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小話① 公爵令嬢は落ちない

理不尽だった。

あまりにも、理不尽だった。


帝国の皇太子が、公爵家の嫡女との婚約を、よりにもよって人前で切り捨てる。

しかも理由が、真実の愛。


笑わせる。


真実の愛などという甘い飾り言葉の下にあったのは、ただの色迷いだ。

見目の良い、か弱く愛らしいものへ手を伸ばし、自分が選ばれた男、自分だけが救える男、自分だけを見てほしい男として酔っていただけ。


愚かだった。

そして、軽かった。


あの男爵令嬢も同じだ。


彼女は別に、皇太子を愛してなどいない。

愛しているのは、自分が選ばれた女として見上げられる構図だ。

誰よりも可愛らしく、守ってやりたくなり、男の心を掴める女だと。

そう証明する舞台として、皇太子が一番都合が良かっただけ。


中身は空だ。


皇妃になる覚悟もない。

帝国を背負う器もない。

宮廷という獣の檻で、笑いながら人を使い、毒を飲ませ、血筋と派閥を捌き切る胆力もない。


あるのは、自分を見てほしいという飢えだけ。

褒めてほしい。

選んでほしい。

庇ってほしい。

全ての女に勝ったと、そう思いたいだけ。


承認欲求をレースで縫い上げたような女だった。


だが、あれほど見え透いている女が、なぜ皇太子の前に現れ、なぜあそこまで都合よく入り込めたのか。

答えは一つだ。


教会。

いつも神を口にしながら、指先では人の欲を数えている連中だ。


帝国に対して思うところがあるのだろう。

あるいは、帝国が強すぎるのが気に食わぬのだろう。

だからこそ、駒を差した。


皇太子の目に留まる位置まで、無垢で可憐で、だが身の程を知らぬ小動物を押し上げた。

偶然を装い、慈悲を装い、善意を装いながら。


そして皇太子には、真実の愛という名の甘い毒を与えた。


責務より恋が尊い。

家より心が大事だ。

古いしがらみを壊す自分は特別だ。


そう囁き続ければ、もともと軽い男は簡単に酔う。

あの男は、恋に落ちたのではない。

恋に落ちる自分へ酔ったのだ。


その結果がこれだ。


婚約は砕け、公爵家の面目は潰され、帝国の継承に傷が入り、宮廷には無用な亀裂が走った。


理不尽だった。

あまりにも、理不尽だった。


けれど、だからどうした。


値踏みのできぬ男に、婚約者として切られたところで、私の価値が落ちるわけではない。

落ちたのは、帝国の未来を担うはずだった座の品位だ。

晒されたのは、私ではない。

皇太子の器の浅さと、教会の浅ましさと、男爵令嬢の空虚さだ。


私は知っている。


玉座とは、座った者の重みで輝く。

冠とは、被せれば誰でも似合う飾りではない。

支えるだけの知恵も、胆力も、責任もない者が触れれば、たちまち玩具へ堕ちる。


愚かな皇太子に元々未練などはない。

男爵令嬢に怒りもない。

教会の浅知恵には、呆れるほかない。


ただ、このまま静かに幕を引くのは美しくない。


泣き伏して、傷ついた令嬢の役を演じる気もない。

憎しみに顔を歪め、相手を引きずり下ろすためだけに泥へ降りるつもりもない。


もちろん、必要なら容赦はしない。

だが、相手と同じ地べたで噛み合うのは、敗者の作法だ。

私の矜持が、それを許さない。


ならば、するべきことは一つ。

より高い場所へ立つことだ。


誰の隣に立つかではない。

どの玉座を選ぶかでもない。

与えられた席へ優雅に座って見せることですら、もう足りない。


必要なら、新しい玉座そのものを作ればいい。


皇太子妃の座が穢れたなら、それ以上の立場を築けばいい。

帝国の内で品位を失ったなら、帝国の外にまで届く力を持てばいい。


教会が駒を差したのなら。

皇太子が恋に溺れたのなら。

男爵令嬢が舞台の中心へ立ったつもりでいるのなら。


私は、その舞台ごと過去にしてやればいい。


ああ、理不尽だとも。


だが理不尽は、人を折るものではない。

器の小さい者には毒になる。

けれど、器の大きい者には、ただ輪郭を研ぐ砥石にすぎない。


見ているといい。

すべての上に立つものが何かを。


私は落ちない。

私は沈まない。

私は、もっと高い場所へ行く。

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