなくても愛らしい者、見目麗しい者が多い。
そんな彼等との触れ合いを売りにした施設は、あのピクシー喫茶同様、それなりに需要がある。
最初から美しい妖精には特殊メイクもいらないし、何より人件費が安い。
企画を立ち上げる人間からしたら、濡れ手に粟も同然だろう。
(なーにが〝ゆかいな妖精たちと楽しく遊ぼう!〟だ。我々は面白くも楽しくもないぞ)
同胞が満面の笑顔で子供達と戯れている写真に、スレイは思わずチッと冷笑の舌打ちを漏らす。
皮肉にもそんな素敵でファンシーでメルヒェンな施設の紹介文を書くのであれば、勝手知ったる同族のスレイが適任だろう、ということで回ってきたのが今回の仕事だった。
ターン! と、行き場のない苛立ちを込めて強めにエンターキーを叩く。
……パソコン。
旧世界の存在というイメージが強い妖精族のスレイが使いこなしているのは、一見不思議に見えるかもしれないが、実はそんなことはない。
長寿ゆえに、その始まりから存在を知っている。
ノイマン……あれは人間の振りをして科学者になった、ハンガリー王国(現在は王国じゃないです)付近に住む、ボソルカーニとかいう魔女の一族の男だったと記憶している。
彼は好奇心で人里に下りて、最初は様々な発明を披露して楽しんでいたみたいだが、人里に馴染み過ぎた結果、魔力回復が間に合わずに力の枯渇で死んでしまった。
ノイマン式パソコンが発表された頃、スレイはアメリカに住んでいたので、彼の活躍を昨日のように覚えている。
詩人でもあるスレイは、新たな表現ツールとしてパソコンが実用段階になった時からそれに注目し、触れ合ってきた。だから仕事で使うことにも、特に問題はなかった。
(あの足し算と掛け算をする程度だった巨大な物体が、随分小さくなったものだ)
アメリカで見かけた時はまるで建物みたいな大きさだったのが、今では、ちゃぶ台の半分も必要としないノートパソコンが当たり前になっており、まるで魔法のようだと思った。
日常的にパソコンを使いこなす、そんな先進的妖精族のスレイだが、長寿ゆえに、仕事以外では使い慣れた昔ながらの小物を使うことも多い。
万年筆はおろか鉛筆などなかった時代は削った木や鳥の羽をペンにして使っていた名残もあってか、たまにコンビニで貰う割り箸を削ったり、時々部屋を訪れる鳥にお願いして翼から加工用の羽を分けてもらったりしている。
(使う羽根は、カラスやワシのような大型の鳥が望ましい)
生きるためとはいえ長時間パソコン作業していると、ふと画面を閉じて手書きで作業がしたくなるが、あとで入力するのが手間なので、そのまま作業を続ける。
スレイは二度手間が嫌いなタイプだった。
それにしても、ボールペンや鉛筆も便利だが、自分で手作りした羽ペンとインクで詩を書き綴っていると、何とも癒される。
最近はストレスが溜まっているせいか、気が付くと皮肉を込めたリメリックを書き散らした紙で部屋を埋めてしまうのが小さな悩みだ。
文明の発展で、紙が安価で手に入るようになったせいか、ついついやりすぎてしまう。
ちなみにリメリックとは、英語圏の五行滑稽詩で、イングランドではエドワード・リアという作家が有名だ。
日本で例えるなら俳句に近い存在かもしれない。でも題材の俗っぽさは都都逸のようでもあると言えよう。
大衆的なリメリックはかなり下品な内容が多いが、スレイは文学寄りの人間なのであまり下世話な内容は好まない。
スレイは自分が書いた詩をまとめて残してあり、そのうち気に入った詩を羊皮紙にまとめたいと考えているが、その羊皮紙が最近は入手困難だ。
紙といえば、スレイは日本の藁半紙が好きだ。
羊皮紙よりもろく、インク滲みをするので使いづらくはあるのだが、何とも言えない懐かしい風合いが好ましい。
文字を書くには向かないが、絵のスケッチに使うと絵に味が出るような気がして好きなのだ。
日本に来たばかりの頃からしばらくは当たり前に使われていた藁半紙だが、最近世間では利便性の向上した真っ白いコピー紙がそれに取って代わり、専門店以外では古道具屋の隅で埃を被っているのを見る程度なので、見つけたらまとめ買いするようにしている。
「こんなものか」
大体の文を書き終えて、スレイは一息吐いた。
この手のテーマパークで雇われる妖精は、当然人気のある種族ばかりだ。書くことは大体一緒なので、すっかり手慣れてしまった。
再び、輝く笑顔を振りまく同胞たるエルフの写真を引きで眺める。
我らは大体、ピクシーと並ぶ花形扱いだ。
そうやって持てはやすのなら、もう少し敬意ある待遇を彼らに与えて欲しいものだ。
ちなみにこのテーマパークには、地域でも指折りに入るであろう幻獣園もある。
本来ならスレイ達と同等か、それより高等で神聖な存在とされていた聖獣が、まるで普通の動物のように飼育されている。
(ユニコーンやドラゴンなど、我々でさえ敬意を払い接していたのに、彼等はよく人間共の見世物などになる気になったものだ)
関与していないスレイとしては、彼らとは一体どういう交渉をしたのか気になるところだが、きっとノイマンみたいな合理的な高等妖精を仲介にして説得したのだろう。
魔力をあまり持たない人間は瘴気に弱く、精神が脆弱で、オーラがすぐ汚れるせいで聖獣たちに嫌われがちで、よほど清い人間か賢い人間でないと相手にされない。
だが、穢れを寄せ付けない魔力の強い一族や、そもそもが清い存在である妖精として、スレイ達エルフは彼等に比較的容易に接触できるため、交渉次第では人間に協力するケース少なくなかった。
あとは、パークの主な客が子供なのも懐柔要因なのだろう。いつの時代も子供は無邪気で清いものだ。彼等も邪険にはしにくいだろうし、相手をするのはやぶさかではないのかもしれない。
「その分、無礼であることも多いが……」
公園のベンチに座っていると、スレイの長い耳が気になるのか、幼子たちにたかられてもみくちゃにされてしまったりもするが。
……物事の正誤は、これから学べばいいことだろう。
環境の変化で妖精が力を失う一方で、人間と妖精族が交わるようになったことで、社会的に良い面も生まれているのも事実だ。
住処を追われた妖精族はなかなか苦労しているが、妖精族が持つ知識や矜持は、人間にとって魅力的で、感化される面もあるらしい。
妖精族が多く住む地域は犯罪率が低い、という統計が出ているのは、スレイとしても興味深かった。
もちろん、食い扶持に困った妖精が犯罪を犯すこともあるが、人間の犯罪に比べたらごく少数だろう。
基本的に誇り高い妖精達は、種族の壁を越えて困っているものを助け、寛大な心で知識を分け与える器量を持っている。
妖精と親しくしている者は自然と優しくなるし、非行をしている子供が心を改めた例も耳にする。
(そういえば、セラピスト職への妖精の登用も増えているらしいと最近ニュースになっていたな。人を導くことを諦めないのは良いことだ)
妖精族は社会的マイノリティとはいえ、魔力や優れた身体能力を有している。
争い事に遭遇した時は率先して解決しようと試みるし、実際、人間の犯罪者の一人や二人くらいならねじ伏せるのも容易だ。
そう、本来人間は、妖精族の敵ではない……はずなのだ。
(そのせいか、本当に弱い、身体の小さい妖精達は逆に食い物にされることが多いのが悲しい)
魔力供給がまともにできないこの世界で我らは、このまま多数派の人間に良いように使われるしかないのだろうか。
そもそも小さい妖精は、元々群れで行動するはずなのに、その群れを作って棲める環境がない。
あの喫茶店のピクシー達も、そういった者たちの集まりなのだろう。
ふと、平身低頭で人間に謝っていたピクシーを思い出した。
帰宅してからそんなに時間はたっていないが、どうもあのピクシーの少女が気になる。
気になってしょうがない。
「はあ、様子くらいは見に行くか」
スレイは一度何かが気になると、区切りをつけるまで無視できない性質だった。
モヤモヤした気持ちを解消すべく、スレイはあのピクシー喫茶に行ってみることにした。
ピクシー喫茶は、人間のメイド喫茶みたいなものだ。
愛らしくもか弱い小さな身体が飛び回って身の回りの世話をするのが人間に受けているようで、メイド喫茶に並ぶ勢いで最近増えている。
それだけいたら人間に対抗できる規模になっても良いはずなのだが、ピクシーはそもそも種類が多い。
花や草、樹木の化身であるピクシーは植物の種類だけ存在していると言っても過言ではない。
数が多い割に協調性がないため、街中では同じピクシーが二体以上、一ヶ所に集うことはあまりない。母体である花畑が失われた現在、新たに生まれるより消える方が多いせいもあるのだろう。
今でも人の目を避けて、群れで昔ながらの生活を保つことができているピクシーがどれほどいるのだろうか。
そんなことを考えながらスレイが店の入口をくぐると、来客を知らせる電子ベルと同時に、店員のピクシーが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませー。お一人様ですか? あっ、エルフの方……このお店で見かけるのは珍しいですー」
出迎えてくれたのは、ちょうどあの日見かけたピクシーの少女だった。
運よくシフトが合ったらしい。
しかし少女と言っても、妖精族なので見た目通りの年齢ではないだろう。
特にピクシーは、エルフ以上に一生を通して見た目が変わらない場合が多い。
「まあな。確かに普通なら入らないが、種は違えど同じ妖精族として応援したくなって来た」
スレイがそう言うと、ピクシー少女は一瞬キョトンとしてから、泣きそうな表情になる。
だが、泣かないように堪えたようだ。
「……ありがとうございます」
妖精族がこの手の店に客として入ることは本当に少ない。
人間と同じ目線で別種の妖精を愛でることも少ないし、妖精同士の関係は人間に比べてもっとドライだ。
種族間で仲が悪い場合を除けば、基本的に妖精の存在に上も下もないというのが通常認識なので、店屋の概念も人間とは違うからだ。
それでも今日、スレイはこの店にやってきた。
そういった意味でも、同胞の来店に対し、ピクシー少女が受け取る意味合いは重い。
こうしてスレイが声をかけただけでも、彼女が泣きそうになってしまうくらいに。
「席は、どこに座れば良い?」
「こちらへどうぞ」
涙を堪えたピクシー少女は、フワフワ飛びながらスレイを案内する。
通されたのは日当たりの良い窓際の席だった。
近くには観葉植物も置いてあり、きっと彼女なりに、少しでもエルフであるスレイの好みに近い場所を選んでくれたのだろう。
しかし、スレイは一考する。
「ふむ。悪くない席だが、今日はあちらの店奥に座っても良いか?」
そう言ってスレイは、店の奥にあるトイレ横の物陰に囲まれた席を指差した。
観葉植物と仕切りに囲まれたその席は、人間の客が妙な期待をして選びたがる場所でもある。
「えっ、構いませんが、あそこはその……よろしいのですか?」
ピクシー少女が動揺した様子で確認する。
「構わない。エルフとしても、今回はあまり目立つ席はよしておきたい」
「本当にあそこでよろしいのですか?」
妙に赤い顔の彼女に念入りに確認されるが、構わないものは構わないのでスレイは頷いた。
「か、かしこまりました」
何故か顔の赤いピクシー少女の様子を怪訝に思いつつ、スレイは席に案内されて座る。
そしてピクシー少女に問う。
「ああ、そうそう……早速だが、この店は指名とかするような店なのか?」
その質問に、彼女の小さな肩がピクリと跳ねた気がした。
それでも、何事もなかったかのように答える。
「はい、気になる店員がおりましたら、指名して雑談することが可能です」
「では、君を指名しよう。良いか?」
「へ? ええ……もちろん歓迎いたします。では店長に報告に行ってからお伺いしますね」
「よろしく頼む」
ピクシー少女はまさか自分が指名されるとは思っていなかったらしく、驚いた顔をする。
(そういえば、彼女のことは一方的に私が見かけただけで、彼女からしたら私とは初対面だったな)
急な指名に戸惑いつつも席を離れていくピクシー少女の背中を、スレイは見送る。
「お待たせしました」
少女は間もなくスレイの元に戻ってくると、改めて恭しく挨拶をする。
(確かに我々はピクシーよりも高等な妖精ではあるが、同胞から人間式の作法でもてなされるのは不思議な気分であるな)
しかしこれがこの店でのマニュアルなのだろう。
「それではよろしくお願いいたします、ご主人様」
『い、いや……そういうのは別に求めていない。ここからは妖精共通言語で話をしよう。堅苦しい人間の丁寧語など、私には必要ない』
「!!」
人間には分からない発音の言語でそう語りかけると、ピクシー少女は驚いた顔をした。
それから人目を確認し、小さく微笑む。
『……この言語をバックヤード以外で、店内で使うことになるとは思いませんでした。お気遣いありがとうございます』
『先日、お前が粗相をして人間に平身低頭している姿を見かけて、それから気になってしまってな。本来ならお前が飛び回るのは、こんな石造りの街ではなく、花が咲き乱れる野原や森のはず……お互い苦労するな。お前の出身はどこだ?』
『北欧の静かな湖の畔だったわ。でも今は人間の避暑地になってる……』
今は亡き故郷に思いを馳せたのか、少女の顔に影が差す。
『ああ、やはりお前の住処もか。私の住んでいた森ももうない。ところで、名前を聞いていなかったな。名は何という』
『リネアよ』
『リネアの花のピクシーか』
『ええ、まあ。私達の場合は基本的に名前がないから、ここではそう名乗ってるの……この街には同じピクシーはあんまりいないから』
たしかに、リネアの花自体が日本ではマイナーな存在だ。
『数だけはたくさんいるピクシーとはいえ、こんな極東の国で本当の同族に出会うのはほとんどないだろう。納得だ』
スレイは、ふとフワフワ飛ぶ彼女の背中に指を添えて自分の方に引き寄せる。
するとリネアは、顔を真っ赤にしながらスレイを見上げた。
『もうちょっと席の中の方に入ってきたらどうだ? 飛びながら妖精語を喋っていると目立つかもしれない』
『あ、ああ! そうね』
リネアはチラリと周囲を見回すと、慌てたように飛ぶのを止め、スレイの前に腰を下ろした。
『お疲れ様』
労うと、リネアは花のような笑みで応えた。
『ええ、本当に疲れるわー。人間達の要求で接客中はずっと飛び続けていなくちゃいけないから、貴方が来てくれて本当に嬉しいわ。それに人間語も飽き飽き!』
そう言って、リネアは背伸びをする。
そんな彼女の姿に、スレイはふっと微笑む。
『全く、飽きっぽいピクシーがよくやってると思う。しかし、ピクシーの体格で出来る仕事は限られているから仕方ないと言えば仕方ない』
『ええ。特に最近はIT化が進んで、メッセンジャーの仕事の需要も減っちゃったから、鑑賞されるような仕事ばっかりよ。貴方は何をしてるの?』
『幸い、形は変わったが、エルフの頃からやっている吟遊詩人と画家で糊口を凌いでいる。仕事を貰うのに人間共に頭を下げなくてはいけないのは私も一緒だが。全く嫌な時代になった』
スレイも溜息を吐いて腕を組む。
そんなスレイに、リネアは何か物言いたげに首を揺らしている。
だが、スレイにはよく分からなかったので、それには触れなかった。
『そうねー。故郷にいた頃が懐かしい……私達の方がずっと長く生きてるのに……最近の人間ときたら全然敬ってくれないんだから。まるで子供よ。でも子供のように清らかでもないし! ……それにしても、エルフですら人間に頭を下げて仕事を貰わないといけないなんて、本当……嫌になるわ……』
『『はぁーー……』』
世知辛さに思わず、二人で盛大に溜息を吐いた。
それから打ち解けた会話を十五分ほど続けていたが、不意にリネアに声がかかった。
「リネアさーん、九番の席からご指名です」
『あっ、呼ばれちゃった。店のルールであまり長時間同じ席にいられないから、行ってくるわね』
『そうか。ではまだオーダーをしていなかったので、ジュースでも一杯飲んでから私は帰る』
『あら、注文したら滞在時間が伸ばせるわね。一旦は別卓に行かなきゃだけど』
そう言ってリネアは意味ありげな眼差しをスレイに送る。
『そうなのか? でもまあ、大丈夫だぞ。今は呼ばれているみたいだから、行ってもらって構わない』
『そう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね? うーん、また来たらよろしくね♪ 最近落ち込んでたから、少し気が晴れたわ。ありがとう……』
リネアは「また来てね」と言おうとしたようだった。
だが、妖精族がこの手の店にあまり来ないことを思い出したらしく、言葉を飲み込み、忙しそうに飛び去っていった。
スレイはその背中を見送ってから後悔する。
(ううむ。また来ると言いそびれた……まあ、普通にまた来れば良いか)
あちらも何か言いたげだったが、よく分からないのですぐ気にならなくなった。
そしてスレイはマンゴージュースを注文して飲み干すと、特に彼女を呼び戻すこともなく、会計して店を出た。
会計はスレイが思っていたより高く、レシートを見ながら、下手にまた来ると言わなくて良かったと思い直した。
だが、次に来ないとは言っていない。
「指名料……。そもそもドリンクだけでこの値段か……」
レシートを丁寧に折りたたみ、スレイは小さく唸る。
(もし次に来るなら、原稿料が入ってからだな)
そう自分に言い訳しながら、彼は阿佐ヶ谷の商店街の雑踏へと消えていった。
【了】




