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第66話 アルヴェイン侯爵家

ハルトは、茶をもう一口飲んでから、少しだけ顔をしかめた。


「さっきも言った通り、この村は西部じゃそこそこ噂になってる」


「ああ」


「帝都ではまだ、そこまでじゃない」

「だが、侯爵家の耳には入ってるぞ」


レオの目が、ほんの少しだけ冷えた。

ガレスは腕を組んだまま動かない。

だが、その沈黙の重さで十分だった。


「確かか」


「確かだ、西部の寄子衆の耳に先に入った」


「寄子衆?」


とテオドールが聞き返す。


「侯爵家本家に連なる、あの辺の小領主や役付きの連中だ」


「商人や、戻ってきた開拓失敗組から噂を拾ったわけですね」


「そういうことだ」

「で、そこから新大陸でレオ様の村が妙にうまく回り始めてるって話が、上へ上がった」


「本家が直で嗅ぎつけたというより、寄子筋から報告が積み上がったと…」


テオドールが、筆を取りながら確認する。


「そっちの方が、むしろ本家らしいだろ」

「下の耳で拾って、上で品定めする」


「いつものやり方だ」

「だが、ありそうではある」


レオの声が低い。

その後は黙ったまま、ハルトを見ている。

笑いの消えた、完全な領主の顔だった。


少し間をおいて、ハルトが続けた。


「しかもな、向こうは村の噂だけじゃなく、お前自身の動きも掴み始めてる」


「俺の?」


「ああ」


「どこまでだ」


「教会へ手紙を出した件だ」

「それも、どこかで嗅ぎつけられてる」


「ガーネットの件か」


「たぶんな」


「誰に、何を頼んだかまで丸見えってほどじゃない」

「だが、教会筋へレオが接触した、くらいは知られてる」


「面倒だな」


ガレスが唸る。


そこで、ガーネットの指先がごくわずかに動いた。

表情は変わらない。

だが、今の話を他人事では聞いていないことは分かった。


「それだけじゃない、これはまだ噂の段階だが」


「早く言え」


「裏は取れてないぞ」


「それでもだ」


「リーゼロッテ様の実家だった下町のパン屋」

「そこにも探りが入ったって話がある」


「誰がだ」


とレオの声が低くなる。

ハルトが少し肩を竦めた。


「本家の手の者とは断定できん」

「だが昔、侯爵家へ上がった娘の縁を洗ってるって話は拾った」

「西部の噂と、教会への手紙と、お前の母親の実家」

「全部が繋がってるとは言い切れん」


部屋の空気が、一段重くなった。


レオはしばらく何も言わなかった。

だが、黙っているだけで感情の向きは分かった。


侯爵家、本家。

昔から、いくらでも人の足元を探ってきた連中だ。


「何か仕掛けてくる可能性が高い」


とハルトは続けた。


「特に、レオ」

「お前さん、分家としての独立権を持ったうえでここへ来ただろ」


「ああ」


「開拓村ごと独立分家にする、って形でな」


「そうだ」


客間の空気が、また少しだけ締まる。


「侯爵家としては、最初は失敗前提だったんだろうよ」

「本家じゃなく、あくまで分家がしくじったって形で話を畳むつもりだった」


「あり得るどころか、そういうつもりだったと考える方が自然です」


とテオドール。


ハルトは一度三人の顔を見てから、続ける。


「本家は傷つかない、責任は切り離した分家へ落ちる」

「お前が潰れれば、辺境で勝手に死んだ三男坊って話で終わる」


「そうだろうな」


レオは、そこで小さく息を吐いた。

驚きはない。

ただ、改めて言葉にされると骨へ来るものがある、そんな顔だった。


「だが、話が変わったということか」


レオがハルトを真っすぐ見据えながら言った。

その声は低い、けれどはっきりしていた。


「村が回り始めたからな」


「そうだ、失敗前提の捨て札が思ったより形になってる」

「しかも西部で噂になるくらいにはな」


テオドールが静かに口を挟む。


「そして、独立分家である以上」

「侯爵家といえど、正面から取り上げる、潰すとはやりにくいということですね」


「分家といえど、独立した家は独立した家だ」

「本家だから何でもできる、ってわけじゃない」


「面子もありますしね」


テオドールも頷く。


「侯爵家が、わざわざ成功しかけてる分家へ露骨に難癖つける」

「それはそれで、帝都の他家から見て聞こえが悪い」


レオは茶を手に取った。

一口だけ飲む。


「だから、正面からは来にくいってわけか」


商人の口元が少しだけ歪んだ。


「だから搦手で来るぞ、恐らく」


「嫌な言い方だな」


ガレスが鼻をならす。


「嫌な相手だからな」


ハルトが茶を飲みながら返した。


「例えば?」


レオが少しだけ身を乗り出す。

ハルトは指を一本立てた。


「まず使者、様子見の顔で来る」


「ありそうだな」


「次に数字」


「数字?」


「分家の権利だ、独立だ、開拓の名分だ」

「そういう書面の穴を突いてくる可能性がある」

「お前が知らない昔の取り決めとか、本家有利の解釈をな」


「面倒だな、それは」


もう一本、指が立つ。


「あと、人だ」


「人?」


「手伝いましょうって顔で差し込んでくる」

「本家付きの会計係、監督役、親切な相談役」


「全部嫌だな」


「だろう、本家は目を入れたいのさ」


「反吐がでるな」


ガーネットは部屋の隅で静かに立ったままだったが、その表情は少しだけ硬くなっていた。

貴族の屋敷で長くいた人間には、こういう親切の顔をした紐が一番よく分かる。


テオドールが少しため息を付きつつ口を開く。


「露骨に取りに来るより、よほど厄介ですね」


レオは、そこで少しだけ目を伏せた。

侯爵家のやり方として、あまりにもそれらしい。

直接は殴れない。

なら、笑顔で紐をかけてくる。


ハルトは、そこで少しだけ前へ身を乗り出した。


「だから言っとく」

「春から人が増えるのはいい」


「分かってる」


「村が膨らむのもいい」

「だが、その前に」

「この村が誰の村で、どういう理屈で立ってるかを、ちゃんと固めとけ」


「権利関係ですね」


とテオドール。


「そうだ」

「口約束と空気だけじゃ危ねえ」

「独立分家としての立場」

「開拓村の所有」

「人と土地と、水路と、どこまでがお前の裁量か」

「そこを曖昧にしたまま膨らむと、後から刺される」


レオは、静かにハルトを見返した。


「つまり、春までに村の足腰だけじゃなく」

「理屈も固めろってことか?」


「そういうことだ」


ガレスが低く笑う。


「面倒な話ばっか増えるな」


「村が大きくなるってのは、そういうことだ」

「畑と水路だけじゃ済まなくなる」

「貴族の理屈も、商人の理屈も、いずれ入ってくる」


「分かってる」


レオが深く頷く。


「ならいい」


部屋は静かだった。

西部で村が噂になり、人が集まる。

春には膨らむかもしれない。


それはいい話だ。

だが同時に、その噂は本家にも届く。

そして本家は、正面からではなく搦手で来る。


それが悪い話だった。

けれど、ハルトがわざわざ今この場で話したのは、まだ間に合うからだ。


レオは、茶器を置いた。

音は小さい。

だが、その顔はもう決まっていた。


「分かった、春までに村の理屈も固める」

「本家が笑顔で紐をかけてきても、簡単には引かれないようにな」


「それでいい」


ガレスが、横レオを見ながらぼやく。


「お前、また仕事増えたぞ」


「でも、嫌じゃない」


「そうだろうな」


「そこまで来たってことだからな」


「…ああ」


部屋の隅で、ガーネットがほんのわずかに目を伏せた。

昔の侯爵家の空気を知る人間として、今の会話の重みを一番よく分かっている顔だった。


新大陸の村は、もう見捨てられた開拓地ではない。

だからこそ、本家にも見つかる。


それは、成長の証であり、同時に火種でもあった。

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