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囚われの聖女は自分の足で歩きたい  作者: 春海さくら


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7/11

07. ごめんね




「聖女様、お食事をお持ちしました」



 毎日、何一つ変わらない声。女の人の声。

 小窓から差し出される盆を受け取りながら、そういえば食事を運んできてくれるこの人の声は、物心ついた時から変わらないなと思った。

 聖女の世話をする一族、ブラン家の者だと王子様は言ってた。


 今まで気にしたこともなかった。

 毎日、私にご飯を届けてくれるひと。



「⋯⋯」



 私が扉の傍から一向に動く気配がないのに、扉越しにブラン家の女性はなにやら困惑しているような気配がした。

 こんなこと、二十二年間で初めてだった。

 私が自分から⋯⋯⋯。



「⋯⋯こ、んにちは」



 扉越しに、息を飲む声。

 ⋯⋯数秒後、慌てたようにパタパタと離れていく足音が聞こえた。

 私はそれをなんとなくじっと聞き届けてから、ため息をつく。

 食事の乗った盆を手に、扉の近くから離れる。

 

 分かっていたことだったのに。

 ブラン家の者が私と関わろうとしないということは。



 □



「俺は茨の道を掻き分けて進んだ。進んだ先に伝説のペガサスは存在すると信じながら」


 

 王子様の淡々と『ガスパール冒険譚』の文章を読み上げる、心地の良い低い声が狭い部屋に響き渡る。

 彼の声を聞いているのは好きだった。

 何故だか落ち着けて、安心出来るから。



「その瞬間、俺はその鳴き声を聞いた。天高く吠えるような、気高い動物の声を」


「⋯⋯どんな鳴き声なんだろう」



 ぽつりと思わず零すと、王子様が本から顔を上げて私を見た。

 彼は私が途中で朗読を遮っても怒ったりしない。



「⋯⋯馬のような鳴き声なのではないか」


「お馬さん?」


「お馬さ⋯⋯そうだ。お馬さん」



 私の言葉を無表情で繰り返す王子様にくすっと笑ってしまった。

 王子様、お馬さんなんて言葉が世界一似合わないひとかも。



「お馬さんはなんて鳴くの」


「⋯⋯」



 あれ、私を凝視しながら黙り込んでしまった。

 どうしたんだろう、と彼をじっと見上げていると。



「⋯⋯ヒヒーン」



 鳴いてくれた。無表情で。

 ひひーんって鳴くんだ、お馬さん。

 王子様が鳴いてくれたことに感動していると、「少し違うか」と彼は自分で首を傾げていた。


 ちょっとだけ、可愛く思えてしまった。


 

「ペガサスは、お馬さんみたいな動物のこと?」



 お馬さん───のことは詳しくは分からないけど、聖書の中で少しだけお馬さんに関する記載を読んだことがある。

 

 ロワンテーヌ王国が信仰する神、グウィン様は千の姿を持つ「命」を司る神様だ。

 自然界に存在するありとあらゆる動物に姿を変えることが出来て、全ての動物を支配すると言われている。


 その中に馬も存在する。

 森を駆け回るグウィン様に付き従い、長い脚で走り回った⋯⋯⋯そんな文章を読んだことがある気がする。


  


「そうだ。だが、少し違う。ペガサスは大きな両翼⋯⋯大きな、翼を持ち、空をも飛び回るとされている」


「王子様は、会ったことある?」


「⋯⋯いや、無いな」



 地面だけじゃなくて、空をも駆け回る動物。

 それがペガサス。

 どんな生き物なんだろう。美しい、動物なんだろうな。



「いつか、会ってみたいな」



 気が付いたときには思わずそう呟いていた。


 はっと顔を上げる。今、私は何を口走って。

 会えるはずがない。だって私はずっと、この城に居なければならないのだから。

 この城で神に祈りを捧げ、国のために、王子様のために。ずっと────



「⋯⋯会いに行くか?」



 息が止まった。顔を上げる。

 私を見つめている、透き通る彼の翠玉の奥に、静かな光が揺れていた。

 沈黙が狭い部屋を占拠する。



「ペガサスに、会いに行くか」



 王子様はもう一度、一言一句をゆっくりと繰り返した。

 驚きすぎて声も出せない私が、言葉を聞き取れていたかったと思ったのかもしれない。

 ペガサスに⋯⋯会いに行く⋯⋯あいに、いく、わたしが。



「⋯⋯どうやって?」



 ぽつりと呟いた。

 それを皮切りに、堰を切ったように感情が流れ出していく。



「どうやって? 私が、会いに行くっていうの」



 私はここから出られないのに。

 城を出たら、生きていけないのに。

 私はここを出ることを許されていないというのに!



「簡単に言わないで。私はどこにも行けない、行っちゃいけないの!」


「アイリス、」



 思わず立ち上がる。

 かつてこんなに炎のような激情を抱いたことがあっただろうか。

 王子様に怒りをぶつける資格なんて私にはないのに、それでも、止められなかった。

 彼が私を呼ぶ声も、ぜんぶぜんぶ、忌々しかった。



「あなたは良いね、王子様。だってどこへも行けるんだもん。私はね、ここを出たらあとは野垂れ死ぬだけ。誰にも見つけてもらえず、誰にも必要とされなくなって、無様に死んでいくだけなの!」


「アイリス、俺は」


「ねえ、生きるのは怖いよ。外に出るのは怖いよ。貴方たちが私を閉じ込めたくせに、今更、今更出ていけなんて言わないで」



 違う。王子様が私をこの城に連れてきたんじゃない。

 王子様が悪いわけじゃない。

 そうだと分かってるのに、こんな言葉言いたいわけじゃないのに止まらない。


 彼が何かを言おうとして、言葉を飲み込んだのが分かった。

  「⋯⋯すまない」と辛そうにただ一言だけ。

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