第74話 託された夜、明かされた力
飛竜は、再びゆっくりと頭を下ろした。
もう首を支えるのも辛いのだろう。
だが、黄金の視線だけはまだレオを見ている。
敵を見る目ではない。
少なくとも今は、願いを託そうとする目だった。
「ずるいな」
レオは、さっきアリスが漏らしたのと同じ言葉を、小さく口にした。
バルドが頭を掻きながら、レオに問う。
「じゃあ、どうする」
「卵を預かるのか」
「正気じゃない」
「でも、見捨てていいとも、今は簡単に言えん」
イルゼが飛竜を見た。
頭から尾まで、診るような目だった。
「母親の方は、もう長くないね」
「薬師目線でも分かる」
エルマーは飛竜を見たまま呟く。
「死んだら遺体は好きにしろ、か」
「つまり、対価は理解してる」
レオは、そこでしばらく黙り込んだ。
村のすぐ外に瀕死の飛竜。
母飛竜の願い。
古代魔法言語という、言葉を知る知性あるもの
どこを切っても、まともな話ではない。
だが、その上で考えなければならない。
今ここで討つのか。
見捨てるのか。
あるいは、託されるのか。
焦げ茶の飛竜は、もうほとんど動かない。
それでも、目だけはレオを見ていた。
答えを待つように。
レオは振り返り、その場の全員へ向けて話し始めた。
「向こうは、もう逃げられん」
「なら、こっちも勢いで答えを出す必要はない」
「ただし、見張りは増やす」
「村人は絶対に近づけない」
「卵をどうするかは、夜明けまでに決める」
ガレスは不満そうに息を鳴らした。
だが、完全には否定しなかった。
アリスは、飛竜を見たまま胸の前で小さく手を組んだ。
祈りなのかもしれない。
だが、口には出さない。
エルマーは黙っていた。
そして、隣のアリスをちらりと見た。
さっき母飛竜が言葉を発した時、アリスにも明らかな動揺があった。
この娘は古代魔法言語を理解している節がある。
魔法使いとしての勘が、そう告げていた。
テオドールは、すでに頭の中で次の段取りを組み始めている顔だった。
村へ戻れば、また会議だ。
そして、夜が明ける前に答えを出さなければならない。
レオは最後に、焦げ茶の飛竜へ向かって言葉を紡いだ。
「聞こえるかは知らんが」
「今すぐ答えは出せん」
「だが、聞いた」
「それだけは、本当だ」
飛竜は、ほんのわずかに瞼を動かした。
それが理解だったのか。
ただの痙攣だったのか。
誰にも分からない。
だが、その場にいた全員が、あれは何かを返したように感じていた。
その場の空気が、張りつめたまま揺れていた時だった。
エルマーが、ぽつりと言った。
「アリス…お前、ひょっとして母飛竜の言葉が分かったんじゃないのか」
アリスの動きが止まる。
松明の赤い光の中で、彼女の睫毛がわずかに震えた。
否定しようと思えば、できたはずだ。
だが、しなかった。
代わりに、ゆっくりとレオの方を見る。
その目には迷いがあった。
怯えもあった。
けれど、それ以上に確かめるような色があった。
この人なら、大丈夫だろうか。
ここで打ち明けても、笑われないだろうか。
聖騎士になりたいという夢を笑わず、女のくせに剣などと言わず、村の中でちゃんと役目をくれたこの人なら。
レオは何も急かさなかった。
ただ、まっすぐに見返した。
その顔を見て、アリスは小さく息を吸った。
そして、意を決したように口を開いた。
「すみません」
いつもの勢いのある声ではない。
少しだけか細い。
けれど、逃げない声だった。
全員の視線が、そちらへ向く。
アリスは焦げ茶の飛竜から目を外し、ぎゅっと外套の裾を握った。
「古代魔法言語、私も分かります」
エルマーが、ぴたりと動きを止めた。
レオも、テオドールも、ガレスも、アリスを見る。
後から合流したガーネットまで、珍しく表情を変えた。
「どういう意味だ」
レオがアリスを見つめたまま、静かな声で聞く。
アリスは一度、息を吸った。
「お母様から…聖騎士になるまでは、教会には言っては駄目だと言われてました」
「だから、黙ってました」
「何をだ?古代魔法言語のことか?
アリスは真正面から答えた。
「私、魔法が使えます」
「その…聖属性魔法が」
本当に一瞬、世界が止まったみたいな沈黙だった。
「は?」
魔法狂いの目が、本当に点になっていた。
レオも動揺を隠せないまま、アリスに返す。
「今、なんて言った」
「聖属性魔法が使えます」
ガーネットも、完全に聞いていない顔だった。
いや、聞いていないどころではない。
表情の作り方すら、一瞬分からなくなったみたいな顔だ。
「アリス、そんな話私は聞いていません」
「言ってなかったので…」
「それは今ので分かりました」
「すみません」
「すみません、ではありません」
バルドが口を開きかけ、イルゼも何か言いそうになり、テオドールも目を細めた。
聖属性魔法。
それは、ただ珍しいでは済まない。
教会にとっても、貴族にとっても、戦場にとっても、かなり意味のある力だ。
「待て」
レオの声が、そのざわめきを断ち切った。
低くはない。
怒鳴ってもいない。
だが、はっきり止まる声だった。
全員が、そこで言葉を飲み込む。
レオはアリスを見た。
「アリス、事情があるのは分かった」
「はい」
「その件は、とりあえず今はいい」
「え?」
「落ち着いたらもう一度話してくれ」
「は、はい」
レオにしては、かなり優しい声だった。
責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ただ今はそこじゃないと分かる声。
アリスは一瞬、呆けたみたいにレオを見た。
それから、肩の力が少しだけ抜ける。
やっぱり、この人なら大丈夫だった。
そう思ってしまった自分に、少しだけ熱くなる。
けれど今は、その安心にすがるように小さく頷いた。
「はい」
その返事は、さっきまでより静かだった。
レオはすぐに視線を外し、場を戻すように言った。
「それより、今は飛竜だ」
「秘密が一つ二つ増えたところで、目の前の問題は消えん」
「そうですね」
テオドールがすぐに乗った。
「アリス殿の件は後回しで構いません」
「いいのかよ!」
エルマーが声をあげる。
「よくないですが、今は飛竜の方がよほど重い」
「それはそうだが」
「魔法の才能の追及は、飛竜の後で好きなだけどうぞ」
「それは今すぐやりたい」
「駄目です」
そのやり取りで、ほんの少しだけ場の空気が戻る。
ガーネットはまだ完全には立ち直っていない顔だったが、それでもきちんと口を閉ざした。
さすがにそこは大人だった。
レオは改めて、柵の向こうの焦げ茶色の飛竜を見た。
呼吸は荒い。
目ももう半ば沈みかけている。
それでも、まだ意識はある。
卵もある、言葉もある。
そして今、こっちには新たに聖属性魔法が使えるかもしれないアリスという材料まで増えた。
だが、だからといって今すぐ答えが出るわけではない。
レオが纏めるように、全員を見た。
「整理するぞ」
「飛竜は瀕死だが生きてる」」
「言葉を喋った、交渉を持ちかけている」
「そして、卵を託したいと」
ガレスが腕を組んだまま言葉を吐く。
「状況は昼より悪い」
「今夜ここで、方針だけは決める必要がある」
テオドールも頷く。
「討つにしても、保護に近い形を取るにしても」
「中途半端が一番まずいですね」
エルマーが、まだ少しだけアリスを気にしている顔のまま、無理やり飛竜へ意識を戻した。
「レオ、ひとつだけ増えた材料はある」
「なんだ」
「聖属性魔法だ」
「治癒や鎮静の系統が使えるなら話は変わる」
「その件は後だ」
アリスは少しだけ躊躇ってからレオを見た。
「治癒は、少しだけならできます」
「でも、飛竜に効くかは分かりません」
それでも、材料は増えた。
増えたが、今は飛びつかない。
焦げ茶色の飛竜が、そこでまた低く息を吐いた。
その目はまだ、こちらを見ていた。
レオは一瞬だけ、その視線を正面から受け止める。
「今、答えを出す」
それが通じたかどうかは分からない。
だが、飛竜の瞼がほんのわずかに下がった気がした。
誰も、それを口にはしなかった。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




