(9)雪夜決意
冷たい風が雪とともに吹き抜け、湯気の中へと溶けて消えていく。屋上にある露天風呂は、白銀の世界と夜空に包まれた特別な空間だった。背後には雪をまとった連峰が連なり、湯面に落ちる雪片が柔らかな波紋を描いては消えていく。
「はぁ~、これぞ至福ってやつだね!」
アヤカは湯船の縁に腕をかけ、満面の笑みで息を吐いた。湯の熱が全身をほぐし、時折頬をかすめる雪の冷たさが心地よい。
その隣で、ルナは湯に静かに身を沈めながら、舞い降りる雪を見上げていた。
「月では…こんな風景、見たことがありませんでした。」
指先をそっと湯の表面に滑らせ、揺れる湯気を眺める。その横顔には、どこか幻想を見ているような柔らかい表情が浮かんでいた。
「でしょ? これが日本の冬の醍醐味! 温泉と雪、この組み合わせ、最強じゃない?」
アヤカは湯を手で軽くすくい、楽しげに笑う。
「こんな贅沢、月じゃ絶対味わえないでしょ!」
「そうですね。」
ルナは小さく頷き、アヤカの明るい笑顔につられるように、そっと微笑みを返した。
ふとアヤカが湯船の縁に寄りかかり、真剣な表情で口を開いた。
「ねえ、ルナちゃん。」
「はい?」
ルナが振り返ると、アヤカの瞳にはほんの少しの真剣さが宿っていた。
「お兄さんに会ったら、どうするつもり?」
その言葉に、ルナの表情が一瞬で硬くなる。肩がわずかに震え、視線は湯面へと落ちた。静かに降り積もる雪の音だけが、静寂の中に響いている。
「…正直に言うと、まだ分かりません。」
ルナの声は小さいが、確かに響いていた。
「兄は私にとって、ずっと憧れの存在でした。完璧で、父の期待にも応えていて…。私が出場しているから日本の大会に来たのは分かるんです。でも、何を考えているのか、それが全く分からなくて…。」
アヤカはじっと話を聞きながら、湯船に腕をかけ、ふっと息をついた。
「直接聞いてみればいいじゃん。」
軽い調子の一言だったが、その声には不思議と安心感が込められていた。
ルナは手のひらに落ちた雪の結晶をじっと見つめる。
「…そうですね。でも、もし兄が私に失望していたら? 何かを責められるとしたら…と思うと、怖いです。」
アヤカは数秒考えたあと、にやりと笑みを浮かべた。
「怖がるのは別にいいよ。でもさ、ここまで来て逃げるとか、絶対ナシだからね。」
片目をつむり、挑発するような口調ながら、その言葉には確かな温かさがあった。
「大丈夫、私とリュウトがいるんだから! 兄ちゃんが何か言ってきたら、私が一発ガツンと説教してやるから!」
その言葉に、ルナの硬かった表情が少し緩む。頬に淡い笑みが浮かんだ。
「ふふっ、アヤカさんらしいですね。本当に…ありがとうございます。」
アヤカは湯の中で軽く伸びをし、再びリラックスした表情に戻ると、湯船の縁をぽんっと叩いた。
「よーし、明日からは動作テストだね! お兄さんとの対決も気になるけど、まずは自分たちの機体を完璧に仕上げるのが先でしょ!」
ルナも肩の力を抜き、降り積もる雪を感じながら頷く。
「はい。全力で準備します。」
静かに舞う雪と湯気が一つになる中、二人の声だけが柔らかく響いていた。心の奥にあった不安が、湯のぬくもりとともに少しずつ溶けていくようだった。
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