06. ただ愛しのあなたへ
聖女など、くだらない。
アイリスというあの娘を、一体誰が見てやれるだろう。
「⋯⋯⋯」
古びた棚から適当な背表紙を掴み、ぱらぱらとページをめくる。
⋯⋯やはり聖女に関する記載は無いか。
俺はため息を吐き、本を元に戻して、また別の本を手に取った。
城の図書館にも聖女の歴史にまつわる本がないとなると、やはり大司祭が保管しているんだろうと検討がつく。
このロワンテーヌ王国に最初に聖女が選ばれたのは、俺の記憶が正しければ数百年前であったと思う。
神に祈りを捧げる者として当時の大司祭が平民の中から女子を選抜し、城で管理して祈祷を行わせる。
聖女は祈る。
恵をお与えください、安寧をお与えくださいと。
けれど果たして神が聖女の祈りに応えたことはあったろうか。
「⋯⋯ひどく哀れだ」
哀れな娘たちだった。
神になんて祈りは届きやしないのに、神は彼女たちの存在を感じ取ることすら出来ないのに。
それでも娘たちは祈り続けた。
国のために、人のために、そしていつ国に捨てられるか分からない自分のために。
娘たちに、神霊と通じ合う力はあったかもしれないし、無かったかもしれなかった。
けれど、アイリス───彼女だけは違う。
彼女は本物の聖女としての素質を持っている。
そして、聖女が存在するのはこの国だけではない。
ロワンテーヌを始め、他国でも聖女信仰は存在している。
────聖女なんてくだらない。
聖女一人に神という摩訶不思議な生き物を押し付け、その責任を負わせ、役目に縛り付けるなど、あってはならない。
こんな感情は抱いたことはなかった。
あの花のような可憐な娘と出会うまでは。
「だから、俺は」
俺はアイリスを解放したい。
第一王子ジェイドの手に彼女が渡る前に。
けれどその為にはまず、あの人形のような娘アイリスが、この城を出るという意志を持たなくては。
「ジェイド様」
ふいに背後で声がする。
司書の者だろうか。
「? ジェイド様!」
俺の事かと気が付き、振り返る。
見ると従者の衣服に身を包んだ者が、俺の反応が鈍いことに不審そうにしながらも「遅くなり申し訳ございません」と頭を下げた。
「大司祭様がいらっしゃいました」
そうか、といらえる。
己の声が低くなるのを感じながら。
「⋯⋯あの、不躾な質問申し訳ありません。一体大司祭様に何の御用なのでしょうか?
その⋯⋯先日のグレスティー嬢との一件で大司祭様にご忠告なされたのですから、目立つ行為は避けた方が懸命かと」
グレスティー嬢。夫がいながら、『ジェイド王子』とふしだらな関係に及んだという。
⋯⋯ああ、なるほど。
全く、とんだことをしてくれたものだ。
□
あれ、と思った。
不思議できょろきょろと辺りを見回していると、「この文字は───」と私が読み進める本の活字を指さしていた王子様が、私の様子に気が付いて「どうした?」と首を傾げる。
「読書は飽きてしまったか」
「ううん。⋯⋯あの、ファブリスが⋯⋯」
もうすぐファブリスが来る時間なのに、来ないから。
けれど窓の外を見ても太陽が丁度、城の屋根に隠れたいつもの時間で。
どうしたんだろう。今日の祈祷は何を祈ればいいんだろう。
不安になっていると、ふいに王子様が「ああ。そんな事か」とどうでも良いみたいに呟いた。
「今日と明日、奴はこの部屋に来ない」
「⋯⋯えっ」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
ファブリスが、来ない? どうして。
彼は二十二年間、毎日欠かさず私の部屋に来て、祈祷内容を命じていたというのに。
まさか。途端に背筋を冷たいものが走っていった。
私は、要らなくなったの。
「アイリス?」
思わず腕を抱える。嫌な震えが止まらない。
私は⋯⋯私は、必要とされなくなった?
だからファブリスは来ないの?
そんな。聖女が不要になったんだとしたら、私はどうやって生きていけばいいの。
この城から出たら、私は──────。
「落ち着け、アイリス」
ぴくりと震えた。彼に手を握られたのだ。
相変わらず冷たい手。
それなのにどうしてなんだろう、ひどく安心するの。
彼は「俺の目を見て、息を据え」と静かに促した。
王子様に見つめられていることを感じながら、言われた通りに深く呼吸をする。
落ち着いてきた。
「大司祭ファブリスに、聖女に休暇をやってはどうかと進言した。あいつは俺の提案を承諾し、お前に二日の休みをやると言ったんだ」
信じられない思いでその美しい翡翠の瞳を見ていた。
王子様が、ファブリスに進言した?
二日の休み?
一体何が、起こってるの。
「⋯⋯王子様が、ファブリスに?」
「ああ」
「どう⋯⋯やって、」
「あいつにも色々と知られては困ることがあるということだ。お前は知らなくていいよ」
「なんで、王子様は」
そんなに私を気にしてくれるの。
声にならない問いが喉の奥まで出かかって、私は口を閉じる。
ずっとそうやって声を出さないできた。けれど、
「俺は⋯⋯お前に広い世界で生きて欲しい」
王子様はいつだって、私の心の内を掬いとってくれる。
それが嬉しくて、少しだけ苦しい。
だって暴かれてしまっては、その感情を認めざるを得なくなってしまう。
ずっと要らないものだった。誰かとのお喋りも、本も、 王子様だって。
それなのに、今はもう、何も持ってなかった頃に戻れないよ。
「お前が地面を歩く姿をこの目で見てみたい」
王子様は少しばかり微笑んでみせた。
まるで笑みの浮かべ方を知らないような、歪なものだったけど。
それでも私を安心させるために、そんな表情をつくってくれているのだと分かった。
ねえ王子様。
私、あなたの為なら何を祈ったっていいよ。
王子様がいずれ守るこの国を私も守りたいと思えるように、きっとなるよ。




