第84話 この村のアズ
赤ん坊飛竜に何を食べさせるかは、最初の難題だった。
「草食には見えないね」
アリスと向かい合っている雛を見ながら、イルゼが言った。
「それは全員分かってる…だろ」
レオが全員を見ながら返す。
「じゃあ何を試すんだい」
「それを今考えてる」
「考えてる顔には見えないね」
「うるさい」
結局、最初に与えることになったのは、小さく裂いた干し肉だった。
保存が利く。
持ち運びもしやすい。
何より、村で今すぐ出せる肉としては一番扱いやすい。
アリスが、卵部屋改め保育室の中でおそるおそる指先に摘まむ。
「レオ様、この子食べますかね」
「知らん」
「その返し、最近多くないですか」
「飛竜の雛を育てたことがあるやつがいないからな」
「毎回それです」
赤ん坊飛竜は、毛布の上で小さく丸まっていた。
焦げ茶色の毛並みは、少しずつ乾いて柔らかくなってきている。
目だけは相変わらず青い。
あの新大陸の空みたいな青だ。
アリスが、そっと干し肉を近づけた。
最初は、きょとんとしていた。
匂いを嗅ぐ、首を傾げる。
まだ食べ物として認識していない顔だ。
「駄目か?」
エルマーが呟いた時だった。
赤ん坊飛竜の鼻先がぴくりと動いた。
青い目が、干し肉へぴたりと止まる。
そして、そのまま口を開けて飛びついた。
アリスが驚きの声を上げる。
「た、食べました!」
「食いつきがいいですね」
ガーネットが感心したように言う。
「いいどころじゃないですね、かなり本気です」
テオドールも記録を取りながら同意する。
赤ん坊飛竜は、小さな身体に似合わない勢いで干し肉へ噛みついていた。
顎の力そのものはまだ弱い。
だが、獲物を離したくないという意志だけは妙に強い。
前脚で肉を押さえようとして失敗し、
翼をばたつかせ、
それでも口だけは絶対に離さない。
アカネたちも、その様子を見ていた。
アカネは少しだけ偉そうな顔だ。
スミは興味津々。
ヒイロは、不思議そうな顔で首を傾げている。
そんな様子を見ながら、レオがしゃがんでアカネ達に話しかけた。
「お前たちの後輩だぞ」
「ぴ」
「その返事、先輩面してるな」
「ぴゅい」
「まあ、否定はできんか」
色々試した結果、やはりというか飛竜の赤ん坊は肉に飛びついた。
干し肉、細く裂いた鹿肉。
火を通した薄切りの肉。
どれにも反応がいい。
逆に、豆や芋を近づけた時の反応は薄かった。
食えなくはなさそうだが、明らかに本命ではない。
「レオ様、この子分かりやすいですね」
アリスが肉を与えながら微笑む。
「お前と似てる」
「えっ」
「好きなものへの勢いが強い」
「そ、そうですか?」
「そうだ」
「嬉しいような、複雑なような」
赤ん坊飛竜は小さな肉を食べ終えると、満足したのかアリスの腕に収まろうと寄ってきた。
まだ歩き方もおぼつかない。
でも、向かう先だけは迷わない。
「完全に親認定されたな」
エルマーが、ヒイロを撫でながらアリスを見る。
「ですかね」
そうして、その様子を皆で見ながら、自然と話は次へ移った。
「レオ様、やっぱり名前決めましょう」
「赤ちゃん飛竜だと、長いです」
リーナが雛の様子を見ながら、抑えきれないように言った。
「確かに、いちいち赤ちゃんというのもな…」
部屋の空気が、少しだけ和らぐ。
大事な話だ。
でも、どこか温かい話でもある。
「アリス、早く決めなさい」
サラが当然のように言う。
「えっ」
アリスが固まる。
「わ、私ですか?」
「最初に目が合った、最初に抱いた、今も一番懐かれてるでしょ」
「重大すぎません!?」
アリスは周囲を見渡すが、全員の目が決めろと言っていた。
そのまま視線を降ろし、腕の中にいる赤ちゃん飛竜を見下ろした。
小さい、でも飛竜だ。
しかも、自分を最初に見て今も寄ってくる。
名前。
そう言われると、急に胸が熱くなる。
「ど、どうしましょう」
アリスが本気で困った顔をする。
「考えてなかったのか」
レオが少し呆れたように言った。
「考えてはいました!」
「ほう」
「でも、いざ本当に決めるとなると重いです」
「それもそうか」
エルマーが面白がるように口を挟む。
「青い目だからアオ」
「雑だな、魔法狂いのセンスはその程度か」
ガレスが鼻で笑う。
「でも分かりやすいだろ」
「分かりやすいですけど!もう少しこう、あるでしょう!」
アリスが頬を膨らませる。
「じゃあアズール」
「そのままじゃねえか、捻りがねぇよ」
「でもちょっと格好いい…かも」
リーナがうんうんと首を縦に振った。
イルゼも肩をすくめる。
「肉に飛びついたんだから、ステーキとかどうだい」
「やめてください!」
アリスが叫ぶ。
「名前にするやつですかそれ!」
「冗談だよ」
「今のはひどいです!」
そこへ、テオドールが静かに言葉を落とす。
「目の色をモチーフにするのは、象徴として悪くありません」
「新大陸の空の色」
「それに、飛竜でありながら最初にこの村で目を開いた」
「なら、空に寄せるのは理にかなっているかと」
「空、ですか」
アリスが呟くと、レオも赤ん坊飛竜の目を見る。
たしかに青い。
冬の晴れた日の、この土地の空そのものみたいだ。
「アズール…悪くないな」
「レオ様まで!」
「嫌か?」
「嫌じゃないです!」
「なら候補だ」
「ちょっと綺麗すぎる気もします」
「そうか?」
「なんというか、こんなに小さいので…」
「もっとこう、手の中にいる感じの名前でも」
「じゃあ、豆粒はどうだ」
ガレスが満更でもなさそうに言った。
「やめてください!」
「今はそういう大きさだろ」
「それはそうですけど!」
「名前にするのは違います!」
そのやり取りに、部屋の空気が少しだけ笑いへ崩れる。
赤ん坊飛竜は、そんな話など分からない顔で、アリスの指先を小さく噛んでいた。
甘噛みだ。
だが爪も牙も、形だけはちゃんとしている。
アリスは、その青い目をもう一度見た。
冬の朝、この土地。
最初に見たのは、自分。
でも、この子はたぶん自分だけのものではない。
村で生まれた。
村で育つ。
そして、いつか答えを返す時が来る。
なら。
「アズ」
とアリスが、小さく言った。
全員がそちらを見る。
「アズ?」
レオが確認するように繰り返す。
「はい」
「アズールから?」
「今はまだ小さいので…」
「全部だと、ちょっと立派すぎるというか」
「だから、アズ」
「どうでしょう」
沈黙の後、レオが小さく笑った。
「悪くない」
「ほんとですか」
「呼びやすいから、子供もすぐ覚えるだろ」
「悪くありませんね」
ガーネットも頷く。
「成長したらアズールでもいいですし」
とリーナ。
「幼名アズ、成人後アズール、それもいいわね」
サラも納得の顔だ。
ガレスも腕を組みながら唸った。
「アリス、悪くねえな」
「ガレスさんがそう言うなら、かなりいい気がします!」
「なんだその基準」
「厳しそうなので!」
「失礼だな」
「でも否定しませんよね」
「まあな」
レオは最後に、アリスの腕の中の飛竜を見る。
「アズ」
呼ばれたのが分かったのかどうか。
赤ん坊飛竜は、青い目をぱちりと瞬かせた。
それから小さく鳴く。
「返事っぽいな…」
エルマーが驚いたような声をあげた。
「気のせいじゃねえのか」
「偶然で済ますには、だいぶそれっぽいですよ!?」
アリスがアズを撫でながら言う、すでに親ばかの片りんが見える。
レオは少しだけ頷いた。
「よし、お前はアズだ」
「ぴ」
今度は、さっきより少しだけはっきり鳴いた。
それで、部屋の中に小さな笑いが広がった。
アズは、また干し肉の匂いに気づいたのか、アリスの腕を登ろうとしていた。
小さい爪が布へ引っかかる。
翼がばたつく。
青い目だけは真剣だ。
「名前が決まって最初にやることが、それか」
レオの表情が少しだけ柔らかくなる。
「食欲旺盛なのはいいことですよ!」
「たしかに」
「アズ、ほんとに肉が好きなんですね」
「ぴゅ」
その返事に、また笑いが起きる。
冬はまだ深い。
森は白い。
春の答えは、まだ先だ。
だが少なくとも今、この村にはアズという名前を持つ小さな飛竜が居る。
名前がついたことで、その存在は一段はっきりしたものになる。
ただの飛竜の赤ん坊ではない。
村の中にいる、アズだ。
その事実は、思っていた以上に大きくなっていく。
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