第52話 村を温める火
レオの屋敷、と呼んではいるが、実際のところは村の中で比較的一番ましな建物にすぎない。
それでも今は、領主館だった。
壁はまだ薄い。
床も完全ではない。
だが、少なくとも人を集めて話をするだけの体裁はある。
その部屋に、主要な顔ぶれが揃っていた。
机の上には、布の上に並べられた三つの小さな赤い魔石がある。
アカネたちが吐き出した、新しい火の魔石だ。
部屋の空気は、妙に熱を帯びていた。
魔石そのものが温かいだけではない。
使い道次第で、村の伸び方が変わる。
全員、それが分かっているからだ。
「まず確認しておくが」
レオが机の上の魔石を見ながら言う。
「今ここで話してる内容は、外へ出すな」
そこは全員、すぐに揃った。
だからこそ、次の話ができる。
「問題は、これをどこに回すかだ」
「鍛冶場の炉だろ」
カイルが即座に手を挙げた。
「出力を上げられる」
「鉄を赤める時間も縮む」
「農具の更新も早まる」
「鍋の補修も捗る」
「刃物の質も上がる」
若い鍛冶師は、そこで少しだけ言葉を切った。
分かっている。
鍛冶場が重要なのは事実だ。
だが、それが最優先だと即断できる話でもない空気も感じているのだろう。
「でも、日常の熱も捨てがたいよ」
「今でもパン炉でかなり助かってる」
マルタが言う、彼女が言うからには女衆の総意と見て言い。
「常設の熱源があるだけで、飯も身体も違う」
「さらに増やせば、生活全体が底上げされるでしょうね」
テオドールが理解を示す。
「あと冬だな」
「お湯があるかないかで、木っ端の家の中の地獄さが違う」
ドーレンも腕組みしながら頷いた。
エルマーが机上の魔石を睨む。
「鍛冶場へ入れれば、たしかに火力は上がる」
「だが、親個体の魔石よりずっと小さい」
「高温を一気に叩き出す用途より、小さく安定した熱を長く持たせる方が向いてる気もする」
「じゃあ鍛冶場には向かないのか」
カイルが聞く。
「向かないとは言ってない」
「ただ、鍛冶場に全部ぶち込めば最適とも言えん」
そこで、ああでもないこうでもないが始まった。
鍛冶場の出力を上げれば、農具の更新が早まる。
いや、お湯を沸かせる場を増やせば生活全体が底上げされる。
家事の効率も、冬の備えも、病人の扱いも違う。
いや、まずは鉄だ。
いや、日常のお湯だ。
いや、分散だ。
カイルが「炉は力だ」と言えば、バルドが「生活も力だ」と返す。
ドーレンが「家が薄い以上、お湯の価値は高い」と言い、エルマーが「雑に入れると全部中途半端になる」と唸る。
その時だった。
「ちょっといいかい」
イルゼが手を挙げた。
部屋が静かになる。
錬金術師の女は、いつもの少し気だるい顔のまま、しかし目だけは真面目だった。
「錬金術師として、言わせてもらうよ」
イルゼは腕を組み直し、机の上の魔石ではなく、部屋の全員を見るように言った。
「錬金術のポーションは万能じゃない」
「そうだな、戦場では世話になったが万能じゃねぇ」
ガレスが頷く、
「怪我は仕方ない。切った、折った、噛まれた、焼けた。そういうのは完全には防げない」
「でもね」
イルゼが少し間をおく。
「病気は予防できるんだよ」
その言葉で、部屋の空気が少し変わった。
「予防?」
バルドが不思議そうな顔でイルゼを見た。
「病気になりにくいように、未然に対処するんだよ」
「帝国じゃあんまり馴染みがないけどね、東南の島国に公衆浴場って施設がある」
「公衆浴場?」
マルタが初耳だとばかりに顔を上げた。
「みんなで入る湯場だよ」
「最初に見た時は、私もなんだそりゃと思った」
「だろうな、湯場なんて貴族の屋敷にしかねぇよ」
ガレスが笑う。
「でも、あれはいい」
イルゼの声は、ここで少しだけ強くなった。
「身体を清潔にすれば、病気になりにくくなる」
「今日湯に入ったから明日絶対に病気しない、なんて話じゃない」
「でも、長く見ると違う」
「汗と泥と獣の血を落とし、傷口も洗える」
「女も、男も、年寄りも、身体が楽になる」
部屋は静まり返っていた。
派手な話ではない。
鍛冶場みたいに形が見える強さでもない。
だが、誰も馬鹿な話だとは思えなかった。
「特に、こんな開拓村だとね」
とイルゼは続ける。
「病気は、一人倒れるだけで終わらない」
「看病するやつが倒れて、働き手が減る」
「そういうのを、私は嫌になるほど見てきた」
テオドールが、そこで静かに口を開いた。
「共同の湯場として整備する、と」
「そうだよ」
「燃料ではなく、熱源に魔石を使う」
「そうだよ」
「石鹸は?」
「中央工房から、レシピはちょろまかして来た」
テオドールは、珍しく少し黙り込んだ。
頭の中で、数字に変え始めているのだろう。
ただ、独り言のように言葉が漏れる。
「病人が減る」
「労働の落ち込みも減る」
「子供の体調も安定する」
「傷の洗浄もできる」
そこでテオドールが、顔を上げた。
「かなり大きいですね」
「でしょ?」
イルゼが親指を立てた。
「正直、鍛冶場の火力に全部振るより、村全体への効きが広い」
「それはどういう意味だ」
カイルの声には、少しばかりの怒気がある。
テオドールは、冷静に返した。
「鍛冶場の強化は職人と農具に効きます」
「湯場は、村人全員に効く」
ドーレンが、そこで腕を組んだまま頷く。
「湯場があれば、建設連中も助かるな」
「どういう意味だ」
レオが疑問を投げる。
「汗と泥が落とせる」
「身体が冷えにくい、冬になったらなおさらだ」
ガレスがそこで、珍しく自分から意見を出した。
「俺は賛成だ」
「湯場にか」
とレオ。
「ああ」
「理由は」
「兵も、傭兵も、辺境民も、汚れで死ぬ」
「矢や剣で死ぬ前に、腹壊したり、傷が膿んだりして死ぬんだよ」
「それを減らせるなら安い」
その声には、戦場を見てきた重みがあった。
カイルはしばらく黙っていたが、やがて息を吐いた。
「納得はする」
「嫌そうだな」
レオが若い鍛冶師を見る。
「鍛冶師だからな」
「でも、鍋を打つのも鍬を作るのも、人が生きててこそだ」
「病人だらけの村で、鍛冶場だけ強くしても回らん」
「だから、今回は飲む」
その返答に、イルゼが少しだけ口元を上げた。
「いい鍛冶師だね」
「今は褒めても何も出ないぞ」
「いい返しだ」
レオはそこで、机の上の三つの小さな火の魔石を見下ろした。
鍛冶場の火力、それも魅力だ。
だが、イルゼの言うことはもっともだった。
薬は作れる。
でも、病気そのものを減らせるなら、そっちの方が村全体には効く。
「よし」
レオが全員を見渡しながら、立ち上がった。
「新しい火の魔石は、湯場用の設備に回す」
「最初はそこまで立派じゃなくていい」
「まずは、共同の湯を安定して沸かせる場だ」
「段階的に広げるわけですね」
テオドールが意を示す。
「じゃあ、湯場の設計も追加だな」
とドーレン。
「仕事増えるがいいか?」
「家より先か?」
「いや、同時だ」
「面倒な村だな」
「今さらだろ」
「違いねえ」
そこで、ようやく少しだけ笑いが起きた。
テオドールはすぐに紙を引き直し始めた。
「共同湯場…いや、共同洗い場兼湯沸かし場」
「名前なんてどうでもいいよ」
マルタが、テオドールの肩を叩きながら言った。
イルゼも、もう頭の中で動いているらしい。
「石鹸は木灰と油で試作できる」
「湯場と石鹸が揃えば、病人は減るよ」
「そこに薬が乗るわけですね」
「村の弱点が、一つ消えます」
テオドールが筆を取る。
ガレスが最後に、纏めるように言った。
「いいんじゃねえか」
「何がだ」
とレオ。
「村の成長の仕方だ」
「鍛冶も、薬も、家も、湯も、全部欲張ってる」
「欲張るのはまずいか?」
「いや、今の村にはちょうどいい」
レオは、そこでようやく少しだけ肩の力を抜いた。
火の魔石が出た。
それだけで、頭の中が一気に便利へ飛びかけた。
だが、ここで日常へ落とし込めたのは大きい。
鍛冶場は村を強くする。
だが、湯場は村を長持ちさせる。
その違いは、思っていた以上に大きかった。
「鍛冶場、アトリエ、家に加えて、湯場もやる」
「建設ラッシュだねえ」
マルタとイルゼが同時に呟く。
外では、パン炉の熱が今日も静かに生きている。
次は、その熱を村人全員の身体へ回す番だ。
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