第127話 その雌は何だ
レオがヴァルカのもとへ向かうと決めた時、同行させるのはセラフィーナとアリスだけに絞った。
ヴァルカは人を選ぶ。
誰にでも姿を見せ、機嫌よく話すような相手ではない。
それに、アリスは古代魔法言語が分かる。
ヴァルカの言葉を拾える人間が一人いるだけで、場の意味は大きく変わる。
西の岩場へ向かう道すがら、アズを抱きかかえたアリスが少しだけ遠慮がちに口を開いた。
「私、本当に一緒でよかったんでしょうか」
レオは前を向いたまま答えた。
「よかったから連れてきた。ヴァルカ相手だと、お前がいた方が話が早い」
「それはそうなんですけど…」
アリスは少し言葉を濁した。
「セラフィーナ様もご一緒ですし」
セラフィーナはアリスの視線を軽く受け流した。
「私は構わないわ。あなたがいた方が助かるのでしょう?」
「古代魔法言語が分かるのは大きいもの」
アリスは少しだけ目を瞬いた。
「ありがとうございます」
「でも、助かる以上に少し面白そうでもあるわね」
セラフィーナはかすかに口元を緩めた。
「面白そう…ですか?」
セラフィーナは淡々と返した。
「飛竜相手に、あなたがどう振る舞うのか興味があるわ」
アリスはどう返していいのか分からず、結局「頑張ります」とだけ言って黙った。
西の岩場は、相変わらず村の空気と少し違っていた。
風が強く、土の匂いより石と乾いた草の匂いが勝つ。
森は初夏手前の緑に満ちているのに、ここだけは少しだけ世界が痩せて見えた。
だからこそ、飛竜には似合うのだろう。
先に足を止めたのはレオだった。
「いるな」
その声につられてセラフィーナが視線を上げる。
岩の上。
陽を半分受け、半分を影に沈める位置にそれはいた。
母飛竜ヴァルカ。
情報としては知っていた。
母飛竜が生きていることも、レオがその背に乗ることも。
この領地が竜騎士の芽を抱えていることも、頭では理解していた。
だが、実物はまるで違った。
大きいでは足りない、強いでも足りない。
その程度なら、大型の魔物と考えればいくらでもいる。
ヴァルカはそこにいるだけで、周囲の空と風の位置を合わせているように見えた。
焦げ茶の鱗と、陽に照らされて鈍く光る翼。
黄金に近い瞳。
セラフィーナはしばらく黙って見上げ、それから小さく言葉を落とした。
「なるほど」
レオが横目セラフィーナを見る。
「何かわかったか」
「飛竜という言葉が、どれだけ雑か分かっただけよ」
「紙の上で知った気になっていたのが馬鹿らしいわ」
ヴァルカが、ゆっくりと頭を上げた。
まずレオを見る。
次にアズ、それからアリス。
最後にセラフィーナで視線が止まった。
値踏みするような、長い視線だった。
そのあとで、ヴァルカは低く喉を鳴らした。
人の言葉ではない。
もっと古く、もっと硬い響き。
喉と空気の震えだけで構成されたような古代魔法言語。
当然、レオには意味が分からない。
だが、アリスとセラフィーナは即座に反応した。
ヴァルカが言ったのは、こうだった。
『人の王、その雌は何だ。新しい番か』
アリスの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「ちょっと待ってください、今のは駄目です」
「駄目ってなんだ」
アリスの様子に、レオが眉をひそめる。
「レオ様、聞かないでください」
「聞くに決まってるだろ」
「今はまだ駄目です!」
「意味が分からん」
アリスを見ながら、セラフィーナが上品に笑った。
つられて、レオがセラフィーナを見る。
「お前も分かったのか」
「ええ、少し面白かっただけよ」
「面白がってないで教えろ」
「焦る殿方は嫌われるわよ」
ヴァルカは、人間同士のやり取りなど意に介さなかった。
もう一度低い声で鳴く。
『言葉が分かるなら答えろ、その雌は何だ』
そこで、セラフィーナは一歩前へ出た。
アリスが息を呑む。
レオも少しだけ眉を動かしたが、止めなかった。
セラフィーナはヴァルカをまっすぐ見上げ、同じ古代魔法言語で返した。
『我はこの地へ来た人の女だ。今はまだ番ではない』
レオの顔が少しだけ渋くなった。
「おい」
「何かしら」
セラフィーナは、涼しい顔でレオを見た。
「今、余計なことまで言っただろ」
「古代魔法言語が分かるの?」
「さっきの流れ見てりゃ、雰囲気で分かる」
「そう」
セラフィーナは少しだけ肩をすくめた。
「なら、教えてあげる」
「ヴァルカは私を、あなたの新しい番かと聞いたの」
「だから私は、今はまだそうではないと返しただけよ」
「最後の一言が余計だ」
「事実でしょう」
「少なくとも今この場では、そう断言するしかないわ」
アリスはもう耳まで真っ赤だった。
「その話題をそんな冷静に返さないでください!」
「お前が一番分かってそうだな」
「だから困るんです!」
ヴァルカはそんな人間たちを見て、少しだけ頭を傾けた。
それから再びセラフィーナへ言葉を向ける。
『番ではないのか』
『だが、お前は強い。空気を取る雌だな』
セラフィーナは、その言葉にわずかに目を細めた。
飛竜の価値観は人のそれと違う。
美しいとか、気品があるとか、そういう枠では見ていない。
場を取る、空気を支配する。
そういう方向で見ている。
「今度は何て言った」
「私を強いと、空気を取る女だそうよ」
「意外と見る目があるわね」
「ヴァルカ相手でもそういう返しするんだな」
「相手が誰でも、返す時は返すわ」
アリスはヴァルカとセラフィーナを交互に見た。
古代魔法言語で会話している。
しかも、妙に噛み合っている。
そこに少しだけ悔しさが混じるのを、自分でも止められなかった。
「なんだか、ちょっと悔しいです」
「何にだ?」
「全部です!」
レオは呆れたように笑う。
セラフィーナも、今度は隠さず口元を緩めた。
ヴァルカはそんな三人を見て、低く喉を鳴らした。
笑ったとまでは言えない。
だが、機嫌は悪くなさそうだった。
セラフィーナは改めてヴァルカを見上げた。
圧倒された、それは認めざるを得ない。
飛竜。
その一言で知った気になっていたが違う。
この存在を前にすると、竜騎士という言葉の意味まで変わる。
人が竜に乗るのではない。
竜という理の一端へ、人がようやく触れようとしているだけだ。
そのくらい、隔たりがある。
「レオ」
「なんだ?」
「あなた、これを抱えていてよく平然としていられるわね」
「平然とはしてねえが、もう慣れた」
「そこが異常よ、普通は慣れる前に飲まれるわ」
その時、ヴァルカが今度はレオへ向けて鳴いた。
『人の王、その銀の雌は面白いな』
『最初の番である金の雌より牙がある』
アリスが固まった。
「き、金の雌って私の事ですよね」
「まあ、そうだろうな」
レオは平然と答える。
「言わないでください!」
「でも、飛竜基準では褒めているのでしょうね」
「その基準で褒められても困ります!」
レオは思わず吹き出しそうになったが、どうにか堪えた。
ヴァルカは、そんな人間たちの反応を見てまた喉を鳴らした。
やはり機嫌は悪くない。
それどころか、セラフィーナとは妙に噛み合っていた。
人と竜。
種としては大きく違う。
だが、場の取り方や相手への返し方がどこか似ているのだ。
引かないし、無駄に媚びない。
だが、相手を無視もしない。
そういう意味で、この二人は不思議なくらい相性がよかった。
しばらくして、レオが小さく息を吐いた。
「ヴァルカも見せた、この領地の奥まで見せたぞ」
セラフィーナはすぐには答えなかった。
今日あったことを、一度頭の中で並べる。
「想像していた以上に危険ね」
「まあ、そうだろうな」
「でも…」
セラフィーナはヴァルカを見上げたまま続けた。
「だからこそ、見たかったのよ」
「紙の上の危険と、実際に目の前に立つ危険は違うもの」
「それがようやく分かったわ」
セラフィーナは最後にもう一度、ヴァルカを見た。
「悪くないわ」
「何がだ」
「この領地よ」
そこで、セラフィーナレオへ視線を戻した。
「思っていたより、ずっと面倒で面白い」
「それは褒めてるのか」
「半分くらいは」
今度は、はっきりと笑みが混じっていた。
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