11話 重すぎる愛とロマンスはまだ匂わない
「ついに来ましたわ」
「ついに来たんですね」
エレシャの言葉に生唾をごくりと飲み込む唯奈。
「それで、そこにロマンスは芽生えそうですか?」
「そこにロマンスは……って何をおっしゃいますの。 そんなことあってたまるものですか。 私は今の生活を気に入ってるのよ」
「(ですよね〜 )」
今夜の和カフェ まおりではエレシャ、ナディル、ティアの近況報告会がもう始まっていた。
「……それで、そのセルヴェル王子。 どんな風に現れたんですか?」
唯奈が身を乗り出して尋ねると、エレシャは忌々しそうにレモン琥珀糖を噛み砕いた。
「それが……公務で我が国を訪れているついでに『学術調査のために我が領の歴史ある図書館に寄りたい』とおっしゃいまして……拒否する正当な理由がございませんでしたのよ」
エレシャは深いため息をつき、その時の様子を思い出すように目を伏せる。
「私、領主代行として案内役を務めましたわ。 図書館の静謐な空気の中、資料を整理する私の手元の美しさを彼は一時間も語り続けましたの。 もううんざりですわ」
さらに最悪なのは、以前から図書館の執務室に居座っていたあの文官が当然のように「案内補助」として現れたことだという。
「文官が王子の間に割り込み『殿下、失礼……エレシャ様、図書館の冷気は体に障ります。 重い資料の整理などこの私が代わりましょう。 殿下も、彼女を疲れさせては本意ではないでしょう?』と、私から本を奪い取り……そこからはどちらが私の知識を理解しているかという実戦とは無縁な『知識マウント』の応酬ですわ……私、図書館で一番欲しかったのは『静寂』でしたのに!」
「(うわぁ……文官さん、手伝うフリして完全に王子をブロックしてる。『彼女のため』って言いながら実際は自分がエレシャ様の隣にいたいだけだよね。 インテリ同士の静かな火花が一番お掃除の邪魔になってる気がする……エレシャ様、本当にお疲れ様です……)」
「……その程度の火花で済んでいるなら、まだ羨ましいものだ」
レモン琥珀糖を一つつまんで見つめたまま、ナディルが低く重い声を漏らした。
「私の方はもはや演習場が『演習』の体をなしていない。 魔物と戦う前のウォーミングアップで味方同士が血気盛んになりすぎて困っている」
ナディルが語る回想シーンは、さらに物理的なカオスに満ちていた。
「昨日の模擬戦だ。 私が新入りの剣筋を正そうとほんの一歩、彼に歩み寄っただけなのだ……それなのに」
副団長が血相を変えて二人の間に割り込み「団長! そのようなひよっ子に近づいては不意の失礼があるかもしれません! 後の指導はこの私に!」と新入りを突き飛ばしたという。
「負けじと新入りも『副団長こそ、団長の貴重な休息時間を奪うべきではありません! 団長、私の後ろへ! 私が必ずや貴女にふさわしい騎士になってみせます!』と、私を背中に隠して副団長と睨み合いを始めてな……」
ナディルは額を押さえ、深いため息をついた。
「……あの妹想いの新入り、私より年下なんだが……私を一体何だと思っているのだ。 私は彼に守られるほどひ弱に見えるのか?」
「(あ、妹想いの新入りさんはナディル様より年下なんだ……年下なのにナディル様をお姫様扱いしようとしてるなんてなかなかの強心臓。 これからは心の中で『妹想いの新入り君』と呼ぼう。 副団長さんは尊敬が独占欲に化けちゃってる感じがする……こじらせなきゃいいけど)」
「……二人共、守ってくれる人がいるなんて贅沢だわ。 私なんてお店そのものがなくなっちゃいそうなの」
二人の深刻な報告を聞いていたティアが、抹茶ラテを見つめて声を上げた。
「昨日なんて、お店の前に馬車が二台同時に止まったのよ。 一方は公爵様、もう一方は騎士団長様。 二人共お店に入るなり、挨拶もそこそこに新作のタルトを指差してこう言ったの。『この店の菓子はすべて私が買い取る。 一欠片も他人に渡すつもりはない』と公爵様が尊大に言い放てば……『公爵、貴殿の身勝手で民の楽しみを奪うことは許されん。 ここは私が守護し、公平に分配しよう』と騎士団長様が剣の柄に手をかけて……。 私の目標はみんなを笑顔にすることなのに! 公爵様は『私一人が味わえばいい』って独占しようとするし、騎士団長様は公爵様に対抗してお店の前で兵士を並べて警備を始めちゃうし……おかげで普通のお客さんが怖がって、一人も入ってこれないのよ!」
ティアは半泣きで抹茶ラテを一口飲んだ。
「挙句の果てに二人で『どちらがこの店のパトロンにふさわしいか』って、店先で決闘の準備を始めちゃって……お願いだからお菓子のために命を懸けないでほしわ!」
「(……ティア様のところはもはや『推し活』が過激すぎて営業妨害のレベルだ……公爵様は『独占欲』の塊だし、騎士団長様は『正義感』を免罪符にしてティア様を囲い込もうとしてる。 本来は素敵な殿方たちのはずなのに、聖女様っていうターゲットを失った『愛のエネルギー』が全部お三方に集中して完全にバグっちゃってるんだ。 命に別状はないけど……これ、別の意味で前より過酷なルートに突入してない!?)」
唯奈はここで、前から気になっていたことをティアに聞いてみることにした。
「ティア様、実のところ……本命は騎士団長様だったりします?」
「……っ!? ぶ、ぶぶぶ、本命だなんて! 唯奈さん、いきなり何を!」
唯奈の突然のぶっこみ質問にティアは思いきり咽せて抹茶ラテをこぼしそうになりながら慌てふためいた。
「私……その、騎士団長様は昔から、困った時に必ず助けてくれる『物語の騎士様』みたいな憧れの人で……でも、それは遠くから見ているだけで十分というか、そういう尊い対象であって、恋とか、そんな恐れ多いこと……!」
「(……あ、これは『推し』が近すぎてパニックになってるパターンだ。 否定してないどころかめちゃくちゃ意識してるじゃないですか!)」
唯奈が心の中でニヤリと笑う横で、エレシャが優雅に扇子を動かした。
「あら、良いのではなくて? その騎士団長、少し独占欲が強すぎるきらいはありますけれど身元も腕も確かですわ。 ティアを一生甘やかし倒してくださるでしょうね」
「ああ、私も悪くないと思うぞ。 その男なら公爵と剣を交えてもティアを傷つけるような不覚は取らん。 背中を預けるには十分な実力者だ」
ナディルが真面目な顔で太鼓判を押すと、ティアはさらに「ひゃぅっ」と変な声を上げた。
「もうっ! 二人までそんなこと言って! 私、それどころじゃないんだから! 明日からどうやってお店の前で睨み合ってる二人を追い返せばいいかって話でしょ!?」
顔を湯気が出るほど熱くしてぷりぷりと怒るティアに、店内は温かな笑い声に包まれた。
「……ま、とりあえず、愛が重すぎて実害が出ているのは確かだな」結城がぼそりと呟いた。
「みなさんが幸せになれるのを見届けたいですけど、その前にまずは『静寂』と『演習』と『営業』を取り戻さないとですね。 リニューアル版のバグに負けないでください!」
唯奈のエールに令嬢たちは顔を見合わせてふっと表情を和らげた。
「ええ、もちろんですわ。 私のスローライフをあのような暴走する殿方たちに邪魔させてたまるものですか」
エレシャが誇り高く胸を張れば、ナディルも不敵に口角を上げた。
「ああ。 たとえバグだろうとまとめて叩き伏せてみせる。 ただし、あまりに包囲網がキツくなったらまたここに逃げ込ませてもらうがな」
「私も! 唯奈さんの顔を見て美味しいものを食べたら、明日もお店に立って笑顔を配れそうな気がするわ!」
三人は抹茶ラテを飲むと、ふぅと息を吐きすっきりとした面持ちになった。
「ふふっ。 こうしてなんでも話し合える仲間がいるって本当にありがたいわよね」
ティアのその言葉に、エレシャもナディルも、そして唯奈も心から深く頷いた。
存分に話した三人が進んでレモン琥珀糖に手を伸ばす。
「このシャリシャリ甘酸っぱい琥珀糖に優しくてクリーミーな抹茶ラテが合いますわ」
「……ああ。 少なくともここには静寂がある」
「ふふっ。 明日も頑張れそう」
三人の穏やかな声が夜の店内に溶けていく。
「(……いや、明日も絶対大変だよね)」
唯奈はそっと苦笑しながらも心の中で「頑張れ!」と応援した。
――お休み処の夜はまだまだ騒がしくなりそうだった。




