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囚われの聖女は自分の足で歩きたい  作者: 春海さくら


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04. なんだって読めるようになるよ




「本は、面白くなかったか」



 今日も今日とてズカズカと私の部屋に入ってきて。

 数日前に彼がテーブルに置いていって一向に動かされていない様子の本たちを見てから、彼はそう言った。


 思わずそっぽを向く。



「⋯⋯面白いかは、まだ、わからない」


「一ページも開かなかったのか」



 咎められているような気がして口を噤む。

 だってあなたが勝手に置いていったのに。

 すると王子様はいつもの淡々とした口調を少々慌てさせて、「別に責めているのではない」と話した。



「お前は何が好きだ? 今度はお前の望むものを持ってこよう」



 ⋯⋯違う。そうではなくて。



「よめない、の」


「⋯⋯読めない?」



 目を見開いた王子様の表情。居心地が悪い。

 自分の無知をここまで恥ずかしく思ったことはあっただろうか。

 王子様は高貴なひとだから。

 そんなひとに見下ろされてると、自分がひどくちっぽけで恥ずかしい者に思えてくるの。



「文字が、ところどころ、よめないの」



 部屋の中にはいくつか本がある。

 大司祭に読めと言われ、それらを苦労して読んで、少しは文字の読み方を習ったけれど。

 こんなにも自分が民衆の本を読めないとは知らなかった。

 王子様がくれた本のページを開いてみたは良いけれど、何が書いてあるのかいまいち分からなくて、すぐに閉じてしまったのだ。



「⋯⋯」



 王子様はぽかんと口を開けている。

 ひどい。呆れるならいっそ、笑ってくれた方が良かった。



「文字がよめなくて、ごめんなさい。この本は返すから、」

 

「待ってくれ。別に俺は呆れたわけではない。ただ、お前が文字を読めないという可能性を考えていなかったから、自分の愚鈍さに呆れただけだ」



 ぐ、どん⋯⋯? 聖書に書いてあった言葉のような気がする。



「愚鈍とは、愚かで物事に鈍いもののことだ」



 また心の中を読まれてしまった。

 私、そんなに分かりやすいのだろうか。

 彼はほんの少しだけ笑みを零しながらそう説明した。なんだか悔しい。


 王子様の笑顔は、静かな森に咲く一輪の野薔薇のように、やさしくてうつくしいものだった。



「俺が教えてやろう。時間の許す限り、お前に文字の読み方を教える。そして共に本を読もう」



 王子様は、辺りに放られた古い椅子を二つ取ってきて、テーブルの前に並べた。

 ここへ座れ、と自分は一つに腰掛けて隣の椅子を叩く。

 私は躊躇した。未だに王子様の近くにいくことが怖かった。



「アイリス?」



 ⋯⋯でも、彼はいつだって私の名を呼んでくれる。


 私は寝転んでいたベッドから体を起こし、床に足をつけて、こわごわと彼のそばに近寄る。

 王子様は私をじっとみている。

 私が彼の隣の椅子に腰を下ろし、きゅっと体を縮こませるまで。



「⋯⋯」



 その間、彼は何も言わなかった。

 

 その代わり、少しだけ感慨深そうに息を吐いて、「まず、そうだな───この部屋にペンはあるか?」と自分の衣服のポケットから手帳を取り出して、私にそう尋ねた。



 □


 ───俺はその瞬間、剣を抜いた。

 

 ドラゴンは火を吐き、俺を焼き付くさんと向かってくる。

 だが俺は挫けなかった!

 何としてでもドラゴンを倒し、ドラゴンの心臓を持ち帰らなければならなかった。

 そして俺は、羽を広げ、こちらへ飛んでくるドラゴンに───腹踊りをした、ん、腹踊り⋯⋯?


 私はそこで首を傾げた。絶対に文脈からして、主人公ガスパールは腹踊りなんてしていない。

 どうしよう、ここ、なんて読むのか分からない。

 

 王子様はまた、この部屋に来てくれるかな。

 来てくれたら、この文字をなんと読むのか、聞こう。


 その瞬間だった。ズズ、と背後で扉が開かれる音がする。

 一瞬王子様が来てくれたのかと思って、振り返ったけれど。



「随分と楽しそうですね、聖女様」



 ぎゅっと心臓を握られるような感覚。

 その何を考えているのか悟らせない、薄い笑み。

 彼は厳かな動作で部屋に足を踏み入れ、私に向かってわざとらしくお辞儀した。


 大司祭、ファブリス。私を管理する管理人。



「本日の神への祈願の内容をお知らせに参りました」



 彼はロワンテーヌ王国現王のテオが命じた、神に望む願いを私に届けに来る。

 二十二年間、私の部屋に足を踏み入れたことのある者は彼だけだ───最近押し入ってくる王子様を除いて。

 ファブリスは唯一、私と接触することを認められた者。


 彼のことは好きじゃない。

 

 いつも薄気味悪い笑顔を浮かべているし、私に「完璧な聖女」を求めてくるから。

 私が神の声が聞こえないことを知っているただ一人であるにも関わらず。



「⋯⋯」



 ベッドにうつ伏せになったまま、読んでいた本を思わず枕の下に隠した。

 王子様が私にくれた本。見つかれば、取り上げられるかもしれない。

 それは嫌だった。



「聖女様、今一体何をお隠しになったんです?」



 けれど目敏い彼にすぐに気付かれてしまった。

 ツカツカと足音を立ててこちらへ歩み寄ってくるファブリスに思わず、「やめて」と声を上げる。

 

 やめて。やめて、私からそれを奪わないで。



「やめ、」

 

「ほう⋯⋯本ですか? いつの間にこんな物を。外に一切出ない貴方が、このような物をお持ちとは」



 本を奪い返そうとした私の手が宙を切る。

 ファブリスはあの青い背表紙の本を手に取り、ぱらぱらとページを捲って文字を目で追ってから「ふっ」と嘲笑った。

 かっと顔が熱くなる。



「ガスパール冒険記⋯⋯平民たちから人気を博している本ですか。こんな下世話な俗物をどうして高貴な身分の貴方が読もうとするのか、理解に苦しみますね。

 

 読むのをおやめなさい。

 

 これは崇高な精神を持つ貴方にとって毒となる不必要な知識です。貴方の神への祈祷に影響を及ぼしてしまうかもしれない」



 大司祭の冷たい眼差し。言葉。

 ぎゅっと思わず拳を握り、その手を力なく放す。


 私に求められているのは聖女であること。

 外の世界に触れることじゃない。

 私は一生、この狭くて暗い部屋の中で身を捧げなければならないの。



『そして共に本を読もう』



 ふいに浮かんだのは、王子様の表情。

 いつだって無表情みたい。それでも、注意深く見ていれば、彼はいつだってころころと顔色を変える。

 あの時彼は、目元を緩め、私に穏やかな眼差しを向けていた。


 やさしくて、あたたかい。

 彼のことを思い出すと何故だか泣きたくなる。



「このような物を、一体誰から受け取ったのですか? まさかブラン家の者が貴方に差し入れたとでもいうのですか? 全く、近頃王子様が妙な動きをしているこの時に⋯⋯」


 

 大司祭ファブリスはまた笑みを口元につくり、私にそう詰め寄った。

 ブラン家は聖女に食事を届ける役目を遂行する一族のことだ。


 言えない。王子様が持ってきてくれたことは、言えない。

 彼は王子だと言っていた。

 身分からして言えば、大司祭の方が力を持っている。

 大司祭が彼を罰することは可能だ。



「⋯⋯まあ、良い。こんな物は、こうして───」



 あっと声を上げた。

 ファブリスは窓辺に立ち、音を立てて窓を開け放った。

 そこから、本を持つ手を出して────本を、空中に───。



「だめ!」



 今までで出したことのない大きな声が喉から出た。

 転がり落ちるようにベッドから降り、慌ててファブリスを押しのけて窓際から手を伸ばそうとするも───時既に遅し。

 本は空中を舞って落下し、どんどん塔の下へ───そして、ついに見えなくなってしまった。

 絶望した気持ちで地面に目を凝らすも、あの青い背表紙は見えない。


 王子様が私にくれた本。

 王子様が、私に。

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