幕間④ ウインザルフ公爵家
この話は、使者の往復や、手紙の文面で済ませる類のものではなかった。
侯爵家当主カイゼル=アルヴェインは、先触れを出したうえで自ら公爵家へ出向いた。
帝都でも指折りの大貴族、ウインザルフ公爵家。
正門からして、侯爵家とはまた違う格を見せつけてくる。
威圧のための豪奢ではない。
当然そうあるべきだという顔で、広大な屋敷と庭と、整え抜かれた使用人たちが並んでいる。
カイゼルは馬車を降りた時点で、胸の内で一度だけ息を整えた。
面白くない話だ。
だが、使える話でもある。
その感覚を隠し、貴族らしい穏やかな顔を作る。
案内された応接間も、無駄がなく広い。
あからさまに成金じみた装飾はない。
だが、使われている木材も、飾られた絵も、何もかもが本物だった。
しばらくして、扉が開く。
入ってきたのはウインザルフ公爵家当主、ヒカシュー=ウインザルフだった。
年は四十代後半か、五十に近いか。
背は高く、痩せてはいないが贅肉もない。
娘と同じく、あの一族の血を示す淡い銀髪を持っているが、こちらは冬の月光というより、研ぎ澄まされた刃のような色だった。
顔立ちは整っている。
だが柔らかさはない。
目元に浮かぶのは、笑みではなく観察だ。
カイゼルは立ち上がり、一礼した。
「本日はお時間をいただき、感謝申し上げます」
「侯爵自らお越しになるとは、よほどの話なのでしょうな」
声音は静かだった。
だが、最初の一言からすでに探りが入っている。
本人が来る以上、軽い話ではあるまい。
カイゼルも曖昧には逃げなかった。
「家同士の話にございます」
「ほう」
ヒカシューは正面へ腰を下ろし、カイゼルにも着席を促した。
「では、率直に伺いましょう」
遠回しに入る余地はない。
カイゼルもそれを承知で来ている。
「本日は、縁談の話を持ってまいりました」
ヒカシューの表情は動かなかった。
だが、ほんのわずかに目が細くなる。
「我がアルヴェイン侯爵家分家当主、レオの縁談として」
「御息女、セラフィーナ様のお名を考えております」
そこで、ようやく部屋の空気が少しだけ変わった。
ヒカシューは茶にも手を伸ばさず、ただカイゼルを見た。
「なるほど」
声は平坦だ。
だが、それがかえって重い。
カイゼルは続けた。
「ご存じかとは思いますが、レオは現在、新大陸西部において独立分家として開拓村を運営しております」
「西部でも噂になっておりますな」
そこで、カイゼルはわずかに目を細めた。
やはりもう掴んでいる。
この家が、その程度の情報を知らぬはずがない。
「まだ小規模ではありますが、農地、水路、交易の道筋が整い始めております」
「将来性のある地です」
「それは、侯爵家としての評価ですか?」
静かな一撃だった。
つまり問うているのだ。
それは本家から見た都合のいい将来性か。
それとも、本当に家格を動かすに足る評価か。
「家としても、兄としても」
「将来性があると見ております」
「兄として、ですか」
ヒカシューはわずかに復唱した。
その言い方には、明らかに刺があった。
「ずいぶんと、都合のいい優しさですな」
「そう聞こえますか」
「新大陸へ独立分家として切り出した弟が、思いのほか形になってきた」
「そこへ、本家の兄が良縁をと持ち込む」
「美談に見えなくもない」
カイゼルの指先が、机の上でほんのわずかに止まる。
この男は、やはり厄介だ。
遠回しな皮肉など、最初から通じる相手ではない。
「否定はいたしません」
「打算がないと言えば、嘘になる」
「ほう」
「家同士の婚姻に、打算がない方が不自然でしょう」
ヒカシューは、その返答にはほんのわずかに口元を緩めた。
笑みというほどではない。
そこは分かっているかという反応だった。
「少なくとも、夢物語を語る気はないらしい」
「続けてください」
「ありがとうございます」
カイゼルは、そこで話の芯をもう一段押し出した。
「今回の縁談は、単なるご息女の再配置として考えているわけではありません」
「新大陸の新しい拠点へ、公爵家が一枚噛む余地を持つ話でもあります」
ヒカシューの目が、今度ははっきりと変わった。
そこへ来たか、という目だった。
「魔物素材の流れ、新大陸の将来価値、今後の交易路」
「そうしたものに、公爵家が関与しうる位置を得る」
「その意味でも、この縁談は悪くないと考えております」
「ようやく、こちらが聞くに足る話になってきましたな」
「つまり、我が娘を慰めとして嫁がせるのではなく」
「利を生む位置へ置く、と」
「そうです」
「少なくとも、そう見える話にするつもりはございます」
「見える話、ですか」
「家同士の婚姻は、見せ方もまた価値のうちですので」
ヒカシューはそこで、初めて茶へ手を伸ばした。
ひと口だけ飲む。
その間、侯爵は何も言わなかった。
「一つ、確認したい」
「なんでしょう」
「レオ殿本人は、この話を知っているのですか」
そこは、カイゼルも少しだけ間を置いた。
「まずは、公爵家のご意向を伺うべきと判断しました」
「本人の意向を取る前に、家同士の枠を先に固めようとしている」
「そうとも言えます」
ヒカシューの表情は、また少し冷えた。
「我が娘を、ずいぶん都合の良い首輪として見ておられる」
「それは違います」
「違いませんな」
「首輪になるだけのご令嬢でないことは、重々承知しております」
「むしろ、あの新大陸の村を一段上へ引き上げるに足る方だと考えたからこそ」
「御息女のお名を挙げております」
その言葉は、追従ではない。
かなり本音だった。
実際、公爵令嬢ほどの女が入れば、レオの村は変わる。
いや、村だけでは済まない。
もっと上の形を持ち始めるだろう。
ヒカシューも、それが分からない男ではない。
「娘を、高く買っていただいているようで」
そこで声が一段冷えた。
「ですが、買う側ばかり都合のよい話にも聞こえる」
カイゼルは、そこでほんのわずかに笑った。
「そこは、公爵閣下が交渉で釣り合わせるべきところでしょう」
「我が方も、安く済ませるつもりはありません」
「ほう」
「ご息女を迎えるなら」
「後ろ盾だけでなく、立場も相応に整える必要がある」
「それも含めて、今日は打診にございます」
ヒカシューは、そこでしばらく何も言わなかった。
応接間には、暖炉の火の音だけが小さく響く。
軽く流せる話ではない。
だが、切って捨てるには惜しい。
それが、今この場の本音だった。
「話は理解しました」
「ありがとうございます」
「まず、娘の意向も見ます」
「その上で、公爵家としての利も、危険も、整理します」
「ええ」
ヒカシューの目がまっすぐカイゼルを射ぬく。
「レオ殿本人が、どこまで家を背負える男なのか」
「そこも、こちらで見たい」
「それも当然でしょう」
「もし、ただ運のよい開拓者にすぎぬなら」
「我が娘を出す価値はありません」
「逆に器があるなら、この話は化けますな」
カイゼルは、ゆっくりと頷いた。
「その見立てには、同意いたします」
「本日のところは、打診として受け取りましょう」
そこで、話は一度区切られた。
結論は出ていない。
だが、門前払いでもない。
カイゼルにとっては、それだけで十分な前進だった。
見送ったあと、ウインザルフ公爵はすぐに結論を出さなかった。
こういう時に、一人で考え込むのは悪手だと知っている。
家の話であり、娘の話であり、そして公爵家の今後に関わる話でもある。
だから彼は、まず側近たちを呼んだ。
場所は、公爵家の内向きの会議室。
応接間ほど飾り立ててはいないが、必要な者だけが入る部屋だ。
集まったのは四人。
家令。
財務を見ている文官。
帝都の空気に通じた老臣。
そして、公爵家の対外折衝を長く担ってきた腹心の一人。
ヒカシューは上座へ座り、無駄な前置きなく話を切り出した。
「侯爵家から縁談の打診が来た」
「相手は、侯爵家分家当主レオ」
「新大陸西部の開拓村を押さえつつある男だ」
四人とも、表情はすぐには動かなかった。
だが、目の奥では計算が走っている。
一番先に口を開いたのは老臣だった。
「侯爵家が、ですか」
「そうだ」
「婚約破棄の傷が、まだ帝都で乾き切っておりません」
「だからこそ、だろうな」
ヒカシューは、そこで静かに続けた。
「まず共有しておく」
「婚約破棄の件については、正式な形ではないが、裏から詫びは入っている」
「陛下が直々に私へ詫びを入れた」
その一言で、場の空気がわずかに変わった。
そこは、公爵家として絶対に踏み外してはならない線だからだ。
皇太子による理不尽、それはたしかに許し難い。
だが同時に、皇室そのものと正面から対立する話へ持ち込むのは違う。
しかも、陛下自らが頭を下げた。
それは、帝国の政治の中では極めて重い。
家令が慎重に口を開く。
「表向きの傷は残っていても、裏ではけじめはついている、と」
「少なくとも、私はそう受け取っている」
財務官が、そこで頷いた。
「公爵家といえど、皇室と正面から対立するのは避けるべきですな」
「陛下が直々に詫びを入れた」
「それを無視してなお足りぬとやるのは、家の理屈として美しくない」
そこは、全員が異論なく共有していた。
婚約破棄そのものは理不尽だ。
だが、皇室側も裏では頭を下げている。
その事実がある以上、公爵家は被害者の怒りだけで動くことはできない。
「今回の話は、婚約破棄の穴埋めとして見るべきではありませんな」
「そうだ。そこを混ぜると話が濁る」
「別の話として切り分ける」
「新大陸の侯爵家分家との婚姻が、公爵家にとって利か不利か」
「まずはそこだ」
腹心の一人が、ゆっくり口を開く。
「アルヴェインの意図は、かなり明白ですな」
「分家へ首輪をかけたい」
「だが、正面からは触れない」
「だから婚姻で絡め取る」
「非常に帝都らしい話です」
「その通りだ」
財務官は、別の角度から切り出した。
「ただし、利もあります」
「言ってみろ」
「新大陸です、まだ荒い」
「だが、荒いからこそ伸びしろがある」
「しかも、侯爵家分家の村はすでに形になりつつある」
「完全な博打ではなくなっている」
老臣が眉を寄せる。
「問題は、侯爵家が本気で利を分ける気があるかです」
「お嬢様だけ送り込んで、実は都合のいい飾りにしたいだけではないか」
「そこはあり得る」
「それなら、それで逆に読みやすいですな」
「どういう意味だ」
「利を独占したいなら、相手は必ず急ぎます」
「逆に、本当に新大陸を大きくしたいなら、当家にも役割を置きましょう」
「見極めは可能かと」
「なるほど」
ヒカシューは指先で机を軽く叩いた。
「この話は、娘の傷の始末ではない」
「新大陸の拠点へ、公爵家がどこまで関与するかの話として切るべきだ」
「その通りです」
家令が頷く。
それを見て、ヒカシューが続ける。
「でだ、レオという男をどう見る」
そこで、少しだけ間が空いた。
侯爵家の三男。
分家として独立。
新大陸で村を起こした男。
それだけでは、まだ材料が足りない。
だが、見えるものもある。
最初に答えたのは老臣だった。
「若い。若すぎるとも言えます」
「だが、若いまま結果を出し始めている」
「そこは無視できません」
家令も続ける。
「追い出された分家の若殿が、辺境で数か月で形だけ整えた、という話ではないでしょう」
「商人が定期的に入っている」
「職人も流れ込んでいる」
「それは、運が良かっただけでは難しい」
財務官は現実寄りだった。
「ただし、まだ小さい」
「村の規模も、収支も」
「それを埋めるのが、公爵家の後ろ盾とお嬢様ご本人の能力でしょう」
「逆に言えば、相手が器でなければ、当家だけが一方的に支える形になります」
「その場合、この縁談は失敗です」
ヒカシューは、そこで小さく頷いた。
娘を出す以上一番大事なのは、ただ行き先があるかではない。
あの娘の隣に立つ価値のある男かどうか、その一点だ。
「結論としては、切るには惜しい」
「だが、飲むには早い」
「相手の器と新大陸の実態を、もっと精査すべきだな」
全員が、それに頷いた。
侯爵家が話を持ち込んだ。
なら、公爵家はその全てを見定める。
飲むかどうかは、その後だ。
「お嬢様には?」
家令が問う。
「まだ話さぬ」
「承知しました」
「ただし、長くは引っ張らない」
「あの娘には、曖昧なまま待たせないほうがよい」
「御意」
その一言に、部屋の空気が少しだけ静かになった。
父としての顔だった。
公爵家当主として話を読み、大貴族として利を見る。
それでも娘へは、曖昧なまま余計な希望も失望も抱かせない。
会議は、そこで終わった。
結論はまだない。
だが、方向は定まった。
婚約破棄の件は、裏ではけじめがついている。
だから、皇室とこれ以上正面からはやらない。
その上で、新大陸の侯爵家分家との縁談は、別の話として見る。
公爵家に利があるか。
娘を出す価値があるか。
そして、相手が隣に立つに足る男か。
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