(8)虚数使命
普段は重機の稼働音が響く広大な工場は、今だけは静寂に包まれている。唯一聞こえるのはプロジェクターの駆動音だけだ。
「これを観ているということは…きっと私はもういないのでしょう。」
工場の壁に映し出されたのは、ルナの母親と思われる女性だった。ルナやエリックさんの話を聞く限り、彼女はルミナスフローラを設計した天才エンジニアで、月の労働環境を良くしようと尽力した人らしい。そんなすごい人が、今は目の前にいるみたいに感じる。
声は温かく、それでいて切ない響きを帯びていた。俺はふと隣のルナに目をやる。彼女は映像から目を離さず、ただじっと見つめている。その表情はいつも冷静な彼女の面影を消し去り、まるで幼い子供のように見えた。映像の中の母親が彼女を見つめ返しているような錯覚さえ覚える。
「ルミナスフローラにリミッターをかけたのは、力を制御する責任が必要だと考えたからです。でも、あなたがリミッターを解除したということは、覚悟を持ったということなのね。」
その言葉に、ルナの肩が小さく震える。戦場であれほど冷静に振る舞っていた彼女が、今はただ一人の少女に見えた。
映像は続く。「ムーンギアの発展は、月のルナリウム採掘だけを目的としていません。その真の目的は…虚数次元に到達し、掌握すること――。」
虚数次元。その言葉が脳内を駆け巡る。全国大会でルミナスフローラがリミッターを解除した時、空間が波打つような現象が起きたのを思い出す。あの時、解説者が「虚数次元に干渉している可能性がある」と言っていたのはこれのことだったのか。
「理論上、虚数次元に到達すれば新たなエネルギーが得られるでしょう。それは、これまでのルナリウム採掘や人類の発展を超越する成果をもたらすものです。ですが、その制御を誤れば……月そのものが崩壊する危険もあります。」
月が崩壊する――?そんな途方もない話が現実になり得るのか?でも、ルナの母親が語る言葉には、不思議と重みがあった。俺の背中を冷たい汗が這い上がる。
「また、たとえ制御が成功したとしても、ルナリウム採掘による社会の歪みがさらに深刻化するでしょう。私が目指してきた、誰もが平等に恩恵を受けられる世界は、きっと崩れ去ってしまう。」
映像の女性は、静かに、それでも力強く続ける。「ルナ、もしこのメッセージを受け取っているなら…お願いです、あの人を止めてください。母の願いを託します。そして、あなたのそばに仲間がいるなら――どうか共に。」
その声がフェードアウトすると同時に、工場内の光が消え、再び静寂が戻った。ルナは小さな声で「お母様…」と呟いた。その声には、迷いと決意がない交ぜになっていて、俺の胸が締め付けられる。
エリックさんが静かに口を開いた。「ルナ様、これは──使命です。」
その言葉に、ルナは拳をぎゅっと握りしめた。「…使命。」
彼女の震える声が工場内に響く。次の瞬間、その目に再び鋭い光が宿る。その目を見た瞬間、俺は悟った。この先の戦いは、俺たちがこれまで相手にしてきたものをはるかに超える――そんな途方もないものになると。
でも、だからといって恐れるわけにはいかない。
「そうだよ、ルナ。」俺は肩越しに声をかけた。「俺たちは仲間だ。どんなことだって、みんなでやれる。」
ルナが微かに頷き、小さな笑みを浮かべた。青白い光の中、その笑みがどこか眩しく感じた。
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