(16)月影守護
決勝戦が終わり、夜の帳がすっかり降りた頃。俺たちは大会主催者が手配してくれた海沿いのホテルへ向かっていた。全身が悲鳴を上げるほど疲れ切っている。今日は休める、そう思っていた――夜風が、その甘い考えを吹き飛ばすまでは。
ホテルのエントランスに差しかかると、妙に目を引く男が立っていた。銀色の重厚なアタッシュケースを片手に持ち、黒い外套で全身を包み、街灯の明かりすら拒絶するような存在感を放っている。
「なんだ、あいつ…?」
思わず足が止まった。フードが深く被さり、その顔はほとんど見えない。まるで影そのものが立ち上がったかのような、不気味な佇まいだ。
アヤカが俺に近づき、小声で囁く。
「リュウト、あれ絶対ヤバいやつでしょ…。負けた腹いせで絡んできたとか、そういうのだったら最悪じゃない?」
ルナは少し後ろに下がり、不安そうに男を見つめた。
「もしかして…ムーンギア技術を狙う連中?」
その言葉に背筋がゾクッとした。ルナヴァルド社を巡る争い、月面技術への強奪計画――そんな噂は聞いたことがある。でも、まさかこんなところでそれに巻き込まれるとは。
「俺が行く。」
気づけばそう口にしていた。誰かが動かなきゃ、この状況は変わらない。なら、俺が行くしかない。
「ちょっと、リュウト!」
アヤカが焦った声を上げるが、俺は振り返らずに言った。
「お前らは下がっててくれ。何とかする。」
砂利道を踏みしめる音がやけに大きく響く。冷たい夜風が肌を刺す。ホテルのエントランスまでの数メートルが、果てしなく遠く感じる。
「おい、お前…何者だ?」
声が震えないように、必死だった。
男はゆっくりと顔を上げ、フードを静かに下ろした。現れたのは、深い皺の刻まれた年配の男。鋭い目が俺を見据える――いや、違う。その視線は、俺を通り越してルナを捉えている。
「ルナ様…大きくなられましたね。」
低く静かな声が、夜の冷気に溶けるように響く。
ルナの顔が青ざめる。彼女は目を見開き、手に持っていた書類を落としそうになりながら、震える声で問いかけた。
「あなた…誰ですか?」
男は深く息をつき、ゆっくりと語り始めた。
「ルナ様、貴女のお母様――レイラ様は、月の未来を信じ、そのために尽力された方でした。ルナリウムをすべての人へ解放し、新たな可能性をもたらすことを夢見ていました。そして私は、その志を共に歩んだ者の一人です。」
ルナの肩が小さく震える。男の言葉には、深い後悔と苦悩が滲んでいた。
「しかし、その理想がすべての人に受け入れられたわけではありません。権力者たちは彼女の思想を危険視し、遠ざけようとした。そしてあの『事故』が起こった……だが、私はそれが単なる事故だったとは、今も思えない。」
「…どういうことだよ。」
胸騒ぎが収まらない。俺は思わず問いかける。
男は視線を落とし、低く続ける。
「私は彼女を守ることができなかった。それが今も私を縛り続けています。だから、こうしてここに来たのです。ルナ様と共に、戦うために。」
その言葉には、ただの後悔ではなく、強い決意が宿っていた。ルナの視線が鋭くなる。その静かな対峙の中で、俺はこの男を簡単には信用できないと思いながらも、その真剣さに飲み込まれそうになっていた。
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