第53話 湯気の向こうの暮らし
お風呂会です、但し、ヒロインは不在。
共同湯場は、最初から大きくは作らなかった。
レオも、ドーレンも、イルゼも、そこは意見が一致していた。
「欲張ると失敗するな」
ドーレンが図面を引きながら、イルゼを見た。
「そこは同意、まずはちゃんと使える形にしよう」
イルゼも頷く。
「広げるのは後でもいい」
レオは二人を見て言った。
だから、形は絞った。
男女別の、それぞれの湯船。
中央にしっかりした仕切り板。
着替えるための小さなスペース。
そして、湯に浸かったあとに少し座って休める、簡易的なサロンのような空間。
豪華ではない。
だが、村の施設としては破格だ。
本来、湯場なんてものは大貴族の屋敷にある程度だ。
ほとんどの平民は、お湯を入れた桶を使って布で拭くくらいしかできない。
辺境の開拓村では、普通はありえない。
ありえないのを形にできたのが、火の魔石であり、消えない炉だ。
水は、水路から一本だけ分けて引いた。
細いが安定した流れを、湯場専用に回す。
そこへ、例の小さな火の魔石を使った湯沸かし設備をつなぐ。
鍛冶場やアトリエほど熱は要らない。
だが、安定して湯を作り続けるにはちょうどいい。
さらに、イルゼが排水の使い道まで口を出した。
「これ、畑へ回してもいいよ」
「排水を?汚れた水だぞ」
バルドが驚いた様子で、イルゼを見た。
「排水と言っても、汚水というわけではないしな」
「水はなんだかんだで貴重だ、無駄なく使うのは悪くない」
エルマーが賛成の意を唱えたのもあり、湯場の排水はそのまま捨てず、畑へ戻す循環路を作ることになった。
水を無駄にしない。
開拓村らしいやり方だった。
完成した湯場を見て、村人たちはまず言葉を失った。
「できた」
「できたな」
「ほんとに」
「湯場の…建物だ」
外見は質実剛健そのものだ。
板張りで、屋根も派手ではない。
マルタが、入口のところで腕を組みながらレオを見た。
「ほんとに入るのかい、これ」
「作ったんだから入るだろ」
「そういう意味じゃないよ」
「分かってる」
女たちは半信半疑だ。
男たちは男たちで、妙な顔をしている。
子供たちはもう、面白い施設ができたと思っている顔だった。
レオが前に出た、湯場について説明する為だ。
「まずは女衆から使ってくれ」
「石鹸と洗い方、イルゼが説明する。最初はちゃんと覚えた方がいい」
「それに、子供に教えるのは男どもより、女衆のほうがいい」
「そういうことなら、こっちの方がいいね」
「男どもに、先に雑に使われるよりましだ」
「おい」
バルドが一歩だけ前にでた。
「事実だろ」
マルタは平然と流す。
「違いねえ、バルド諦めろ」
最後は、ガレスが締めた。
それで、最初の組は女たちになった。
イルゼの説明は、実に現実的だった。
「まず、いきなり湯船へ飛び込まない」
「飛び込むやついるかい?」
「子供と男はやる」
「確かに…」
女たちの間で笑いが起きる。
「先に身体を洗う」
「石鹸はこう使う。泡立てすぎなくていい」
「そんなにいらないのかい」
「いらない。落としたいのは汚れで、泡じゃない」
「なるほどね」
「髪も洗える」
「髪も!?」
「少しごわごわするけど、艶がでてくるよ」
「すごいねえ」
湯を汲み、石鹸を使い、身体を流す。
それだけでも、村の女たちにはかなり新鮮だった。
そして最後に。
「で、ここからが本番だよ」
イルゼが湯船を示した。
湯気が立っている。
熱はしっかりあるが、熱すぎない。
「浸かる」
「そんなことしていいのかい」
「そのために作ったんだよ」
最初に入ったのは、マルタだった。
「熱っ…あ、いや」
「どうだい」
イルゼが浴槽の縁から、見下ろしながら言った。
「これ、やばいね」
その一言で、外にいた女たちがざわつく。
「何がだい」
「どうやばいのさ」
「なんか…全部ゆるむ」
次に二人、三人と湯船へ入る。
そして、例外なく同じ顔になる。
目が丸くなり、肩が落ち、息が抜ける。
「なんだこれ」
「身体が軽い」
それは、まさに文明ショックだった。
湯を使うこと自体はあっても、身体を洗ったあとで、たっぷりの湯に浸かるという経験は、この村の人間にはなかったのだ。
まあ、帝国の平民にそもそも湯に浸かる習慣がない。
疲れが抜け、身体が温まる。
肩がほぐれる。
なんなら、少し眠くなる。
その感覚を、初めて知った。
女湯から出てきた時の顔で、もうすべてが分かった。
皆、妙に静かだ。
だが、顔色が明るい。
肌も赤みを帯び、目元の険しさが抜けている。
「どうだった」
待っていた男たちが聞く。
するとマルタが、一拍黙ってから言った。
「入れ」
「え?」
「いいから入れ」
「そんなにか?」
「そんなにだよ」
「大げさだろ」
「いいから入れって言ってんだよ!」
その迫力に押されて、今度は男たちの番になる。
イルゼがまた同じように説明し、
石鹸の使い方を教え、先に洗えと釘を刺す。
「湯船を泥水にしたら殺すよ」
「物騒だな」
「本気だからね」
「分かったよ」
そして、男たちも湯へ入る。
最初に声を漏らしたのは、ガレスだった。
「っはぁ」
それは、戦場上がりの男が出す声ではなかった。
完全に、気持ちよすぎて気が抜けた人間の声だった。
「爺さん、そんな声出るんだな」
レオが意外そうな顔で、ガレスを見た。
「うるせえ」
バルドも、湯へ肩まで沈んだ瞬間に固まった。
「レオ」
「なんだ」
「こんないいものが世界にあったのか」
「大袈裟すぎる」
「俺は本気だ」
若い連中に至っては、もっと露骨だった。
「うわあ…」
「やばい」
「溶ける」
その語彙のなさに、ガレスですら少し笑った。
湯場の外、簡易サロンには、湯上がりの村人たちがぼんやり座っていた。
湯気をまとい、身体を拭き、少し赤い顔で、妙に静かに息をしている。
女達の肌艶が違う。
バルド達年配の男も、ミハル達若手も、女達から目を逸らしてしまう。
子供たちも、ぴかぴかの顔で出てくる。
「すごかった!」
「熱いのに気持ちいい!」
「お前らもう走るな、また汗かくだろ」
「やだ!」
その様子を見て、イルゼは腕を組んで少し満足げだった。
「だから言ったろ」
「ここまでとは思いませんでした」
「やはり、紙の上だけの知識ではいけませんね」
テオドールも脱帽だ。
「人間、清潔で温かいってだけでだいぶ機嫌が良くなるんだ」
その通りだった。
村人たちの顔は、湯へ入る前と後で明らかに違う。
疲れが抜け、身体が軽くなり、文明っぽいものを手に入れた高揚まである。
これはたしかに、村の空気を変える。
「文明ショックだな」
村人の様子を見ながら、レオが言った。
「なんだそりゃ」
そういいつつも、ガレスがここまで気を抜くのは初めてだ。
「俺も、こんなにちゃんと浸かるのは初めてだ」
「そうなのか」
「アルヴェイン家でも、こういうのとは違う」
「へえ」
「こっちの方が、なんかいい」
村に増えたものは、ただ便利なだけじゃない。
人間らしく暮らせる感じ、そのものだった。
その夜、湯場の話題は村中を埋め尽くした。
「明日も入りたい」
「順番だよ」
「石鹸ってあんななんだ」
「髪まで軽いよ」
「汗くさくないのすごい」
「湯に浸かるって贅沢だな…」
そんな声が、村のあちこちから聞こえてくる。
レオは、少し離れた場所からその空気を聞いていた。
湯場は大きくない。
立派でもない。
だが、確実に村の基準をひとつ変えた。
「作って正解だったな」
「そうだな」
ガレスも完全に素直に頷いた。
「鍛冶場の火力に全部振るより、ずっと分かりやすく村が変わった」
「イルゼの勝ちか」
「今回はな」
レオは湯場の湯気を見ながら、静かに思った。
この村は、前へ進んでいる。
食えるようになるだけじゃない。
暮らせるようにもなっている。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




