幕間② 帝都の教会にて、想い出のガーネットと蒼瞳のアリス
ヒロイン(仮)登場会。
帝都の下町、石造りの小さな教会。
昼の祈りが終わったあと、ガーネットは一通の手紙を受け取った。
「あなた宛ですよ」
雑務を手伝っていた年配のシスターが言う。
「私に?」
「ええ、商会経由みたいです」
ガーネットは封を見た瞬間、指が止まった。
見覚えのある名前だった。
レオ=アルヴェイン。
あの侯爵家の屋敷の片隅で、平民の妾腹として肩身の狭い思いをしていた、あの少年の名前だ。
「まさか」
小さく漏らしてから、ガーネットは封を切った。
読み進めるうちに、表情が静かに変わっていく。
驚き、戸惑い。
そして最後に、少しだけ困ったような、けれど柔らかい顔。
「どうしました?」
年配のシスターが、ガーネットへ尋ねた。
「いえ」
ガーネットはそこで手紙を丁寧に畳んだ。
「少し、司祭様へ相談してきます」
その足取りはいつも通り落ち着いていた。
だが、指先だけがわずかに緊張している。
それも無理はない。
あの名前を、こんな形で再び目にするとは思っていなかったのだから。
司祭は、教会の奥にある小さな執務室で帳簿を見ていた。
年は五十を少し過ぎたくらい。
腹は出ている。
目は穏やかに見える。
だが、その奥はちゃんと教会人らしく、静かに打算的だった。
「どうしました、ガーネット」
「お時間をいただけますか」
「珍しいですね、あなたがそんな顔をしているのは」
司祭は手を止めた。
「話してみなさい」
ガーネットは一礼し、レオからの手紙を差し出した。
司祭は封を見て、差出人の名に目を止める。
「レオ=アルヴェイン」
「以前、お仕えしていた方です」
「侯爵家の」
「ただし、今は…」
「新大陸の開拓村にいる、と」
司祭の目が、そこで少しだけ細くなった。
「ほう」
ガーネットはその変化を見逃さなかった。
この司祭は、人の縁や世の流れに無関心な人ではない。
むしろ逆だ。
教会の外にある力にも、よく目を配る。
「新大陸の開拓村」
司祭は椅子へ深く座り直し、指先で手紙を軽く叩いた。
「教会はいまのところ、ほとんど新大陸へ関われていません」
「そうですね」
「貴族主導でしたからねぇ」
「ええ」
「そして、その貴族どもが大損したと聞いた時は」
司祭は、そこで小さく笑った。
「教会の中では神罰だと、皆で笑ったものです」
「司祭様」
「事実でしょう?」
穏やかな顔のまま、実に教会人らしく言った。
「信仰を飾りにして、利だけを見て突っ込んだ挙げ句に失敗した。あれを神罰と言わずして何と言います」
ガーネットは返答しなかった。
肯定も否定もしない。
そういうところも、この女のきちんとしたところだった。
だが、司祭の目はもう別の計算へ移っていた。
「しかし」
その声が少しだけ低くなる。
「その村は、順調に成長している」
「手紙では、そう見えます」
「そうでしょうね。でなければ、わざわざあなたへ館を回してほしいなどと書かない」
司祭はそこでもう一度、手紙へ目を落とした。
領主館、侍女長。
若い娘が二人入る。
村は回り始めている。
十分すぎる。
「先んじて、我が宗派が先行者利益を確保するのは悪くありません」
司祭の言い方に、ガーネットの眉が僅かに上がる。
「おや、そんな顔をしないでください」
「いえ」
「これは信仰の話でもありますよ」
「そうですか」
「ええ、もちろん建前としては」
その言い方に、ガーネットはほんの少しだけ目を閉じた。
ああ、この人はこういう人だった、と再確認するように。
司祭はさらに続ける。
「しかも、あなたの扱いには少し困っていたところでした」
「私の?」
「あなたは仕事ができる。人柄にも問題はない」
「ありがとうございます」
「ですが、ここでは少し真面目すぎる」
「それは褒め言葉でしょうか」
「半分は」
「もう半分は?」
「ここでは、使いどころが難しいという意味です」
ガーネットは少しだけ苦笑した。
否定できる話でもない。
「そして何より、あのじゃじゃ馬シスターの扱いにも困っていました」
「また何か?」
「三日前、寄進箱泥棒を追い回して裏路地で投げ飛ばしました」
「二日前は、礼拝堂の前で酔漢二人を正拳突きで黙らせました」
「昨日は、あろうことか教会裏で木剣を振り回してましたね」
「まったく、元気なのはよろしいのですが」
ガーネットはそこで、ようやく少しだけ困った顔をした。
「アリス、ですか」
「将来は聖騎士希望でしたね、あのじゃじゃ馬は」
「没落した子爵家の娘で、お家再興のために聖騎士になりたい」
「そう聞いています」
「立派な志です」
「今のところ、立派さより先に元気が勝っている状態ですが」
「否定はしません」
司祭はそこで妙に満足そうに頷いた。
「あなたに、還俗の許可を出しましょう」
ガーネットが、そこで初めてはっきりと顔を上げた。
「本当によろしいのですか」
「ええ」
「私は、侍女に戻ることになります」
「構いません」
「シスターとしての誓いは…」
「あなたは正式な終生誓願ではない。手続きとして問題はありません」
「それに、亡き主の縁を支えるために、新天地へ向かう」
「十分、美しい話でしょう」
そこまで言ってから、司祭は笑った。
「表向きには、ですが」
「司祭様」
「何です?」
「楽しんでおられますね」
「少しだけ」
あまり隠す気もない返答だった。
「ただし、条件があります」
「条件ですか?」
「アリスを同行させなさい」
「は?」
今度こそ、ガーネットは露骨に目を見開いた。
「なぜ、あの子を」
「修行です。建前は、神の試練」
「実際には、扱いに困っているからです」
「正直ですね」
「あなたもそう思っていたでしょう?」
「少しだけ」
司祭は手を組んだまま、穏やかに言う。
「新大陸の開拓村」
「教会がまだ足場を持っていない場所」
「そこで、侍女長候補のあなたが館へ入り、同時に若いシスターが一人ついていく」
「悪くない布石です」
「司祭様」
「何です?」
「布石という言い方は、神に対して少し不敬かと」
「そうですね。では、導きとでも言いましょう」
ガーネットは、そこで長く息を吐いた。
司祭が何を考えているかは分かる。
先行者利益、宗派の足場、じゃじゃ馬の処分も兼ねた派遣。
だが同時に、許可が出たことも事実だ。
そして、自分が行くべきだと感じていたのもまた事実だった。
レオの手紙は、飾りがなかった。
不器用なくらいに率直で、妙に胸に残る文だった。
あの子らしい。
六つか七つの頃、リーゼロッテの病床のそばで、必死に泣くのを堪えていた小さな横顔を思い出す。
優しい子だった、賢い子だった。
そして、ひどく不器用な子だった。
ガーネットはあの頃、辺境の騎士爵家の娘という、自分なりの矜持を持って侯爵家へ上がった。
末端とはいえ貴族。
本来なら、平民出の妾など見下してもおかしくない立場だった。
だが、リーゼロッテはそんなものとは関係なく、ただ静かに人だった。
優しく、弱っていて、それでも息子を抱く時だけは驚くほど強い目をしていた。
あの方に仕えるのは、少しも苦ではなかった。
そして、その息子であるレオもまた、屋敷の中で孤立していた。
人の悪意を子供なりに察して、あまり泣かず、あまり甘えず、ひどく早く大人びていた。
あの事実を、ガーネットは今でも覚えている。
あの子も覚えていたのだろうか。
そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「分かりました」
「よろしい」
司祭は満足気に頷いた。
「ただし、アリスには私の言うことを聞くように、申し付けてください」
「もちろんです」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん…ですか」
「彼女は元気なので」
「知っています」
「そこは、神の導きに期待しましょう」
「神に押しつけましたね」
「便利ですから」
その返しに、さすがのガーネットも、ほんの少しだけ眉を寄せた。
アリスは、その日のうちに呼ばれた。
十六歳。
髪は母譲りのプラチナブロンド。
瞳は蒼。
蒼海の輝きを閉じ込めたような、明るく真っ直ぐな色だった。
シスター服を着ているのに、どこか戦うための服装の方がしっくりきそうな娘でもある。
だが、それだけではない。
表情がくるくる変わる。
驚けば大きく目を見開き、嬉しければぱっと顔が明るくなり、真面目な話になると、子供っぽさを残したまま不思議なくらい真剣な目をする。
ぱっと見で分かる。
この娘は、人を巻き込む。
「新大陸!?」
と、話を聞いた瞬間に目が輝いた。
「はい、開拓村です」
司祭は、淡々と切り出した。
「魔物とか出ますか?」
「たぶん、出るでしょうね」
「すごい!」
「神の試練として行ってもらいます」
「行きます!」
「返事が早いですね」
「聖騎士になるなら、辺境経験は絶対に大事です!」
「そういう理屈なんですか」
「そうです!」
ガーネットは、その横で静かに目を閉じた。
やはり、この娘はこうなのだ。
「アリス」
「はい、姉さま!」
「姉さまではありません」
「では、ガーネットさん!」
「あなたは同行です」
「はい!」
「私は侍女長として行きます」
「はい!」
「あなたはシスターとして同行します」
「はい!」
「勝手に狼へ突っ込んだり、魔物へ説教したりしないでください」
「…努力します!」
「努力ですか?」
「善処します!」
司祭もさすがに、あれやっぱまずいかも?
ガーネット、取り消してもいいのよと言わんばかりの目線を送った。
「不安ですが…まぁいいでしょう」
ガーネットは、司祭の視線になんとかしますと返しながら、言葉を吐き出した。
アリスは、そこで少しだけ頬を膨らませた。
「ちゃんと分かってます!」
「本当に?」
「はい!」
「では確認します、先に動くのは誰ですか」
「ガーネットさんです!」
「勝手に単独行動しませんね」
「たぶんしません!」
「たぶん…ですか」
「なるべくしません!」
「大丈夫ですか?」
「でも頑張ります!」
その言い方が妙に素直で、叱りきれない。
やかましいのに、憎めない。
面倒そうなのに、放っておけない。
ガーネットは、そこでようやく少しだけ笑った。
「あなた、本当に元気ですね」
「はい!」
「褒めていません」
「でも、ちょっとは褒めてますよね?」
「少しだけです」
「やった!」
司祭がそこで、ガーネットとアリスを見た。
「仲良くなれそうで何よりです」
「司祭様、まだ早いです」
「私はまだ、連れていって大丈夫かを見ている段階です」
「じゃあ、これから仲良くなります!」
そう言って、アリスはぴしっと背筋を伸ばした。
その仕草だけは妙に綺麗で、育ちの良さが出ていた。
没落したとはいえ、元は子爵家の娘。
荒っぽいだけではない。
ちゃんと芯に残っているものがある。
それに、何より目がいい。
新しい土地。
未知の村。
魔物の出る辺境。
その話を聞いた時の、あの眩しいくらいの期待の目。
恐れより先に、わくわくしてしまう目だ。
それはきっと、辺境では強い。
そして厄介でもある。
ガーネットが一つ咳払いをして、アリスの目を捉えた。
「アリス、新大陸は遊びではありません」
「開拓村は、都の屋敷よりずっと厳しいでしょう」
「はい!」
「でも、少し楽しみですね」
そう言うと、アリスはぱっと笑った。
「はい!すごく!」
その笑顔が、あまりにも真っ直ぐで、部屋の空気まで少し軽くなる。
司祭が小さく笑った。
「なるほど」
「何がです?」
「この子なら、辺境でも意外と好かれるかもしれません」
「それは私も少し思っています」
「わ、ほんとですか!?」
「少しだけです」
「でも、少しはあるんですね!」
「あります」
「やった!」
話はもう決まった。
ガーネット。
還俗して、侍女長として新大陸へ向かう。
同行シスター、アリス。
十六歳、聖騎士志望のじゃじゃ馬娘。
手紙一通から始まった話は、思っていた以上に賑やかな形で動き出した。
新大陸の開拓村は、また少しだけ騒がしくなる。
でもそれは、きっと悪いことではない。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




