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第65話 春を呼ぶ噂、帝都の火種

ちょうどその時、リーナが茶を運んできた。

扉を静かに開け、足音を立てずに入り、盆を机へ置く。


まだ少し緊張は見える。

だが、手元は乱れていない。

ガーネットに仕込まれているのが分かる動きだった。


「失礼します」


「ありがとう、リーナ」


湯気の立つ茶器が並ぶ。

香りは強すぎない。

客間にちょうどいい温度と匂いだった。


リーナが下がろうとしたところで、テオドールが入ってきた。

南の斜面の件は、エルマーたちに任せて戻ってきたらしい。

ハルトが何か面倒な話を持ち込んでいるのではないかと読んだのだろう。


リーナが最後に一礼し、扉が閉まる。

その静けさを待ってから、ハルトは茶へ手を伸ばした。


「で」


商人は一口だけ飲み、わずかに息を吐いた。


「次がキナ臭い話だ」


「聞こう」


レオも少しだけ身構える。


ハルトは少しだけ声を落とした。


「春前あたりだ。ちょうど、お前らが新大陸へ来た頃になる」

「帝都で、ちょっとした事件があった」


「ちょっとした、で済む顔じゃないな」


付き合いの長いガレスが、察するように言った。


「すまん、商人の癖だ」


それから、さらに声を落とす。


「立太子されていた皇太子がな」

「婚約者であるウインザルフ公爵令嬢に、婚約破棄を叩きつけた」


「は?」


レオは素で驚いた声を出していた。


「陛下にも、公爵家にも、他の貴族にも、ろくな根回しなしでだ」


「馬鹿かその皇子様は」


ガレスが薄く笑う。

部屋の空気が、一段冷えた。


レオは茶に手をつけるのも忘れていた。

横でテオドールの顔が、すっと真顔になる。

そのまま、テオドールが口を開いた。


「それは、かなりまずいですね」


「かなりどころじゃない」

「帝都じゃ、その話でしばらく酒がうまかった」


「お前の感想が最低だな」


レオが顔をしかめながら言う。


「商人だからな」


「そこに逃げるな」


だが、ハルトの言う通りでもあった。

婚約破棄そのものが問題なのではない。

立太子された皇太子が、公爵家との婚姻という政治そのものを、根回しなしでぶち壊した。


それが致命的だ。


「そこへ第二皇子が、ここぞとばかりに噛みついた」


「やりそうだな、あのぼんくらは」


何か思うところがあるのか、ガレスの口が悪い。


ハルトは気にせず続けた。


「帝国の未来を担う者の振る舞いではない、とな」

「しかも、最初から機を窺っていた節がある」


「失点に飛びついたわけですね」


テオドールががメモを取りながら頷く。


「そういうことだ」


ハルトはもう一度茶を飲んだ。


「で、陛下も皇太子位を取り下げた」


「あの陛下にしては、早いな」


レオが少しだけ驚く。


「今は、第一皇子と第二皇子が水面下でバチバチにやり合ってる」


「表ではなく?」


「表でもやれりゃ楽なんだがな」

「今はまだ、帝室内の整理って顔をしてる」

「実際は、派閥集めと潰し合いだ」


ハルトはそこで少しだけ姿勢を変えた。


「特に第二皇子が厄介だ」


「あの戦狂いめ」


ガレスの表情が少し強張る。


「ガレスの言う通り、武と強硬策が大好きだ」

「国内で剣を振れないなら、外へ向く可能性が高い」


ハルトは指先で机を軽く叩いた。


「北の小国連合は北方伯の縄張りだ。さすがの第二皇子でも、勝手に手を出しにくい」


「東は?」


とレオ。


「東は天蓋山脈を挟んで、連邦と、その緩衝国であり回廊国家でもあるアルトフェンがあります」

「あそこへ本気で手を出せば、帝国軍全体の動員規模になりますね」


とテオドールが引き取る。


「そうだ、軽々しく触れる場所じゃない」

「で、南は海となると」


「西の新大陸か」


レオが頷いた。

その一言で、部屋がまた静かになる。


「次期皇位争いの材料にするために、新大陸へちょっかいをかける可能性がある」

「失敗続きの開拓を、俺が立て直してみせる、でもいい」

「外敵を討って帝威を示す、でもいい」

「とにかく、自分の武を見せる舞台として見始めるかもしれん」


ガレスが吐き捨て、腕を組んだまま唸る。


「ただの貴族の利権争いならまだいい」

「皇位争いに新大陸を巻き込まれると、村ひとつじゃ済まん」


「済まないでしょうね」


とテオドール。


ハルトは、そこで少しだけ肩をすくめた。

そのまま、レオに向けて話す。


「今のところは、そこまでの余裕はなさそうだ」


「どういう意味だ」


「第一皇子も第二皇子も、互いに帝都の足元固めで手いっぱいだ」


「大貴族の顔色を伺ってる感じか」


「ああ、今すぐ兵を新大陸へ回してどうこう、って空気じゃない」


「なら、まだましか」


「まだ、な」


その声には、まだ、を強調する響きがあった。


「陛下は?止めないのか」


「そこがまた妙だ」


商人は少しだけ笑った。

だが、その笑いは面白がっているようでいて、かなり乾いている。


「陛下がやる気がないのか、放置してるらしい」

「第一皇子と第二皇子が水面下でやり合ってるのを、な」


「完全な放置ではないのでしょうね」


とテオドールが静かに言う。


「たぶんな、少なくとも即座に潰す気は見えない」


「競わせている?」


とレオ。


「その可能性もある」

「あるいは、本当にうんざりしているだけかもしれない」


「帝室の話は面倒ですね、嫌な意味で先が読めません」


テオドールがぼやくようにため息をついた。


「そういうことだ」


レオはそこで、ようやく茶に手を伸ばした。

一口飲む。

少し冷めていたが、ちょうどよかった。


「つまり、今すぐ新大陸が帝室の争いに巻き込まれる可能性は低い」

「だが、将来的には火種になるかもしれないってことか?ハルト」


「そうだ、特に第二皇子が勝ち筋を求め始めた時は分からん」


ガーネットは部屋の隅で静かに立ったままだったが、その目だけはわずかに動いていた。

教会にいた頃、帝都の噂話は嫌というほど耳に入っていただろう。

今の話の重さも、きちんと理解している顔だ。


だが今は口を挟まない。

それがこの人の良さでもある。


ハルトは茶を置いた。


「これがキナ臭い話だ」


「十分キナ臭いな」


「春から人が増えるかもしれん」

「だが、その先には帝都の火種も転がってる」


部屋の中は、少しだけ重かった。


けれど、レオはそこで変に顔を曇らせなかった。

むしろ、少しだけ目が冴えたように見えた。


「春までに、村の足腰をもっと固める必要があるな」


「人が来る前にも、余計な目が向く前にも、ここは簡単には触れないって形を作っとけ」


「それができれば苦労しねえ」


「だが、お前の村は今まさにそこへ向かってる」


「そうかもしれんな」


「だから、俺はこの話をいい話の次へ置いた」


レオはそこで、少しだけ笑った。


「で、悪い話は?」


「それは、もっと現実的だ」


そう言ってハルトは、ほんの少しだけ口元を上げた。


客間の空気はまだ重い。

だが、話はまだ終わっていない。

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