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第128話 空を知る者たち

そのやり取りの直後、ヴァルカがゆっくりと首を巡らせた。

黄金に近い瞳がまずレオを捉え、セラフィーナからアリスへ流れる。


ヴァルカの喉が鳴る。


『飛ぶか、人の王』

『その牙ある雌にも空を見せるか』

『小さい雌も一緒に来い』


アリスがぴたりと固まった。


「小さい雌って私ですよね」


「言葉だけ見るなら、そうだな」


レオは特に気にした様子もない。


「たぶんじゃないです。絶対そうです」

「なんで毎回そういう扱いなんですか」


アリスが抗議するように、レオに詰め寄る。


「ヴァルカ基準だろ、俺に言うな」


セラフィーナは、レオの隣で空を見上げた。

岩場の先に広がる、初夏手前の高い空。

そして、風を支配するようにそこへ座る飛竜。


紙では足りなかった。

実物を見ても、まだ足りない。

竜の理を本当に知るには、自分も上へ行くしかない。


「行くわ」


セラフィーナは静かに言った。


「ここまで来て、地上から見て終わるのは惜しいもの」


レオがセラフィーナを見る。


「本気か」


「いまさら怖気づく理由がある?ここで乗らなければ後悔するわ」


アリスが慌てて二人を見た。


「ちょっと待ってください。本当に飛ぶんですか」


「飛ぶわ」


セラフィーナはあっさり返した。


「あなたは?」


「行きます。行きますけど、そういう問題じゃなくて」


「何の問題?」


セラフィーナが首を傾げるが、その仕草だけでも絵になってしまう。


「色々です!初日から色々進みすぎなんです」


セラフィーナは、そこでほんの少しだけ口元を緩めた。


「でも、アリスも乗るのでしょう?」


「乗ります」


「なら、問題は半分くらい解決しているわ」


「半分は全然解決してません」


レオはそこで一歩前へ出た。

そして二人へ、それぞれ手を差し出す。


「お嬢様方、空を知りに行きませんか」


風が一瞬だけ止まったような気がした。

アリスは完全に固まる。

セラフィーナはその言葉を受けて、ほんの少しだけ目を細めた。


「悪くない誘い方ね」


そう言って、先にレオの手を取る。


「受けるわ」


それを見て、アリスが慌てて手を伸ばした。


「わ、私も行きます」


レオは苦笑する。


「もう少し落ち着いてから手を取れ」


「無理です」



ヴァルカは、三人を乗せることに何の躊躇も見せなかった。

むしろ鼻を鳴らし、古代魔法言語が強い響きで放たれた。


『その程度で我は揺らがぬ』


アリスの腕の中で、アズが鳴いた。

自分も行く気満々らしい。


「お前もか」


レオが見ると、アズは当然という顔で胸を張る。


結局、配置はすぐに決まった。

アリスがアズを抱えて前へ、セラフィーナが中央でレオが最後尾。


その形が一番安定するし、二人を支えるにも都合がいい。

理屈は分かる。

分かるのだが、アリスの胸の中はそれだけでは済まなかった。


セラフィーナが真ん中に収まり、その後ろにレオがつく。

たったそれだけのことなのに、妙に距離が近く見える。


初日だ、今日来たばかりだ。

この人はもう、レオの隣へこうして入ってくる。


頭では政治だと分かってるし、必要なことだとも分かっている。

それでも、胸の奥が少しだけざわつく。


「私は前でもいいわよ」


セラフィーナが言った時、アリスは即座に首を振った。


「いえ、前は私が行きます」

「前に乗ったことがありますから。その方が揺れに慣れてます」


セラフィーナはアリスを見た。

その視線は冷たくない、むしろ納得したようなものだった。


「なら任せるわ、レオは後ろから支えて」


「たしかにそれが一番合理的だな」


「納得いきませんけど…」


アリスは小さな声で言った。


「何がだ?」


「なんとなくです!」


セラフィーナは、それ以上は何も言わなかった。

ただ、アリスのその反応を静かに見ていた。


分かりやすい。

本当に、隠すのが上手い娘ではない。


乗り込むと、予想以上に密度が高かった。

前のアリスは背筋がぴんと張っている。

緊張で固まっているのが、後ろから見ていても分かる。


真ん中のセラフィーナは、見た目ほど平然とはしていない。

表情は静かだが、手の置き方にかすかな硬さがある。


最後尾のレオは、その二人が落ちないように位置を取り支えられる角度を確かめた。


「二人とも、余計な力を入れるな」

「変に固まると逆に危ない」


「それは、今言われてどうにかなる話なの」


セラフィーナが返す。


「努力はしろ」


「努力はしています、でも無理です」


アリスは、振り返らないまま返した。


「素直でよろしい」


「褒められてる気がしません」


その時、アリスが前を向いたままぽつりと漏らした。


「セラフィーナ様…手、冷えてます」


セラフィーナが静かにアリスを見る。

アリスは、自分が何を口にしたのか少し遅れて理解したらしく、顔色が変わった。


「す、すみません、そういうつもりじゃなくて」


「謝らなくていいわ、事実だもの」


「でも」


「でもも何もないでしょう」


セラフィーナはそこで少しだけ息を吐いた。


「あなた、本当にそういうところなのよね」


「俺もそう思う」


「レオ様まで」


「いいから掴まれ、行くぞ」


その声に合わせて、ヴァルカが動いた。


翼が大きく広がり、風が一気に持ち上がる。


アリスが息を呑む。

叫びそうになったところで、どうにか堪える。


セラフィーナは最初、声を出さなかった。

ただ、思考がほんの少しだけ止まった。


地面が離れ、風の音が変わる。


飛ぶ、と言う言葉では説明できない。

地上の常識そのものが、一枚はがされる感覚。


セラフィーナは、気づけば無意識に鱗の縁を強く掴んでいた。

身体そのものを、空へ引きずり上げるような力を感じていた。


ヴァルカは、そのまま滑るように空へ出た。



風が変わる。

地上で受ける風ではない、空を取る側の風だ。


村が眼下に広がる。

全てが、一枚の盤面として見えた。


セラフィーナは、そこで思わず目を見開いた。

美しいと思うより先に、理解したのだ。


「そういうことね」


セラフィーナは、小さく呟いた。


「セラフィーナ、見えるだろ」

「地上じゃ別々だったものが、空じゃ一つになる」


セラフィーナはすぐには答えなかった。


村の作り、防御の薄い箇所や押さえている線。

水路の流れと森の切れ目が、空からだと一瞬で分かる。


竜騎士。

紙の上で知った気になっていた自分が、本当に馬鹿らしかった。


「これは…反則ね」


レオは少しだけ笑った。


「そうだろうな」


「見えるだけで、もう反則だわ」


セラフィーナは広がる地を見下ろしたまま続ける。


「道も森も全部が線になる」

「隠せると思っていたものが、空へ上がった瞬間に隠せなくなる」


「それだけじゃない」


「分かるわ」


セラフィーナは即座に返した。


「これを持つ側は、地上の理屈を一つ上から見られる」

「そういうことなのでしょう」


「そうだ」


前のアリスは、半分泣きそうになりながらも必死に前を見ていた。

怖いけどすごい、それはもう否定できない。


けれど今日は、それだけではなかった。

後ろで、セラフィーナがこの空を知っていく。

レオが今まで見てきたものを、こうして一つずつ共有していく。


仕方ないと分かっているし、必要だとも分かっている。

自分が一歩ずつ近づいてきた場所へ、この人は迷わず踏み込んでくる。

しかも、踏み込む資格がある。


「すごいです!」


アリスが風の中で声を張る。


「何回乗っても、やっぱりすごいです」

「でも、今日は前より怖いですね」


「人が増えてるからな」


「そういう問題なんですか?」


「半分くらいは」


セラフィーナが、そのやり取りにわずかに口元を緩めた。


「あなたたち、本当にこの空に慣れているのね」


アリスは前を向いたまま答える。


「慣れてるわけじゃありません」

「ただ、レオ様が何度も見せてくれたので」


その言葉を聞いた瞬間、セラフィーナは少しだけ目を細めた。


何度も見せてくれた。


その一言だけで、この空が二人にとってどれだけ近いものだったかが分かる。

共有してきたものの深さが見える。


なるほど、とセラフィーナは思う。

アリスもちゃんと言えるのねと。


ヴァルカは村の上を大きく一周したあと、さらに少し高度を取った。


風が強くなり、アリスが小さく声を漏らす。

セラフィーナは、目を閉じずに受けた。


下に広がるのは、村だけではない。

その先にある、新大陸の広がり。


この土地はまだ白い。

帝都のように、人の理屈で塗りつぶされてはいない。

だからこそ、先に取った者が理屈を作れる。

飛竜があれば、なおさらだ。


「レオ」


セラフィーナは、広がる新大陸へ目を向けたまま素直な言葉を紡いだ。


「ようやく本当の意味で分かったわ」

「空は世界を変えるのね」


レオは、セラフィーナの腰を少しだけ強く掴んだ。

そのタイミングで、アリスが風に負けない声を出した。


「セラフィーナ様」


「何?」


「どうですか」


「悔しいけれど、素晴らしいわ」


「でしょう!」


「前向け、喜ぶのは後だ」


「はい!」


アリスは悔しいし、少しだけ苦しい。

それでも、嬉しくないわけではなかった。


セラフィーナが、この空の価値を分かる人であること。

ただ飾りとして来た人ではないこと、それがはっきりしたからだ。


だから余計に厄介だった。

この人は、本当に初日からぐいぐい入ってくる。

けど、来る資格がある。

そんな相手を、簡単に嫌いになれるはずもない。



やがて、ヴァルカは高度を落とし始めた。

村へ戻るその前に、ひとつだけ大きく旋回する。


大地を見下ろしながら、セラフィーナは小さく思った。

これを知ってしまったら、もう前のままではいられない。

見ている世界そのものが変わる。


「レオ、また乗せなさい」


「気に入ったのか」


「こんなもの、一度で足りるわけがないじゃない」


レオは、そこで少しだけ笑った。

アリスは、まだ少し足が震えている。

けれど、その声にはもう別の熱が混じっていた。


「次は、私が先に言いますからね」


「何をだ?」


「セラフィーナ様より先に、すごいって言います」


「もう言ってるだろ」


「そうですけど」


アリスは唇を尖らせた。


「今日は色々あったんです」


その返しに、セラフィーナが少しだけ笑う。


「あなたには色々あったのでしょうね」


アリスは振り返れないまま、前を向いていた。

でも、その横顔は少しだけ熱かった。


やっぱり、この人は苦手だ。

苦手だけれど、嫌いにはなれない。

そして、たぶんこれからもっと近くへ来る。


そのことを、アリスはもう分かっていた。

ヴァルカはそんな三人を乗せたまま、静かに地へ降りていく。


初夏の手前の空は高かった。

空を共有したことで、三人の間の空気も少しだけ変わっていた。

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