第120話 公爵令嬢と聖騎士見習いの距離
セラフィーナが護衛に先導されながら船を降りると、迎えの二人が前へ出た。
先に名乗ったのは、男の方だった。
「アルヴェイン領より参りました、バルドです」
「お迎えに上がりました」
「アリス=リデルです」
少女も一礼する。
「セラフィーナ様のお迎えに参りました」
言葉遣いは、完全な帝都の作法ではない。
だが、崩れてもいない。
きちんと整えられている。
セラフィーナは静かに頷いた。
「セラフィーナ=ウインザルフです」
「出迎え、ご苦労」
「はい」
アリスと名乗った、少女の声が少しだけ緊張しているのが分かる。
バルドは、ちらりとセラフィーナの顔を見てすぐ視線を正した。
だが、その一瞬で思ったことは顔に出ていた。
姿絵そのままだな。
そんな顔だった。
セラフィーナは、その一瞬を見逃さなかった。
だが、何も言わない。
代わりに、ほんの少しだけアリスの方へ視線を移す。
少女は、こちらをまっすぐ見ていた。
怖がっていないわけではない。
だが、逃げてもいない。
ミラが一歩出る。
「随伴は四名です」
「荷は、この印の箱が最優先になります」
「わかりました、荷は先に荷車へ移します」
バルドが、港にいる荷運びの男達に声を掛ける。
セラフィーナは、そのやり取りを見ていた。
迎える側もただ立っていたわけではない。
事前に詰めてきたことが分かる。
「港から村までは、どれほど?」
セラフィーナが積み込みの作業を見ながら、バルドへ声を投げた。
「馬車でなら、そう時間は掛かりません」
「道は整え直してあります」
「途中に詰め所も設けました」
アリスが補足する。
「詰め所?」
ミラがアリスへ反応する。
「村への出入りが増えてきたので、事前に荷と人を確認するためです」
「なるほど、悪くない判断ね」
セラフィーナが軽く頷いた。
「ありがとうございます」
アリスは返したが、その直後に少しだけ目を瞬かせた。
本気で褒められると思っていなかったのだろう。
バルドが横で、ほんの少しだけ口元を緩める。
荷の積み替えが進む間、アリスは少しだけセラフィーナの近くへ控えていた。
近くで見ると、やはり綺麗だった。
姿絵で見た時も思った。
だが、実物はそれ以上だ。
美しいだけではない。
立っているだけで、周囲の雑音が少し遠のくような感じ。
これが、公爵家嬢なのかと。
そして、レオの婚約者なのかと。
そこまで考えた瞬間、自分の胸の内側が少しだけざわついた。
悔しい、というほどではない。
だが、平気な顔だけで見られるほど器用でもない。
こんなに綺麗で、こんなに整っていて、帝都の理屈も分かっている。
しかもレオの隣へ来る。
そう思うと、喉の奥が少しだけ乾いた。
「どうかしました?」
視線は荷から動かさないまま、セラフィーナが不意に言った。
「えっ」
「私の顔に何か?」
「す、すみません」
アリスは慌てて背筋を伸ばした。
「謝ることではないわ」
「その…ほんとに、お綺麗だなと」
エリーが横でわずかに目を伏せる。
ミラは無表情を保っている。
バルドは、そこ正面から言うのかと思っていた。
「ありがとう、正直なのね」
「は、はい」
「悪くないわ」
アリスはそこで、少しだけ耳が赤くなった。
褒められたのに、嬉しいだけでは終わらない。
相手が眩しすぎて、余計に自分の感情の置き場がなくなる。
セラフィーナは、それを見てほんの少しだけ口元を緩めた。
この娘は、隠すのが上手くない。
むしろ、隠そうとして余計に顔へ出る。
そこが少し無遠慮で、少しだけ厄介で。
だが、悪意ではないこともすぐに分かる。
やがて荷の整理が済み、出立の準備が整った。
護衛二名が自然に前後へ散り、バルドが前に立つ。
「では、村までご案内します」
「お願いするわ」
アリスは、馬車へ乗り込むセラフィーナを見ながら小さく息を吸った。
ここからだ、本当に。
レオのもとへ、この人を連れて行く。
港を離れ、馬車が新大陸の道へ入ってしばらくした頃だった。
車輪は、思っていたより安定していた。
もっと荒れると思っていたのだ。
新大陸の辺境道など、せいぜい荷馬車がどうにか通れる程度だろうと。
だが実際は違う。
石畳ではない。
それでも、ただ土を踏み固めただけの道とは明らかに違っていた。
セラフィーナは視線を少しだけ横へ流した。
同乗しているアリスの方へ。
少女は窓の外を見ているふりをしながら、時々こちらを気にしている。
分かりやすいほどではない。
だが、気づかれないほどでもない。
その視線には、悪意がなかった。
敵意でもないし、侮りでも嘲りでもない。
好奇心や緊張。
それに、何かもう少し個人的なものが混じっている。
それが少しだけ気に障った。
まだ何も知らぬくせに、少しだけ内側へ踏み込みかけているような。
そういう視線だった。
「何か」
セラフィーナが静かに言うと、アリスがあからさまにびくりと震えた。
「は、はい?」
「私の顔に何かついていて?」
「い、いえ!違います!」
アリスは慌てて姿勢を正す。
「違うの」
「はい!」
「では、何かしら」
馬車の中に、短い沈黙が落ちる。
ミラは表情を崩さない。
エリーは気配を殺している。
だが二人とも、空気の変化はきちんと拾っていた。
アリスは、どう答えるべきか迷っている顔だった。
誤魔化すのが上手い娘ではない。
それは港の時点で分かっている。
「見ていました」
結局アリスは正直に言った。
「それは分かるわ、その理由を聞いているの」
「ほんとに、来たんだなって思って」
「姿絵で見た人が、実際に隣にいるので…」
まっすぐな答えだった。
飾りがない、だからこそ少し無遠慮でもある。
セラフィーナは、その答えを聞いても完全には気分が晴れなかった。
悪意はない。
だが、やはり少しだけ嫌な感じが残る。
理由はたぶん簡単だ。
この少女は、自分を公爵令嬢としてだけ見ていない。
それだけなら、むしろ楽だった。
もっと個人として見ようとしている。
「そう」
アリスはそこで、少しだけ肩を縮めた。
拒絶されたとまでは思っていないだろう。
だが、踏み込みすぎたかもしれないとは察したらしい。
それでいい、とセラフィーナは思う。
距離は必要だ。
少なくとも最初は。
ここは帝都ではない。
だが、だからといって最初から無防備に近づかれていいわけでもない。
「失礼でしたら、直します」
「ただ…迎えに来た以上、ちゃんと見ておかないといけないとも思っていました」
その言葉に、セラフィーナは少しだけ視線を戻した。
「どういう意味?」
「レオ様の婚約者で、この村に来る人なので…」
正直すぎる。
だが、それは演技ではない。
セラフィーナはその言葉を聞いて、ほんのわずかにだけ不快さの形が変わるのを感じた。
嫌な感じはまだある。
だが、悪意ではない。
この少女は、不器用なだけだ。
見なければならないと思って、見ている。
その上で、自分でも距離の取り方を決めきれていない。
そういう視線。
そしてその奥には、ほんの少しだけ別の感情もあった。
婚約者として来る自分に対して、歓迎だけではない何か。
警戒とも違う。敵意でもない。
もっと幼くて、だからこそ隠しきれていないもの。
セラフィーナは、それを深くは追わなかった。
ただ、そういうことかと思うだけに留めた。
「あなた、不器用ね」
「はい…」
「否定はしないのね」
「できないです」
「それは賢明だわ」
エリーが、そこでほんのわずかに口元を緩めた。
ミラは相変わらず無表情だが、空気は少しだけやわらいだ。
帝都の女たちなら、もっと綺麗に距離を取る。
もっと上手く媚びるか、もっと巧く探る。
だが、この少女はどちらでもない。
その不器用さが、少しだけ苦手だった。
たぶん、自分が慣れていない種類の人間だからだろう。
「アリス」
「はい」
「ひとつだけ」
「なんでしょう」
「私を見てもいいわ」
「見たいなら、せめてもう少し上手にしなさい」
「す、すみません!」
「だから、謝るなと」
「でも…」
「そういうところよ」
「うぅ…」
バルドはそのやり取りを聞こえないふりをしながら、心の中で笑っていた。
なるほど。
これがセラフィーナか、と。
「レオ様、気をつけろよ」
バルドは小さく独り言を漏らした。
「何か?」
護衛の若い女が、バルドをちらりと見る。
「いや、こっちの話だ」
馬車は、そこからさらに村へ向かって進んでいく。
セラフィーナは、その景色を静かに見ていた。
横にいるアリスの視線は、さっきより控えめだ。
ちゃんと学んだらしい。
少しだけ口元が緩む。
悪意はない。
それは本当にそうなのだ。
ただ、少しだけ嫌な感じがした。
その少しだけが、完全な拒絶へ変わることはたぶんないだろうと今は思う。
アリスも窓の外を見るふりをしながら、胸のざわつきを持て余していた。
綺麗で賢くて、そして思ったよりちゃんと人を見ている。
苦手だ、とまでは言わない。
けれど、落ち着かない。
それでも、目を逸らしてはいけないとも思う。
この人はレオの婚約者。
だからちゃんと知らなければならない。
その理屈と、うまく言葉にできない気持ち。
その両方を抱えたまま、アリスは小さく息を吐いた。
馬車は、村へ向かって進んでいく。
まだ見ぬ本当の対面まで、もう遠くはなかった。
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