幕間⑨ 銀髪は海風を受けて
帝都の空は、よく晴れていた。
春の終わりの朝らしい、少し白く霞んだ青空。
風も穏やかで、旅立ちには悪くない。
むしろ、整いすぎているくらいだった。
ウインザルフ公爵家の正門前には、すでに馬車が用意されていた。
大仰ではない。
だが、公爵家の娘を乗せるに足るだけの格はある。
飾りは抑えめ。
だが、木材の質も金具の仕事も一流だと分かる造りだった。
その脇に、四人が並んでいた。
侍女二名。
護衛二名。
侍女の一人は、黒髪を短くまとめた娘だった。
ミラ。
平民出の十九歳。
表情の動きは乏しく、一見すると冷たくも見える。
だが、その目は忙しい。
荷の固定、馬の機嫌、人の位置、すべてを同時に見ていた。
侍女としての実務だけでなく、下手な官僚以上に物事を捌ける女だと立っているだけで分かる。
もう一人は、茶髪を三つ編みにした小柄な娘だった。
エリー。
平民出の十八歳。
柔らかな笑みを絶やさない。
だが、荷紐の締まりを確かめる指先も、馬車へ乗り込む足場の確認もどれも無駄がない。
おっとりに見えて、動きは驚くほど機敏だった。
侍女仕事に加え、魔法の扱いにも長けている。
いざという時には、最終的な護衛も兼ねる女だ。
護衛の二人も若い。
一人は背が高く、無駄な肉のない剣士体型。
もう一人はやや小柄だが、重心が低く、詰めた時の強さが見える。
どちらも華やかな騎士ではない。
だが、立ち方だけで分かる。
訓練された実務の護衛だ。
そして四人とも、平民の出だった。
平民で若くして、公爵家の娘の随伴に選ばれる。
それは、よほど使えるということだ。
家格ではない、血筋でもない。
能力で上がってきた者たちだった。
セラフィーナが玄関へ現れると、四人は揃って一礼した。
今朝の彼女は、帝都の大広間に立つ令嬢の装いではなかった。
旅装だ。
だが、崩れてはいない。
銀の髪はきちんとまとめられ、衣服も動きやすさを優先しながら品位を失っていない。
派手ではない。
それでも一目で、上の家の娘だと分かる。
「荷の最終確認、終わっています」
ミラが言った。
「ご苦労」
エリーが続ける。
「道中の宿も、第一予定、第二予定と押さえてあります」
「西部の港までの間で、天候次第では少し前後します」
「判断は、エリーに任せます」
「はい」
護衛の二人も短く状況を告げた。
「前路に不審はありません」
「港側とも連携済みです」
セラフィーナは、そこで四人を一度見た。
若い。
だが、緩みはない。
そしてこの四人が、自分と同じく家の理屈だけではない場所で選ばれた者たちであることを、彼女は知っていた。
公爵家は、血筋で回るだけの家ではない。
少なくとも、ウインザルフはそうでありたかった。
「改めて言います」
セラフィーナは静かに言った。
「今回は、帝都の延長を新大陸へ持っていくつもりはないわ」
「必要なものは持つ、不要な見栄は削る」
「向こうでは、向こうの理屈を見ます」
「その上で、公爵家の名に恥じぬ働きをできますか」
「はい」
四人は迷いなく答えた。
声は揃っていた。
訓練だけではない。
腹の決まり方として、よかった。
ミラが、少しだけ顔を上げた。
「お嬢様」
「何か」
「ひとつだけ、よろしいでしょうか」
「構いません」
「私どもは帝都の中で仕えるよりも、今回の方が性に合っております」
セラフィーナの目が、少しだけ細くなる。
「どうして?」
「作る側だからです」
「整いきった家の中で、決まりきった作法を磨くより」
「まだ形になりきっていない場所へ入り、必要なものを選び整えていく方がやりがいがあります」
横でエリーも小さく頷いた。
「私も同じです」
「正直に言えば、少し楽しみでもあります」
「怖くはないのね」
「怖くはあります」
「でも、それ以上に見知らぬ土地への楽しみが勝ります」
護衛も口を開いた。
「我々も同様です」
「帝都の門を守るより、まだ整っていない道と土地を読む方が性に合っております」
セラフィーナは、そこでほんの少しだけ口元を緩めた。
「なら、向こうで後悔しないように働きなさい」
「はい」
その時、ヒカシューが使用人達を引き連れて現れた。
見送りに来ると分かってはいた。
出立の朝の父は、昨夜よりさらに父親の顔をしていた。
感傷を表へ出さない。
それでも、目の奥には確かに別の色があった。
ヒカシューは、まず四人の随伴へ視線を向けた。
「娘を頼む」
「お任せください」
四人は一斉に頭を下げる。
平民の出である彼らにとって、公爵が直々にそう言うことの重みは分かっているはずだ。
だが、誰もそこで気負いすぎた顔はしなかった。
「セラフィーナ、息災でな」
「行ってまいります、お父様」
それだけだ。
父と娘の別れの言葉としては、あまりに簡素かもしれない。
だが、二人にはそれで足りていた。
セラフィーナは、最後に一度だけ屋敷を振り返った。
生まれ育った家。
皇妃教育を受けた部屋。
婚約破棄の余波を受けた廊下。
全部、ここにある。
だが、もう立ち止まらない。
馬車へ乗り込む前に、彼女は小さく息を吐いた。
「では、参ります」
誰へともなく、そう言う。
ミラとエリーが乗り込み、護衛二人が位置につく。
動きに無駄はない。
若いのに、よく仕込まれている。
いや、仕込まれているだけではない。
自分で考えて動ける者の動きだ。
ウインザルフ公爵家の門が、ゆっくりと開いた。
西部の港まで先導する騎士たちが号令をかける。
侍女二名、護衛二名。
全員平民出身の、若く優秀な者たち。
大仰な行列ではない。
だが、無駄なく研がれた小さな一団。
それが、かえって公爵家らしかった。
約二週間後、セラフィーナ一行は新大陸の港へ到着した。
船が桟橋へ寄るにつれて、潮の匂いが濃くなる。
帝都の港とも違う。
もっと荒く、もっと若い匂いだ。
海の向こうから吹きつける風は強く、空も高い。
石造りの帝都とは違い、目に入るものの色がどれも少しだけ生々しい。
まだ整っていない埠頭。
荒削りな荷揚げ場。
その向こうには確かに、これから伸びる土地の気配があった。
セラフィーナは、船上からその港を見下ろしていた。
「これが新大陸…まだ、荒いわね」
「もっと整っているとお思いでしたか」
後ろに控えたミラが言葉をこぼす。
セラフィーナは首を振る。
「思ったより、始まっていると思っただけよ」
「何もない土地ではない」
ミラも静かに頷いた。
エリーは甲板の端から港の人の流れを見て、柔らかい声で言った。
「活気はそこそこ、ありますね」
「雑然とはしていますけれど、死んではいません」
「暮らす人間の気配が、ちゃんとあります」
「そうね、手を入れる価値がある土地だわ」
護衛の一人が、甲板の縁から港の様子を見て声を落とした。
「お嬢様、迎えが来ています」
セラフィーナは視線を向けた。
桟橋の先。
港の人間とは、少しだけ空気の違う二人が立っていた。
一人は、体格のいい年配の男だ。
日に焼けている。
剣を帯び、立ち方に無駄がない。
騎士というより、現場で鍛えられた村の戦士という感じだった。
もう一人は少女。
年は十代半ばか。
金髪をまとめ、軽装だが腰には剣を携えている。
しかも、ただの飾りではない。
立ち方に訓練した者の芯がある。
セラフィーナは少しだけ目を細めた。
あれが迎えか、と。
公爵家令嬢を迎える者としては、意外だった。
もっと年嵩の家令か、古参の騎士が来るかと思っていた。
逆にこれが、この村らしいのかもしれない。
整いきった場ではない。
だが、立っているべき人間が前へ出ている。
「なるほど」
セラフィーナは小さく言った。
「お嬢様、何か」
ミラが主の言葉に反応する。
「悪くない始まり方だと思っただけよ」
まだ見ぬ婚約者は、この場にいない。
だが、その土地の色は迎えへ出ている人間に出る。
新大陸の海風が、セラフィーナの銀髪を揺らした。
帝都を出てきた一団は、ようやく本新しい物語を開こうとしていた。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




