第83話 ぽてんと飛竜
卵部屋の外に、ばたばたと足音が迫ってきた。
最初に飛び込んできたのはアリスとレオだった。
外套の裾にまだ雪の粒をつけたまま、入口の布を大きく払う。
「レオ様!」
アリスが、卵の前から振り返る。
「ひびが入って、中から叩いてます!」
「落ち着け」
「無理です!」
その後ろから、テオドール、ガレス、エルマー、イルゼが続く。
少し遅れてガーネット、リーナ、サラも入ってきた。
「本当にですか」
テオドールが記録版を片手に卵の前まで来る。
「本当です!」
「とりあえず、全員静かにしろ」
レオが軽く手を叩く。
静寂が訪れると、卵部屋の空気が一気に張り詰める。
火の魔石が、赤く弱く脈打っている。
そして、その中央。
焦げ茶色の大きな卵の表面に、たしかに細いひびが走っていた。
「ひび、入ってるな」
ガレスが顎に手を添えながら呟いた時だった。
小さく、だが今度は誰の耳にもはっきり届く音がした。
殻の一部が、内側から押し上げられる。
細いひびが、その一点から一気に走った。
「きた…」
エルマーが興奮をなんとか抑えながら声を小さく落とす。
アリスは息を呑んだまま動けない。
誰も声を出さなかった、いや出せなかった。
殻が、もう一度鳴る。
そして、焦げ茶色の殻の一部が、内側から押し破られた。
卵の中から現れたのは、飛竜のような生き物だった。
だが、ほんとうに小さい。
「ちっさ」
サラが思わず言葉を出す。
「静かに」
ガーネットが、小さくサラを制するように言った。
小さい。
アカネたちが生まれた時より、さらに小さいかもしれない。
両手で包めそうなほどの大きさだ。
そのくせ、形だけはちゃんと飛竜だった。
短いが鋭そうな爪。
まだしわくちゃで頼りないが、たしかに翼らしきもの。
尾もある。
頭の形も、どこか母飛竜の面影を残している。
「飛竜だな」
レオが雛を見ながらぽつりと呟く
「ええ、間違いなく」
テオドールが記録を付けながら頷く。
ただし、まだ幼すぎた。
鱗らしいものはほとんど見えない。
身体は、焦げ茶色のやわらかな体毛に覆われている。
母飛竜の岩肌じみた鱗とは、まるで違う。
むしろ冬毛をまとった獣の子みたいだった。
「毛か?鱗はないのか」
エルマーが手を伸ばしかけて、ぎりぎり耐える。
「生まれたてだからじゃないかい、知らんけど」
イルゼも興味の為か、目が若干輝いている。
「知らんのかよ」
「飛竜相手に知ってる方が怖いでしょ」
生まれたばかりの飛竜の子は、濡れた身体を小さく震わせながら、殻の中でもぞもぞと動いた。
頭を持ち上げようとして、うまくいかず、ころんと殻へぶつかる。
「あ」
アリスが思わず手を伸ばしかける。
だが、途中で止まった。
不用意に触るなと、これまで何度も言われてきたからだ。
その時だった。
飛竜の子が、ようやく顔を上げた。
そして最初に、アリスと目が合った。
目は青かった。
透き通るような青、というよりは、もっと深い。
新大陸の冬空を、そのまま切り取ったみたいな青だ。
その目が、まっすぐアリスを見た。
アリスは息を止めた。
周りの音が、一瞬、全部遠くなる。
誰かが何か言った気もする。
だが耳に入らない。
青い輝きだけが見える。
飛竜の子は、小さく首を傾げた。
まだ焦点も少し怪しい。
それでも、いちばん最初に見たものを確かめるみたいに、じっとアリスを見ている。
「アリス」
レオが小さく呼ぶ。
「は、はい」
声が裏返った。
「落ち着け」
「無理です」
飛竜の子は、そこで小さく口を開いた。
ぴ、とも、きゅ、ともつかない、かすかな声。
飛竜の咆哮とは似ても似つかない。
拍子抜けするほど小さな、生まれたての鳴き声だった。
「か、かわいい」
リーナが頬に手を当てながら、呟く。
「言うと思った」
「でも、分かる」
サラがリーナを見ながら、ニヤリと笑う。
「かわいいは否定しないのね」
「今のを見たらね」
アカネたちも、少し離れたところで固まっていた。
スミは首を伸ばし、ヒイロが落ち着かず足踏みし、アカネだけは妙に真剣な顔で見ている。
飛竜の子は、またアリスを見た。
それから、必死に殻の外へ這い出ようとした。
前脚をかける。
でも小さすぎて、つるりと滑る。
翼らしきものがばたつく。
尾がぴくぴく揺れる。
「頑張れ」
アリスが思わず口に出した。
結局、飛竜の子は半分殻に引っかかったまま、また小さく鳴いた。
その声に、アリスが前へ出る。
「もう我慢できません…」
アリスはそっと手を入れ、殻の欠片を少し外してやる。
雛には触れない。
ただ、引っかかりを減らすだけだ。
すると飛竜の子は、今度こそよろよろと殻の外へ転がり出た。
床の布の上に、ぽすっと落ちる。
小さい。
ほんとうに小さい。
「これが飛竜ですが…」
いつも冷静なガーネットも驚きを隠せない。
「信じられねえな」
ガレスの声も若干上ずってしまう。
「しかし、間違いなく飛竜です」
テオドールが記録を止め、雛とアリスを見る。
「そして、この瞬間に誰を最初に見たかも重要です」
全員の視線が、自然とアリスへ向く。
「え、レオ様?」
アリスが全員の視線に気づいた。
「え、じゃない」
「最初に目が合ったの、お前だ」
「ど、どうすれば」
「知らん」
「知らないんですか!」
「この村で、飛竜の雛を育てたことのあるやつがいたら連れてこい」
「いません!」
「だろうな」
飛竜の子は、また小さく鳴いた。
そして、ふらふらしながら、アリスの方へ一歩、二歩と寄ってくる。
歩くというより、転びに来るみたいな動きだ。
それでも、向かってくる。
レオが苦笑しながら言った。
「来るなと言って止まる相手じゃないな」
飛竜の子は、ついにアリスの膝元まで来ると、そこで力尽きたみたいにぽてんと寄りかかった。
アリスが本気で固まる。
「決まったな」
ガレスが小さく笑った。
「何がです!?」
「飛竜番だな」
「字面がもうひどいです!」
「でも似合う」
サラがうんうんと頷く。
「ひどいです!」
「でも似合いますよ」
リーナまで小さく頷いた。
「リーナさんまで!?」
アリスは、おそるおそる手を伸ばした。
触れていいのか、駄目なのか。
でも、向こうはもうくっついている。
「触りますよ」
と、誰にともなく言う。
指先で、そっと背へ触れる。
温かい。
毛はまだ湿っていて、ふわふわというより頼りない。
でも、ちゃんと生き物の温度だ。
飛竜の子は、その手に少しだけ頭を擦り寄せた。
アリスの顔が、一気に崩れた。
泣きそうで、笑いそうで、どうしたらいいか分からない顔だ。
エルマーが、少しだけ目を細めて言った。
「レオ、目が青いな」
「ああ、新大陸の空みたいだ」
「母親は金だったのに」
「親父が青いんじゃねぇのか」
とガレス。
「そこは分からんだろ」
「でも、何か混じってる感じはある」
「それはあるな」
たしかに、毛色は母親に近い。
だが、目は違う。
あの青は、この土地そのものみたいだった。
レオは、その小さな飛竜を見ながら、静かに思った。
生まれた。
飛竜の子が、この村で。
冬の真ん中に。
湯場裏の簡易保育室で。
アリスへ寄りかかる形で。
どう考えても普通ではない。
だが、普通ではないのに、妙にしっくり来るのが困る。
「レオ様、名前はどうします?」
リーナが小さく言った。
「まだ早い」
「でも、つけることにはなりますよね」
サラも続く。
「まあ、そうだろうな」
「誰が決めるんです?」
アリスが顔を上げた。
「お前じゃないか」
「え」
「最初に見られた以上、親と思われてるぞ」
「いきなり重すぎません!?」
「今さらだろ」
「もう少し段階をください!」
そのやり取りに、部屋の空気がようやく少しだけ笑いへ変わる。
緊張も、警戒も、不安も、全部まだある。
だが、それでも今は、生まれたことの方が大きかった。
飛竜の子は、アリス腕の中でまた小さく鳴いた。
青い目が、もう一度だけアリスを見上げる。
その目を見て、アリスは小さく、でもはっきり頷いた。
「はい、私があなたを守ります」
その言葉に、レオも小さく頷いた。
冬の真ん中。
新しい年の最初に、この村はまた一つ、とんでもない命を迎え入れた。
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