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囚われの聖女は自分の足で歩きたい  作者: 春海さくら


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9/11

09. あなたが世界に触れる日




ずっと見上げていた扉をくぐった時には足が震えた。


 とん、とんと王子様に手を引かれながらゆっくりと階段を降りていく。

 初めて降りる階段は途方もなく先が見えなくて、こわい。

 すぐに息が切れてきた。当然だ、あの狭い部屋でしか生活していなかったのだから。



「⋯⋯大丈夫か」



 彼が振り返って私にそう尋ねた。

 うん、とやっとこさ頷くと、王子様は思案げに私を見下ろしてから、「辛いだろうがもう少しの辛抱だ」と私を励ます。

 大丈夫。我慢することには慣れている。


 とん、とん。無限にも思える階段を降りていく。



「っ!」



 ふいに王子様が息を飲んだ音。

 一瞬私の手を強く握り、立ち止まって緊迫した雰囲気を漂わせる。

 一体なに。緊張した私もふと気が付く。

 

 とん、とん、とん。下の方から足音がする。

 私たちの他に、この塔に誰かいる。

 どうしよう。こちらに上ってくる!



「おうじさま、」


「⋯⋯落ち着け、アイリス」



 王子様の声が低くなる。

 どんどんどんどん、足音が大きくなる。

 

 そしてやがて、蝋燭の火によって、ぼんやりと人影が下から浮かび上がってきて────私が息を詰めた瞬間、"相手"は現れた。



「⋯⋯!? 貴方たちは」



 薄暗くて人相までは分からない。

 けれど華奢な体つきと声からして、恐らく女性。

 両手で何かを持っている⋯⋯そして私は気が付いた。あっと声を上げそうになる。


 それは、食事だった。お盆に乗った、いつも私が食べている食事。


 思わず顔を上げて、目の前の────恐らくその瞳は驚愕に見開かれているだろう────女性を見た。



「⋯⋯⋯聖女、様⋯⋯?」



 どうして気が付かなかったんだろう。二十二年間、ずっと扉越しに聞いてきた声なのに。


 彼女は、聖女を世話する役目を代々担うブラン家の人間。

 そして私に二十二年間食事だけを運び続けた、食事係の女性だった。



「⋯⋯ブラン家の者か。そこを退け」



 王子様が静かに女性に命令し、女性は困惑したように後退りをする。

 驚いて当然だ。外に出ることを禁じられている聖女を、この国の王子ともあろうひとが連れ出そうとしているのだから。

 国家に反逆を企てていると捉えられてもおかしくない状況だった。



「⋯⋯貴方、一体どうして聖女様を!」



 ───彼女は、私の顔を知らない筈だ。

 ブラン家の人間は聖女を世話すると言えども、聖女との接触を許されたわけではない。

 彼女はいつだって私に扉越しに呼び掛けるだけ。

 それなのにどうして、私が聖女だと分かったのだろう。


 格好? 出で立ち? それとも⋯⋯二十二年間私に食事を運び続けていた、唯一のひとであったから、瞬時に見抜けたとでもいうの?



「もう一度命令する。二言は無い。そこを退け」



 女性は震えたように「あ、」と小さく声を上げる。

 そして⋯⋯私をじっと見つめたかのように思えた。


 永遠のように思える沈黙。

 やがて女性は、ゆっくりと足を動かし、立っている階段の隅に移動した。

 そして道を譲るかのように深々と頭を下げる。



「⋯⋯行くぞアイリス」



 王子様が彼女の姿を見留めた後、再び私を引っ張り、とんとんと素早く階段を降りていく。

 私はぎゅっと彼の手を握りながら、そばに立っている女性を見ないようにして、ただ王子様のされるがままになっていた。


 女性の横を通り過ぎる、ほんの一瞬。

 祈るような、か細い声が聞こえたのは、私の幻聴だったかもしれない。



 □



 風が私の頬を撫でるように吹いた。

 ざくりと地面を踏みしめる。


 長い間、壁と天井しか知らなかった私の足は、ためらうようにゆっくりと外へ踏み出した。

 初めて触れる地面は、思っていたよりも硬く、けれどどこか温かかった。

 私はもう一歩、確かめるように足を踏みしめる。


 その瞬間、世界が足元から広がっていくような、不思議な実感が胸に満ちていった。



「⋯⋯外はどうだ」



 王子様が私に静かに問う。

 胸がいっぱいになって、すぐに言葉を返すことは叶わなかった。

 呼吸をする。澄んだ夜の空気が私の喉を通る。


 生きている、と思った。



「王子様」


「ああ」


「外って⋯⋯こんなにも、空が遠いんだね」



 頭上には瞬く星と、壮大な夜の闇。

 手が届かない。窓から見る景色とは全然違う。


 これからも、この世界の景色をこんな風に知っていけるかな。もっと私の知らない世界があるのかな。



「知っていけるよ。これからお前はたくさん国を渡り歩いて、どこまでも世界をなぞっていくんだ」



 微笑んだ彼の横顔を見上げた。

 ねえ、そんな私の隣には。あなたはいてくれますか。



「急ごう。衛兵に見つかる前に」



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