第76話 空の札
夜の西柵は奇妙な光景になった。
村の内側では、レオの腕の中でぐったりしているアリス。
その横で、心配そうな顔で立つガーネット。
足元をうろうろするアカネたち。
そして柵の向こうには、瀕死を脱した飛竜がいる。
誰も、こんな夜を想像していなかっただろう。
ガレスが、やれやれと首を振る。
「どうする」
「今の時点で、もう討伐は簡単じゃねえ」
テオドールは、そこで静かに整理した。
「現状を確認します」
「母親飛竜は、瀕死を脱しました」
「卵もあり、こちらは応急的に介入した」
「放っておくという選択肢は、もうかなり薄いと思います」
「そうだな」
レオは同意を示す。
「だからこそ、夜明けまでに方針を決める必要があります」
「討つのか、引き取るのか」
「それとも、別の形を探すのか」
イルゼが飛竜の様子を見ながら、言葉を選ぶ。
「領主様、一つだけ言っとくよ」
「聞こう」
「私の見立てだと、峠は越えてるよ」
「このまま、栄養を取れるなら回復すると見てる」
「だから、助けるなら腹を括って助ける」
「危険だから処理するなら、それも今」
「中途半端に生かして、朝になってからまた悩むのが一番まずい」
レオは西の柵の向こうを見た。
焦げ茶の飛竜は、今は静かだった。
卵を抱えたまま、ただこちらを見ている。
敵意は薄い。
だが、それだけで安心できる相手でもない。
このまま栄養を取れれば回復する。
イルゼはそう言った。
つまり、今夜のうちに決めなければならない。
村の近くに飛竜を置くのか。
あるいは、ここで終わらせるのか。
「一度、館に戻るぞ」
「そこで決める、夜明けまでにだ」
誰も反対しなかった。
ここまで来た以上、もう逃げられない。
ただの討伐でも、ただの保護でも、済まない段階に入っていた。
アカネが小さく鳴いた。
まるで、早く決めろと言うみたいに。
深夜の会議は、ガレスが口火を切って始まった。
「今のうちに始末した方がいい、向こうが弱ってるうちにな」
「ですが、こちらはもう手を出しています」
「助けた上で殺す、という形は村の中の空気としてもよくありません」
テオドールが老剣士へ諭すように言う。
「空気で飛竜はどうにもならん」
「ですが、村は空気でも崩れます」
バルドが手を挙げた。
「さっきの件は、大勢の村人が見てる」
「起きてる子供達もいた」
「俺は即討伐には反対だ」
イルゼが腕を組んだまま唸る。
「保護するにしても問題だらけだよ」
「食う量、寝かせる場所」
「回復した後に、こっちを食わない保証」
「卵が孵った後の面倒」
「助けるなら、最後まで見る必要があるよ」
レオは黙ってそれを聞いていた。
全部その通りだ。
討つにも問題がある。
助けるにも問題がある。
しかもどちらも、村の未来へ直結する。
「結局、飛竜一匹と卵一つのために、村ごと賭けるのかって話だ」
「言葉を介せるとはいえ、所詮は竜だ」
「人の手でどうこうできる存在じゃねぇんだよ」
ガレスの意見は一貫していた。
少しでも危険がある以上、討てだ。
「そうとも言えます」
「そして、そうではないとも言えます」
テオドールの口調は静かだが、含みのある口ぶりだ。
「なんだそりゃ、言葉遊びをしてる時間はないぞ」
「可能性の話です」
そこまで言って、テオドールは少しだけ間を置いた。
珍しく、言葉を選んでいる顔だった。
「帝国の北、小国連合の中に…」
「トラキア王国という小国があるのをご存じですか?」
「知ってる…竜騎士か」
ガレスが真っ先に答えた。
「帝国が過去何度か攻め込んで、全部返り討ちにあった国だな」
テオドールは頷く。
「ガレス殿の言う、竜騎士の国ですね」
会議部屋の空気が、そこでまた変わる。
エルマーが顔を上げる。
バルドはまだぴんと来ていない顔だが、嫌でも次を聞く顔になっている。
イルゼは眉を寄せ、レオはじっとテオドールを見た。
「トラキアは飛竜を幼い頃から手なずけ、騎竜としています」
「数こそ極小数、ですがその力は絶大です」
ガレスが少しばかりため息をつく。
それから、過去を思い出す様に言葉を続けた。
「帝国正規軍でも、あそこは迂闊に踏めねえ」
「俺も若い頃、一度参加したことがある」
「そうです」
「国力だけ見れば、帝国の一地方伯にも届かない」
「それでも、飛竜が空から戦場へ入るだけで、歩兵も騎兵も布陣が崩れる」
「城壁の意味も薄くなる」
「それが竜騎士です」
バルドが、そこでようやく口を開いた。
「テオドール、つまりお前は、飛竜を飼うって話をしてるのか?」
「可能性として、その価値があるという話です」
「今すぐ騎竜にできる、などとは言っていません」
「当たり前だ」
「言ったらぶん殴ってる」
ガレスがテオドールを薄めで睨んだ。
「もし卵を引き受け、孵し、育て、村に懐かせることができたなら」
「この村は、単なる開拓村ではなくなります」
「今のところ、アカネ達という前例もありますしね」
その言葉の重さが、部屋に落ちた。
エルマーが、ぽつりと呟く。
「空の札、か」
「そうです」
「しかも、新大陸仕様の飛竜」
「旧大陸の常識では測れない」
レオは黙っていた。
だが、その沈黙は否定ではない。
可能性の話だ。
しかも、相当先の。
「テオドールの夢物語に聞こえるね」
イルゼが口を挟む。
「私もそう思います」
「じゃあ、なんで出したの」
「切り捨てるには大きすぎる可能性だからです」
テオドールはそこで、ゆっくりと言葉を継いだ。
「今の村は、本家の搦手も、帝都の火種も、春からの人口流入も全部抱えています」
「そこへ、簡単に触れない札が一枚増えるなら」
「村の未来そのものが変わる」
ガレスは腕を組んだまま、顔をしかめていた。
「理屈は分かる」
「だが、竜騎士の真似事なんざ、一地方村でできるもんか?」
「普通は無理です」
「ですが、普通の村なら、そもそも飛竜の卵を託されるところから始まりません」
「古代魔法言語で取引を持ちかけられることも、火尾鶏が魔石を吐くことも」
「そう言われると…まあ、そうだな」
エルマーがそこで、少しだけ口元を上げた。
「俺は嫌いじゃないぞ、その理屈」
「お前はそういうの大好きだろうな」
とレオ。
「大好きだ」
「知ってる」
バルドはまだ眉を寄せたままだ。
「確かに、すごい話なんだろう」
「でも、それって育てられたらの話だろ」
「そうです」
「懐いたら、だろ」
「そうです」
「懐かなかったら?」
「最悪です」
「そうだよなぁ」
「だからこそ、簡単には言っていません」
イルゼも、そこで現実側から切り込んだ。
「餌は?飛竜の子なんて、どれだけ食うかも分からない」
「そうですね」
「病気になったら?」
「未知数です」
「夢がでかい分、面倒もでかいね」
テオドールは、それでも退かなかった。
「ですが、それを承知の上で考える価値はあります」
「少なくとも、面倒だ捨てようで終わらせるには惜しい」
レオは、そこでようやく口を開いた。
「トラキアの竜騎士」
「それがどれだけ厄介かは、俺でも分かる」
「はい」
「空を持つってのは、そういうことだ」
「村一つの手に余る話でもある」
「それもその通りです」
「だが…だから絶対無理で切るのも、違うかもしれん」
「同感です」
ガレスが、その言葉を聞いてレオを見た。
「お前、そっちへ傾いたな」
「少しな」
「理由は」
「母親が言葉を知ってる」
「子も、ただの獣で終わらん可能性がある」
「そして、向こうから託してきた」
「そこまで揃ってて、面倒だから潰すはちょっと惜しい」
「惜しい…か」
「惜しい」
テオドールが、静かに頷いた。
「同感です」
エルマーがそこで、少しだけ真顔になった。
「ガレス、お前さんの気持ちはわかる」
「村だけじゃない、レオを危険な目に合わせたくないんだよな」
「そんなんじゃねぇよ、勝手なことをいうな魔法狂い」
「だが、竜騎士って手札が可能性としてあるならだ」
「今後の事を考えると、賭けてもいいんじゃないか?」
「どういう意味だ」
「最悪、アルヴェイン侯爵家と戦になっても飛竜が味方なら絶対負けねぇよ」
「それに、あの母飛竜はプライドが高いと見た」
「仮に生き残ったとしても、恩を仇で返すとは思えん」
「だがな…」
ガレスの沈黙を無視して、イルゼが鼻を鳴らした。
「私は、母飛竜をこのまま放置して、また死にかけるのは御免だよ」
「助けるならちゃんと助ける」
「その代わり、食わせる算段はお前らがつけな」
「そこは当然ですね」
テオドールが頷く。
ガレスはまだ完全には納得していない顔だった。
だが、もう今すぐ討つだけでは押し切れない空気も理解している。
「竜騎士…か」
「夢物語にしては、えらく物騒だな」
「そうですね」
「ですが、新大陸にはそういう物騒な夢が、現実になる余地があります」
ガレスの変化を感じたのか、テオドールが柔らかく返した。
それを聞いて、レオは少しだけ笑った。
「テオドール、たまに妙にいいこと言うな」
「たまに、ですか」
「毎回だと腹が立つ」
「理不尽ですね」
「でも、今回はいい」
会議は、そこでまた次の段階へ進もうとしていた。
ただの哀れみではない。
ただの危険排除でもない。
もし卵を取るなら、未来ごと取ることになる。
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