第122話 はじまり
春の終わりの光が、その銀の髪へ落ちる。
月光を溶かしたような髪だと、誰かが前に言っていた。
なるほど、と思った。
銀だ。
だが、冷たいだけの色ではない。
陽を受けると、かすかに柔らかく揺れる。
姿絵で見た顔だった。
いや、姿絵以上だ。
整いすぎている。
整いすぎているのに、人形めいてはいない。
むしろ逆だった。
鼻筋、薄い唇。
少し吊り気味の目元。
絵では分からなかったものがある。
意思の強さだ。
それも、ただ気が強いというだけではない。
立っているだけで、内側に火があると分かる。
折れずに生きてきた者の、強い生命力だった。
広場がまた、一段静まる。
子供ですら声を出さない。
大人たちはもちろんだ。
ただ見ていた。
公爵家令嬢が辺境の土の上へ、本当に降り立つところを。
セラフィーナは、馬車から降りて足を止めた。
視線を巡らせる。
辺境らしい未完成さはある。
だが、放置された土地の顔ではなかった。
足りないなりに、意志を持って整えられている。
そして、その中心に立つ男へ視線を定める。
レオ=アルヴェイン。
噂より若く見えた。
いや、年相応なのだろう。
帝都の同年代の男たちにある余計な飾りがないぶん、若さがそのまま残っている。
だが、軽くはない。
立ち姿に、剣を振ってきた男の芯がある。
そのうえで、今はきちんと迎える側の顔をしていた。
紙の上では、辺境で村を起こした若い当主。
本家から追いやられた分家の男。
そこへいくつもの評価と推測が重ねられていた。
だが実物は、少し違う。
もっと荒いと思っていた。
あるいは逆に、上位貴族の令嬢を迎える場で必要以上に硬くなるか、媚びるか、そのどちらかだろうとも思っていた。
だが、そうではない。
地に足がついている。
そして、必要な時に必要な形で前へ出られる男だ。
思ったより悪くない。
セラフィーナは、一瞬でそう判断した。
レオは一歩前へ出た。
近くで見ると、やはり綺麗すぎた。
だが、顔を見た瞬間の圧は向かい合った今は少し違って見えた。
ただ美しいだけではない。
この女は見ている。
広場の空気も、村人たちの立ち方も。
そして自分も。
その視線に嫌悪はなかった。
レオは、そこに少しだけ意外さを覚えた。
話には聞いていた。
帝都の高位貴族の令嬢、しかも公爵家だ。
もっと露骨に、この村の粗さや土臭さへ嫌な顔をするかもしれないと思っていた。
それが普通だと、どこかで決めつけてもいた。
だが、それは違ったらしい。
この女は辺境を見下す目ではなく、まず見極める目で見ている。
それだけで、第一印象はだいぶ変わった。
厄介だ。
だが、悪くない。
広場の空気が張る中、レオははっきりと言った。
「ようこそ、アルヴェイン領へ」
「レオ=アルヴェインだ」
土の上で、若い領主が名乗る。
飾りはない。
だが、逃げてもいない。
セラフィーナは、その言葉を静かに受けた。
それから、ほんの少しだけ顎を引く。
「セラフィーナ=ウインザルフです」
「お迎え、感謝いたします」
「長旅、ご苦労だった」
セラフィーナは、ほんの少しだけ周囲へ視線を流した。
「ここへ着くまでの道が思った以上に整っていて、助かりました」
「それならよかった」
「詰め所も見ました」
「ちゃんと、作っている土地なのですね」
その言葉に、広場の空気が少しだけ動いた。
村人たちは、全部の意味までは分からない。
だが、公爵家令嬢が村を見て、悪い意味ではない言葉を置いたことだけは分かった。
レオは小さく頷く。
「まだ途中だ」
「そう見えます」
そのやり取りを、村人たちは息を詰めて見ていた。
難しい言葉はない。
でも、ただの挨拶ではない。
この村へ来た女とこの村に立つ男が、最初にどう向き合うか。
それを皆、見ている。
アリスは、少し離れた位置で思わず手を握っていた。
綺麗だ。
それはもう、分かっていた。
だが、改めてレオの前へ降り立つのを見ると、胸の奥がまた少しざわつく。
それでも、ただ悔しいだけではなかった。
この人は、村を見ている。
レオを見ている。
それも、上から値踏みするだけの目ではない。
そこが余計に落ち着かなかった。
ガーネットは表情を変えない。
だが、視線だけは少しだけ柔らかい。
テオドールは、瞬きすら惜しむように二人を見ていた。
政治としてどう立つか。
その最初の一手を見ているのだ。
セラフィーナは、次にレオを見た。
ここで確認すべきことは一つだった。
この男が、自分にとって良き夫となるかではない。
少なくとも、今それはまだ判断の外だ。
今見るべきは、良きパートナーとなれるかどうか。
領主と領主婦人として、
この土地を共に回せる相手かどうか。
その観点で見れば、紙の情報だけでは足りない。
書類の上には、実績と数字と他人の評価が並ぶ。
だが、実物にはそれ以外のものがある。
レオは、思ったよりも硬くない。
かといって軽くもない。
この場の重さを理解したうえで、必要なだけまっすぐ立っている。
観察対象としては、十分に興味深かった。
「迎えに、アリスとバルドを寄越したのですね」
「ああ、問題があったか?」
「想像していたより、この村らしい人選でした」
「それは、褒めてるのか」
「半分くらいは」
セラフィーナが静かに言った。
一瞬、レオの目がわずかに見開く。
横でアリスが思わず小さく息を呑み、慌てて口を閉じた。
そして、広場の空気がほんの少しだけ緩んだ。
「便利な言葉だな」
「そうでしょう」
「なら」
間をおいて、レオは少しだけ口元を緩めた。
「たぶん、やっていける」
「たぶん?」
「絶対とは言わない、まだ何も始まってない」
「正直なのですね」
レオは、その返しを聞きながら思った。
やっていけるかもしれない。
まだそれだけだ。それ以上ではない。
だが、政治の相手としての初手は悪くない。
そして同時に、もう一つ別のことにも気づいていた。
この女は、思っていた以上に生きている。
姿絵では美しかった。
だが、それだけだった。
いま目の前にいるセラフィーナは違う。
美しく気品があって、そのうえで内側に強い力がある。
見ているだけで、無意識に目が引かれる。
それは政治とは別の感覚だった。
まだ名前もつかない、ごく小さな引力のようなもの。
レオはそれを自覚しきる前に、いったん胸の奥へ押し込めた。
今は違う。
まだ、政治の初会合だ。
そこで、レオは少しだけ身体の向きを変え、広場へ向けて言った。
「聞いての通りだ」
「セラフィーナ=ウインザルフ嬢」
「今日からこの村の客で、いずれこの領地に入る人だ」
その言葉で、村人たちはようやく頭を下げた。
揃ってはいないし、完璧でもない。
だが、ちゃんと心のある頭の下げ方だった。
「はじめまして」
誰かが小さく言い、それが波みたいに広がる。
「ようこそ」
「いらっしゃいませ」
「お、お迎えします」
セラフィーナは、その光景を見た。
帝都のように磨き抜かれた礼ではない。
だが、雑でもない。
精一杯、迎えようとしている。
少しだけ不格好だ。
けれど、その不格好さは嫌ではなかった。
「ありがとうございます」
セラフィーナは村人たちへ向けて言った。
「未熟ではありますが、この地へ来た以上私もまた誠実であるよう努めます」
その言葉は、広場へ静かに落ちた。
村人たちは、そこでようやく息をついた。
怖いだけの人ではないのだと。
綺麗すぎるが、近寄れないだけの氷ではないのだと。
それが少しでも分かっただけで、空気が変わった。
レオは、そこで館の方を示した。
「まずは館へ」
「ええ」
歩き出す前に、彼女はほんの少しだけ広場を振り返った。
変わった村だ、と思う。
だが、その感想を今は口にしない。
まだ最初だ。
観察はこれからになる。
代わりに、セラフィーナはレオの横へ並んだ。
歩幅を合わせるほど近くはない。
だが、離れすぎてもいない。
その距離が、いまの二人にはちょうどよかった。
館の前へ向かう二人の背を、村人たちは静かに見送った。
政治としての初会合。
まだそこにあるのは、好悪ではない。
この二人が、良きパートナーとなれるか。
その見極めが、いま静かに始まっていた。
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