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第69話 境界の冬、揺れる距離

ハルトの商会が帰ってから、村は少しずつ冬の顔になっていった。


雪はまだ降らない。

だが、朝の空気はもう鋭い。

吐く息が白くなり始め、井戸水へ手を入れるのが少し億劫になる程度には、季節が進んでいる。


風も変わった。

秋の終わりまでは、乾いていてもまだ柔らかさがあった。

今は違う。

枝の隙間を抜ける風が、細く、冷たく、肌を削るようになってきている。


レオにとって、初めての新大陸の冬だ。

狩場である森がどのような変化を見せ始めるのか、一度見ておこうと思った。


「冬だな」


森へ入る前、レオがそう呟いた。


今回の面子は五人だ。

レオ、ガレス。エルマー、アリス。バルド。

テオドールは不参加だった。

最近は冬前の備蓄確認と台帳整理に追われ、ほとんど部屋へ籠もっている。


アリスはやけに気合いが入っていた。

外套の下に鎧。

腰の祝福剣、左腕の銀のバックラー。

完全に冬前の森の様子見というより、これから敵地偵察へ出る聖騎士候補の装いだ。


しかも今日は、いつもより少しだけ落ち着かない。

返事は妙に元気で、視線はあちこち忙しいくせに、肝心のレオの顔を正面から見ると一拍だけ固まる。


昨日までのアリスなら、準備ができましたと胸を張って前へ出たはずだ。

だが今朝は違った。

剣帯を直しては、もう一度直し、

外套の裾を整えては、また触り、

レオに声をかけられるたびに、必要以上に背筋を伸ばしている。


意識しているのが、見て取れた。


それを見て、レオもつい視線を向けてしまう。

鎧の収まりはどうか。

剣の位置は邪魔にならないか。

外套の留めが甘くないか。

そう自分に言い訳しながら、気づけば目で追っていた。


「アリス、今回は戦いに来たわけじゃねえ」

「森を見るだけだぞ」


アリスが緊張してると思ったのか、ガレスが声を投げる。


「森を見ながら、必要なら戦います」


「勝手に前へ出るなよ」


「はい!」


「返事はいいんだがな」


とガレスが小さく笑った。


アリスはそこで一瞬だけレオを見た。

だが、すぐに逸らした。

それだけのことで、なぜかレオの方まで少しだけ変な気分になる。



森の入口を越えると、空気はすぐに変わった。


落ち葉はもうかなり積もっている。

踏むたび、かさり、かさりと乾いた音がする。

だが、その下の土はひんやりと湿っていた。


木々の葉もだいぶ落ちていて、夏や秋より見通しが利く。

その代わり、隠れるものも減る。

音も抜けるし、気配も拾いやすい。


「浅い層は静かだな」


レオが周囲を見渡しながら、呟く。


「静かではあるが、死んではいねえ」


ガレスが土を見ながら応える。

老剣士はしゃがみ込み、落ち葉を軽く払った。


「鹿の跡だ」


エルマーは周囲の木肌を見ていた。


「樹液も鈍くなってる」


「何が分かるんだ?」


レオが反応した。


「冬が近い」


「それは見れば分かる」


「魔法使いっぽいこと言ってみただけだ」


「相変わらずだな」


アリスは少し離れた位置で、真面目に森を見ていた。

ただし、真面目すぎるせいで、きょろきょろしすぎてもいる。

ガレスが諭すように言う。


「アリス、首を動かしすぎるな、目線を散らすな」


「え?」


「見張り台じゃないんだ。森でそれをやると、逆に目が滑る」


「なるほど」


「一点を見て、周りを拾え」


「はい」


「あと、足元も見ろ」


「はい」


素直だ。

こういうところは本当に教えやすい。


そして、少しずつ直っていく。

言われたことを変にこねず、まずそのまま試す。

そういう人間は伸びる。


レオはそれを見ながら、アリスへの評価を上げていた。

真っ直ぐすぎるし、勢いだけで突っ込みそうになる時もある。


だが、教えたことを吸うのが早い。

しかも根が素直だ。

それは戦う人間として、かなり大きい。


少し進むと、冬前の森らしい痕跡が増えてきた。


鹿の食み跡は高い位置まである。

鳥は地面の種を拾いに降りてきている。

小さな獣の巣穴も、入口が狭く整えられていた。


森は畑と違って、採ったら終わりが見えにくい。

だからこそ、目先だけで動くとすぐに痩せる。


「冬の間は、鹿より鳥だな」

「罠中心の狩りになる」


レオが全員を見渡しながら、言う。


「罠ですか?鳥なら弓で射落としたほうがよくありません?」


アリスが素直な疑問を口にした。


「雪が来たら足が鈍るし、こっちも動きたくない日がある」

「そんな時でも、罠は働く」


「なるほど!」


「大声を出すな、森が起きる」


「す、すみません」


アリスは頬を少し赤くして黙った。

叱られたからではない。

レオに注意され、そのあと普通に説明までされたからだ。

頭ごなしに笑われない。

女のくせにとも、教会の小娘のくせにとも言われない。

ただ、森の中で必要なこととして言われる。


それが、嬉しかった。


今のレオの横顔は真剣だった。

村を守る顔だ。

軽く喋っていても、森へ入ると空気が変わる。

その変化を、アリスは最近少しずつ知り始めていた。


だから、褒められたいと思ってしまう。

自分の剣も、動きも、きちんと見てほしいと思ってしまう。


その気持ちが、前よりはっきりしてきていた。



さらに進むと、前に打った境界の杭が見えてきた。


落ち葉の中から、紐の巻かれた杭が頭を出している。

まだ抜かれていない。

誰かに荒らされた様子もない。


「生きてるな」


ガレスが印を確かめる。


そして、その少し先。

森の空気が、またひとつ変わった。


静かだ。

だが、無音ではない。

音が引いている。


鳥の声が薄い。

小動物の気配も減る。

風はあるのに、木々の間の空気だけが少し重い。


前にも感じた気配だ。

姿は見えない。

だが、確実に奥からこちらを見ている。

怒ってはいない。

追い払ってもこない。

けれど、ここから先は違うと黙って伝えてくる気配。


「まだいるな」


レオが境界の向こうを見る。


「ああ、冬前でも変わらねえ」


ガレスも視線を送りながら同意する。


「縄張りは縄張りか」


「そういうことだ」


アリスは、じっと奥を見つめていた。


「戦う相手ですか」


「相手がその気なら、とっくに出てきてる」

「線を越えなければ、たぶん手を出してこない」


「線ですか…?」


「そうだ、こちらも越えない」

「今はまだ超える時じゃない」


アリスは、それを聞いて真面目な顔で頷いた。

こういう戦わない判断を教えられるのも、たぶんこの村へ来た意味の一つだろう。


そしてレオは、その横顔を少しだけ見た。

まっすぐ奥を見ている。

さっきまでの浮つきが消えている。

教えたことを、ちゃんと自分の中へ落としている顔だ。


悪くない。

本当にそう思った。



見回りを終え、引き返す途中だった。

少し開けた場所で、ガレスがふいに言った。


「少し休むか」


一行は倒木のあたりで足を止めた。

水を飲み手袋を直し、息を整える。


その時、アリスが少し離れた場所で剣を抜いた。

祝福された剣が、冬の薄い光を拾う。


「何してる」


レオが声を掛ける。


「少しだけ、型を流しておこうかと」


「ここでか」


「身体が冷える前に」


誰も止めなかった。

止める理由もない。


アリスはそこで、静かに剣を構えた。

それは、思っていたよりずっと正統な騎士剣の型だった。


足運びに無理がない。

肩へ余計な力も入っていない。

剣筋も真っ直ぐで、変な癖が少ない。

見栄えだけの型ではない。

きちんと教わり、きちんと積んできた人間の動きだ。


レオは少しだけ目を細めた。

アリスの剣は、いい意味でまだ綺麗だった。


真っ直ぐで、正しくて、迷いが少ない。

戦場の泥や、搦手や、相手の悪意へ何度も突っ込んで削れた剣ではない。

だからこそ、伸びしろが見える。


そして少しだけ、羨ましくもある。

自分の剣はもう、そういう剣ではない。

泥にまみれた剣だ。

生き残るために、綺麗さより先に効率と実を取ってきた剣だ。


それが悪いとは思わない。

思わないが、アリスの真っ直ぐな剣を見ていると、失くしたものの形だけは少し思い出す。


「どうですか」


型を終えたアリスが、少しだけ息を弾ませながら聞いた。

他の誰にでもなく、レオに向けて。


レオは正直に答えた。


「真っ直ぐで、いい剣だ」


アリスは、そこで完全に止まった。

ただ、自分の剣そのものを見て、いい剣だと言われた。

それが、こんなにも嬉しいとは思っていなかった。


レオは少しだけ考えてから言った。


「今は長所を伸ばせ」


「今は?」


「生き死にの場へ何度も突っ込むと、剣はどうしても汚れる」

「その真っ直ぐさは、持ってて損はない」


「はい」


アリスは、頬が熱くなるのを感じた。

寒い森の中なのに、自分だけ少し熱い。

この人は、やっぱり笑わない。

ちゃんと見て、ちゃんと答える。


色々と自覚するには、まだ少し時間が要った。

けれど、その入口にはもう立っていた。


そしてアリスもまた、レオの剣を見ていた。

その笑顔がひどく嬉しそうで、レオは少しだけ目を逸らした。

自分でもよく分からない。

だが最近、こういう顔をされると、妙に視線の置き場に困る。


けれど結局、少し離れた位置からまた見てしまうのだ。

笑っている顔も、剣を構え直す姿も、返事のたびに表情がころころ変わるところも。


なんだかんだで、目で追ってしまう。



さらに少しだけ周囲を見回り、五人は引き返すことにした。


冬前の森は、まだ使える。

獣もいる。

鳥も落とせる。

罠の筋も考えられる。

だが、欲張りすぎる時期ではない。


そして何より、境界の向こうの主もまだ動いている。

そこが確認できただけでも、今日の収穫は大きかった。


「帰ったら、バルドの方から狩猟班に話をしてくれ」


「冬の狩りは数を欲張るなだ、な」


アリスは少し考えてから言った。


「レオ様、子供たちにも森の手前までですね」


「お前も、子供と走り回るのは杭の内側だけにしろ」


「はい」


「今、少しだけ嫌そうだったな」


「少しだけです」


「分かりやすいな」


「よく言われます」


その返しに、ガレスが小さく笑った。


アリスは少し前を歩くレオの背中を見ていた。

さっき褒められた剣のことが、まだ胸の奥で温かい。

しかも、今はこうして普通に話してくれる。


気を抜くと、また頬が熱くなりそうだった。


一方でレオも、前を歩きながら少しだけ後ろの気配を拾っていた。

アリスは足音が分かりやすい。

鎧も鳴るし、息遣いも隠さない。

だから気にしていないふりをしていても、存在がすぐ分かる。


それだけではない。

さっきの剣の型も、真っ直ぐな返事も、まだ頭に残っていた。

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