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幕間⑤ 悪役令嬢

ヒロイン(仮)

アルヴェイン侯爵との会談から二週間、公爵家の伝手からの情報が揃いつつあった。

そんな日の夕刻、ウインザルフ公爵は娘を呼んだ。


呼び出し先は、公爵家の私室寄りの応接間だった。

公的な会議室ではない。

だが、家族の茶会室というには少し硬い。


雑談ではない。

父であり当主でもある立場から話す時の部屋だ。


ノックからヒカシューの許可の後、彼女は静かに一礼して入った。


「お呼びでしょうか、お父様」


「座りなさい」


「はい」


月光を溶かしたような銀の髪が、燭台の火を受けて淡く光る。

顔立ちは整っている。

整っているという言葉では足りないほど、完成されていた。


少し吊り目気味の目元。

髪と同じ銀の瞳。

鼻梁も口元も非の打ち所がない。


あまりに整いすぎていて、初対面では冷たさすら感じさせる。

だが、それは感情の薄さではない。

不用意に感情を外へ流さないだけだ。


社交の場では、必要な笑みを完璧に作る。

政治の話では、相手の数手先まで読む。

経済も、外交も、社交界の噂も、すべて同じ精度で扱う。


プライドは高いが、高慢ではない。

誇りと共に、積み上げてきたものへの自負だ。


帝国が誇るウインザルフ家の最高傑作。

後世にそう言われても不思議ではない娘を、ヒカシューは正面から見た。


「話とは、縁談だ」


その一言で、彼女のまつ毛がほんのわずかに動いた。


驚きではない。

予想の範囲内だ。

婚約破棄のあと、公爵家の娘として縁談の話が来ないはずがない。


ただ、もう来たかと測る間があっただけだ。


「どちらの家でしょう」


「アルヴェイン侯爵家だ」


「アルヴェイン侯爵家ですか…」


「正確には、分家だ」


そこまで聞いて、少しだけ銀の瞳を上向く。


「新大陸で、独立分家として村を起こしている男だ」


「新大陸…」


その一語だけは、明確に温度を持った。


軽蔑でもない。

嫌悪でもない。

意外な盤面が来た時の反応だった。


「侯爵家の三男、名はレオ=アルヴェイン」


彼女は、しばらく何も言わなかった。


新大陸の侯爵家分家。

独立し、村を起こしている男。


言葉を順に噛み砕いているのが分かる沈黙だった。


「嫌そうな顔はしないのだな」


「まだ判断材料が足りません」

「気分で縁談を嫌うには、我が家名は重すぎます」


「そうか」


ヒカシューは、そこで少しだけ口元を緩めた。

娘はこういう時、感情で先に転ばない。

そこは昔から変わらない。


幼いころからそうだった。

夜会の席次も、租税の帳面も、近隣諸国の同盟関係も、同じ顔で読み解いた。

一流の教師を揃えたのは家だ。

だが、その全てをものにしたのは娘自身の努力だった。


「まず前提として」

「これは、婚約破棄の穴埋めとして受ける話ではない」


「はい」


「その件については、裏ではけじめがついている」


「陛下がですか?」


「そうだ」


少し吊り目気味の目が、そこでわずかに細くなる。


皇帝が直々に父へ詫びを入れたことは、まだ知らされていなかったらしい。

だが、その情報を聞いても感情は崩さない。


「今回の話は、別の物語ですね」


「その通りだ」


「新大陸の侯爵家分家に、公爵家がどう関わるか」


「そうだ」


彼女は一度だけ視線を落とした。

考えている。


「相手は、どの程度の男ですか」


「そこを先に聞くか」


「一番重要です」


「そうだな」


ヒカシューは、公爵家の調査で掴んだ内容を、過不足なく伝えた。


騎士団討伐級の大型魔物を複数討っていること。

農地、水路、鍛冶場、湯場まで整え始めていること。

帝都で行き場のない平民層が、鍛冶師や錬金術師を含めて流れていること。

教会も人を入れたこと。

小規模ながら、拠点として育ち始めていること。


彼女はその間、一度も口を挟まなかった。

だが、話が進むほどに目の色が少しずつ変わっていく。


軽い縁談の話を聞く目ではない。

物語を読み解く目だ。


「なるほど」


ようやくそう言った時、声は静かだった。

だが、最初より明らかに熱がある。


「ただの辺境送りではないのですね」


「侯爵家側は、婚姻で首輪をつけたい」

「その意図は強い」


「よくある話ですね」


「こちらから見れば、新大陸の拠点へ公爵家が一枚噛む話にもなる」


ヒカシューは、その瞬間の娘の顔を見逃さなかった。

冷たい令嬢の顔ではない。

計算する政治家の顔だ。


そこに彼は安堵する。

この娘は、まだ壊れていない。

傷ついたまま立ち止まる女ではない。


「お父様」


「なんだ」


「ひとつ、確認したいのですが」

「そのレオという方は、本当に自分で領地を起こしたのですか」


ヒカシューは、わずかに感心したように目を細めた。


「その問いの意味は」


「補佐役の誰かが優秀で、その者が実質の中身という可能性です」

「領主本人は、ただ旗として立っているだけという類の」


「なるほど」


そこを見るか。


「その可能性は、ゼロではない」


「はい」


「だが、完全に傀儡なら、人の流れはもう少し歪む」

「寄ってくる人材の質も、噂の広がり方も違うはずだ」

「少なくとも、調査の限りでは本人が中心にいる可能性が高い」


「確かに」


「ただし、お前の隣に立つ価値のある男かまでは、まだ見極め切れていない」


「それは当然でしょうね」


彼女は、そこで初めてほんの少しだけ笑った。

笑みというには薄い。

だが、口元がわずかに動いた。


「そこを見極めるための縁談ですか」


「半分はな」


「公爵家らしいお話です」


「お前も、その血を引いている」


少しの沈黙が落ちた。

暖炉の火が鳴る。

外は冬だ。

帝都の冬は、新大陸ほど荒くない。

だが、貴族の家の中には別の寒さがある。


「婚約破棄を受けたあと」

「お前は、泣きも怒りもしなかったな」


「はい」


「その代わり、静かに立っていた」

「どう考えていた」


彼女は少しだけ目を伏せた。

それから、隠す気もなく答える。


「理不尽だと思いました」


「そうだろうな」


「ですが、愚かな相手に愚かなことをされたからといって」

「私まで愚かになる必要はありません」

「殿下にも、男爵令嬢にも、特段の恨みはありません」

「復讐も不要です」

「そのために自分を下げるのは、私の流儀に反します」


ヒカシューは、それを聞いてゆっくり頷いた。


やはりこの娘は、そういう女だ。

燃え上がって壊れるのではない。

冷えたまま折れない。


だが、父は知っている。

この娘が石のように冷たいわけではないことを。


幼い頃、傷ついた小鳥を人知れず抱えて治療していたことも。

使用人の失敗を人前で責めず、後で静かに手を打っていたことも。

冷たく見える顔の奥に、意外なほど優しさが深いことも。


だからこそ、余計に厄介なのだ。

善良であることと、高位貴族であることは、時にひどく噛み合わない。


「新大陸行きは、どう見る」


今度の沈黙は、さっきまでより少し長かった。

彼女は、正面の暖炉ではなく、その向こうを見ているような目になる。


「流刑と見ることもできます」


「そうだな」


「婚約破棄された公爵令嬢が、辺境の分家へ送られる」

「帝都の物語としては、美しくない」


「その通りだ」


「ですが、新大陸が本当に伸びるなら」

「それは流刑ではなく、新しい世界へ最初から座る話にもなります」


ヒカシューは何も言わない。

娘が自分で答えに至るのを待っていた。


「その男が、ただの幸運な開拓者ではなく、領主としての器を持つなら、私が行く意味はあります」

「帝都で余った札として置かれるより」

「新しい拠点を、家と制度と理屈で形にした方が、はるかに良い」


そこで、ようやくヒカシューは口を開いた。


「嫌ではないのだな」


「嫌です」


「ほう」


「私が公爵家の娘である以上、本来辺境の分家など釣り合いません」

「不愉快ではあります」

「ですが、不愉快と価値がないは別です」


その返答に、ヒカシューは静かに笑った。


「なるほど」


「お父様…その男を見ます、レオという方を」

「その上で、隣に立つ価値があるかどうか、私自身で判断したい」

「それは許されますか」


「許すも何も、そのためにまだ返事を留めている」


「そうですか」


彼女は、そこで初めて少しだけ表情を和らげた。


冷たく見える顔のまま。

だが、確かに前を向いた顔だ。


「これは、悪い話ではありませんね」


「今のところはな」


「少なくとも、私を憐れんで押し込むためだけの話ではない」


「そうだ」


「それなら結構です」


ヒカシューは、そこで少しだけ視線を細めた。


「恋だの愛だのを語って、夢を見る話ではないぞ」


「承知しています」


「お前は、そういうものを軽んじているだろう」


「軽んじているというより」


彼女は少しだけ言葉を選んだ。


「信用していません」


「ほう」


「少なくとも、高位貴族の婚姻においては、お花畑に過ぎません」


「まあ、そうだな」


「ただ…」


その一語だけ、わずかに柔らかかった。

ヒカシューは何も言わず待つ。


「共に物語を紡げる相手がいるなら」

「それは、少しだけ羨ましいと思います」


言ってから、彼女は自分でも少しだけ驚いたように目を伏せた。


「珍しいことを言うな」


「今のは忘れてください」


「無理だな」


「お父様…」


「だが、悪くない」


「…そうですか」


彼女は、わずかに視線を逸らした。

完璧に見える少女の、そこだけは年相応だった。


恋愛などお花畑。

そう切って捨てるのは、本心でもある。

だが心の奥の、誰にも見せていない場所には、少しだけ憧れもある。

自分と並んで立てる誰か。

自分の能力だけでなく、努力も、矜持も、善良さも理解できる誰か。


そんなものが本当にいるとは、まだあまり思っていない。

だからこそ、口にするには少し痛いのだ。


彼女は優雅に立ち上がった。


「お父様」


「なんだ」


「もし、その男が本当に村を起こしているなら」


「どうする」


「私も、その物語を綴ってみたいと思います」

「そして、ただ座るだけではなく」

「もっと大きくできるか、試してみたい」


その言葉に、ヒカシューはしばらく何も返さなかった。

娘は、やはり娘だった。


傷ついて終わる女ではない。

座を失えば、次の座を見に行く。

しかも、自分で盤面ごと作り変えるつもりで。


「よろしい、もう少し見極めよう」


「承知しました」


彼女は一礼して下がった。

扉が閉まる。


ヒカシューは、その背をしばらく黙って見送った。


新大陸の侯爵家分家。

若き当主レオ。

我が娘、セラフィーナ=ウインザルフ。


この縁談は、ただの婚姻話では終わらないかもしれない。

そんな予感が、静かに形を持ち始めていた。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

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