第124話 まっすぐな視線の意味
案内された部屋へ入ると、セラフィーナはまず一度だけ静かに室内を見渡した。
広すぎない。
だが、狭くもない。
余計な装飾はない。
その代わり、必要なものはきちんとある。
窓もある。
ただ光を入れるための窓ではない、村が見える位置に設置されてある。
「悪くないわ」
セラフィーナは小さく言葉を落とした。
侍女たちが荷を運び込み始める。
ミラは部屋の動線を確認し、エリーは水回りを素早く見ていた。
どちらも、問題があるならすぐに口へ出すはずだ。
だが、今のところその気配はない。
「お嬢様、何か問題はありますか?」
一通りに確認を終えたミラが、セラフィーナへ伺いを取る。
「ないわ、最初の部屋としては十分よ」
「承知しました」
セラフィーナはそれ以上何も言わず、窓辺へ歩いた。
窓の向こうには、村があった。
帝都の屋敷から見る景色とは、何もかも違う。
石の街ではない。
高い塔もない。
舗装された広い通りもない。
あるのは、土の広場。
きちんと整えられた畑と、その中を流れる水路。
まだ新しい家々に、そこを動く人の流れだ。
未完成。
だが、雑然としているわけではない。
伸びようとしている土地。
セラフィーナはその景色を見ながら、さっきの客間の空気を思い返した。
レオ=アルヴェイン。
帝都の男とは違う。
飾りが少ないぶん、逆に立ち方が見えやすい。
あれは、少なくとも自分の村をただ預かっている顔ではなかった。
自分の足で立てたものを背にしている顔だ。
そしてもう一つ。
「アリス」
セラフィーナは、小さくその名を口にした。
港から道中、そして館へ入ってからもずっと引っかかっていたもの。
あの少女の視線だ。
悪意はない。
それは最初から分かっていた。
敵意でも、侮りでもない。
ただ妙に近くまっすぐで、少しだけ気に障る視線。
だが今は、その理由が分かった。
「なるほど」
窓辺で、セラフィーナはほんの少しだけ目を細めた。
アリスがレオを見る時の顔。
レオがアリスへ返す声音。
口を挟む間。
止められた時の引き方。
褒められた時の素直すぎる反応。
全部を繋げれば、答えは簡単だった。
あの娘は、レオを慕っている。
しかも、軽い憧れではない。
自分でもまだ整理しきれていないくせに、かなり深いところでもうその位置に立っている。
そしてレオの側も、そこまで明確ではないにせよあの娘を完全にただの従者としては扱っていない。
近いのだ。
男と女としてどうこうという段階ではなくとも、互いの呼吸が少しだけ近い。
言葉を返す間も視線の置き方も、他より一歩ぶん近い。
そこへ自分が来た。
「そういうこと」
セラフィーナは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
不愉快、というほどではない。
だが、少しだけ胸の内側に引っかかるものはあった。
当然だろう、とも思う。
自分は婚約者として来た。
家の理屈の上では正しい。
だが、人の感情は家の理屈だけでは動かない。
あの少女にとって自分は、ただの公爵家令嬢ではない。
レオの隣へ入ってくる女なのだ。
だから見ていたし、測っていた。
あの妙に近い視線になっていた。
「面白いわね」
その言葉には、わずかに楽しさが混じっていた。
帝都で、自分へこういう形で感情を向けてくる女は少なかった。
表では笑い、裏では探る。
あるいは最初から恐れる。
そのどれかだ。
だが、アリスは違う。
不器用でまっすぐで、自分でもまだ気持ちを言葉にできていないくせに、それでもここで自分の場所を守ろうとしている。
あれは悪くない。
拙い。
だが、濁っていない。
私はここにいます。
この村にいます。
レオ様のそばにいます。
だから、あなたを見ています。
そういう視線だった。
最初に少しだけ嫌な感じがしたのは、その拙さに自分が慣れていなかったからだろうといまは思う。
帝都の女たちは、もっと上手くやる。
だからこそ、何を考えているのか逆に見えない。
あのアリスという娘は、見えすぎる。
そこが、むしろ清々しかった。
「お嬢様?」
エリーが、小さく首を傾げる。
主の気配が少しだけやわらいだのを察したのだろう。
「何かございましたか?」
「少し面白いことに気づいただけよ」
「面白いこと…ですか?」
「ええ」
ミラは荷を整理しながらも、主のそういう声音に気づいていた。
セラフィーナが本当に興味を持った時だけ、声が少し柔らかくなることを彼女は知っている。
「レオ様ですか?」
「違うわ、アリスという娘よ」
侍女二人の間に、ほんのわずかな沈黙が落ちた。
「ご不快な点が、ありましたか?」
「むしろ逆ね、仲良くなれそうだと思ったの」
侍女たちが少しだけ呆けたような顔になる。
「意外?」
セラフィーナは、振り返る。
「港からの道中、あの娘はかなり分かりやすく見ておりましたので、お気に障ったかと」
ミラは正直に答える。
「最初はね」
セラフィーナは窓の外へ視線を戻す。
「意味が分かれば、話は別よ」
「意味…でございますか」
セラフィーナは、そこではっきり言った。
「あの娘、レオを慕っているわ」
「しかも、かなり深く」
「それで、私を見ていたのね」
エリーが思わず目を瞬かせた。
「それで仲良く…ですか」
「悪くないでしょう?」
「どうしてまた」
「真正面から来るからよ」
「裏で針を差してくるより、よほどいいわ」
「守りたいものがある人間は嫌いじゃないの」
それは、本音だった。
帝都では、こうはいかない。
正面からあなたを見ていますと出してくる娘など、そうそういない。
いたとしても、もっと計算がある。
アリスには、その計算が薄い。
だからこそ、逆に信用の取っ掛かりになる。
「守りたい場所があるのでしょうね」
ミラが静かに言った。
「それをまだ上手く隠せていない、若いわね」
「お嬢様もお若いですが」
エリーがうっかり言ってしまう。
「私はいいの、少なくとも隠し方は知っているわ」
「失礼いたしました」
だが、そのやり取りにも少しだけ笑いが混じった。
窓の外では、村人たちがまだ完全には落ち着いていない。
広場を行く女たち。
畑へ戻る男たち。
走り回る子供たち。
セラフィーナは、その村を見ながら思う。
この土地には、まだ整っていないものが多い。
だからこそ人が見える。
レオの立ち方も。
村人たちの息づかいも。
アリスの視線も。
もし帝都の屋敷で同じような感情を向けられたなら、面倒だと切っていたかもしれない。
だが、ここでは違う。
ここはまだ、完成した舞台ではない。
なら、正面から出る感情にはそれだけの価値がある。
それに、あの少女が守ろうとしているものの中にレオが入っているのも見えた。
そのことに、セラフィーナはほんの少しだけ胸の奥を意識した。
不快ではない。
だが、無関心でもいられない。
自分は政治としてここへ来た。
良き領主夫人となれるか、良きパートナーとなれるかを見るために来た。
だが、相手のそばにすでに誰がいるのかを知った以上、そこを無視して進むことはできない。
「悪くないわね」
セラフィーナはもう一度呟いた。
レオ=アルヴェイン、そしてアリス=リデル
来て早々退屈はしなさそうだと分かっただけで、今のところは十分だった。
「あの娘とは」
セラフィーナは、わずかに笑みを浮かべる。
「やっぱり仲良くなれそうだわ」
それは、社交の上っ面の言葉ではなかった。
本心からの、静かな興味だった。
窓の外では、初夏の手前の風が村を抜けていく。
新しい物語の中で最初に見つけた面白い存在が、あのアリスという少女だったのかもしれない。
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