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第111話 記号ではなく人になる

春もいよいよ本番を迎えていた。


畑はもう完全に冬の顔ではない。

小麦は風に揺れ、葡萄の木には確かな芽吹きが見える。

森の入口は若い緑で少しずつ明るくなっていた。


そんな頃、またハルトたちが村へやって来た。

しかも、見た瞬間に分かるほど荷が多かった。


「おい、なんだあの量は」


バルドが目を丸くする。


「いつもの倍どころじゃないですね」


ミハルも驚きを隠せない。


村の入口へ並ぶ荷車は、以前より明らかに多い。

それに建材らしき材木まで混じっている。


先頭を歩いてきたハルトは、いつも以上に機嫌がよかった。

軽く右手を挙げながら、レオへ近づいて来た。


「よお、レオ」

「思い切って、船を新造した」


「は?」


レオが眉を上げる。


「小型じゃない、中型船だ」


「急にでかく出たな」


「急じゃねえよ」

「勝てると踏んだからだ」


「何に」


「この村に、だ」


その一言で、村人たちのざわめきが少し変わった。


中型船。

その意味が分からない者もいる。

だが、分かる者には十分だった。


運べる荷が違う、運べる人が違う。

商売の規模が一段変わる。


「本気だな」


「最初から本気だったさ」


「そうか」


「新店舗の準備も始めるぞ」


「早えな」


「早い方がいいだろ」


「それはそうだ」


「だろ?」


ハルトは、荷車の列を顎で示した。


「村への荷が多い理由も分かるだろ」


レオの目が少しだけ細くなる。


「例のシロップか」


「そうだ、大当たりだ」


「そんなに売れたか」


「帝都の上が食いついた」


「御婦人方か?」


「女だけじゃない」

「茶会、贈答、それに分かったふうな顔をしたい連中まで全部だ」

「これは今後もっと伸びるって顔をしたやつが出てきた」

「継続して欲しがるやつがいる、そこがでかい」


ちょうどそこへ来ていたテオドールが、小さく頷いた。


「市場ができ始めたわけですね」


「そういうことだ」

「一度きりの珍味で終わらなかった」


「めんどくせえな」


レオが言うと、ハルトはにやりと笑った。


「最高だろ」


「お前にとってはな」


「違いない」


荷を改めると、その意図ははっきりしていた。

ただ運んできただけではない。

明らかに、村を一段階上げるための荷だ。


それに、店舗用の板材と看板用らしき平板。


「ハルト、ほんとに店やる気だな」


「ここまで来て仮小屋で済ませる方が馬鹿だ」


「それはそうか」


「でも、ちゃんといい場所は寄越せ」


「図々しいな」


「商人だからな」


「便利な言葉だ」


村人たちの間にも、明るいざわめきが走っていた。


「そんなに売れたのか」


「帝都で?」


「あのシロップが?」


「すげえな」


「じゃあ、あの森でもっと採れば」


そこへイルゼがすぐ割って入る。


「だから採りすぎるなって言ってるだろ!」


「分かってるよ!」


「分かってても欲が出る顔してる!」


「だって売れるんだろ!?」


「売れるけど、来年も売るんだよ!」

「今年だけじゃない。来年も、その先もだ」

「木を食い潰したら終わりだよ」


「そこまで見てるのか」


「当たり前だろ!」


レオはそのやり取りを見て、少しだけ口元を緩めた。


「頼もしいな」


「甘味だからね!」


「便利な言葉だ」


新店舗の話は、その日のうちに本格化した。


村の中心ではない、だが人の流れから外れすぎない場所。

荷の出し入れがしやすく、外から来た者にも見つけやすい位置。


テオドールが地図代わりの板へ線を引き、ハルトが「あそこは近すぎる」「そこは冷たい」と文句をつける。

最終的に、テオドールが指したのは広場から少し外れた水路脇だった。


「ここです」

「村の中心から一段引きますが、物流と人の動きは拾える」

「領主館へも近すぎない、商会としては十分です」


ハルトが少し目を細める。


「悪くねえ」

「ほんとに嫌なとこ突いてくるな、お前」


「褒め言葉として受け取ります」


レオも頷いた。


「そこならいい」


「じゃあ決まりだ」

「荷に基礎材も載せてある」


「お前、仕事が早すぎるんだよ」


「だから中型船なんだ」


「そういう理屈か」


「そういう理屈だ」


そして、ハルトは追加の情報も持ってきていた。


「まだある」


ハルトがそう言った時、レオは露骨に嫌な顔をした。


「お前のまだあるは、ろくなことがねえ」


「そうでもない」


「半分くらいはな」


「便利な数字だな」


ハルトは笑いながら、胸元から細長い筒を取り出した。

上等な紙を巻いて入れるための、簡素だがきちんとした筒だ。


見た瞬間、テオドールが先に察したらしい。


「姿絵ですか」


「正解」


「誰のだ」


「決まってるだろ、セラフィーナ様だよ」


その場の空気が、少しだけ変わった。

村の仕事は山積みだ。

新店舗の話も、荷の整理も、移住者の受け入れも終わっていない。


だが、セラフィーナの姿絵という一言は、それらとは別の意味で人を止める力があった。


「見せる気満々だな」


「ここまで運んで隠すわけねえだろ」


広場のど真ん中で広げる話ではないので、領主館の応接間へ移ることになった。


入ったのは、レオ、テオドール、ガーネット、アリス、それにハルト。

ガレスは「俺は顔の良し悪しは分からん」と言いながら、結局少し遅れて入ってきた。


全員が揃ってから、ハルトがゆっくりと姿絵を広げる。


上等な紙だ。

きちんとした絵師の手によるものだと、一目で分かる。

応接室に沈黙が落ちた。


「おい…」

「この娘、ちょっと美人すぎないか?」


沈黙を破るように、レオが思わず言葉をこぼした。

アリスも姿絵へ顔を寄せる。


「うわ、なんですかこれ」


「セラフィーナ嬢ですね」


テオドールが、あまり表情を変えずに言った。


「そうですけど」

「さすがに盛ってますよね?」


レオが同意するように、姿絵から目を離さずにハルトへ問いかけた。


「だよな?」


「マジだ」

「俺も一度本人を見たが、ほんとに顔もいい」

「化け物だぞ、いい意味で」


ガレスも腕を組んだまま、姿絵をじっと見ていた。


「坊ちゃん、たしかに俺でも分かる」

「これはすげえな」


「顔の良しあしは、分からんのじゃなかったのか」


「分からんが、これはさすがに分かる」

「すげえもんはすげえ」


ガーネットは、少しだけ目を細めて姿絵を見る。


「美しいですね」

「この手の姿絵は、多少は整えて描きます」

「ですが、骨格そのものはごまかせません」


「つまり?」


レオが姿絵から顔を挙げて、ガーネットを見た。


「実物も、かなり近いかと」


「やっぱり化け物じゃねえか」


月光を溶かしたような銀の髪。

整いすぎているくらい整った顔立ち。

ただ可愛らしいのではない。

冷たく見える一歩手前で、きっちり高位の家の娘として成立している。


目元は少し吊り気味だ。

それが、ただ優しいだけではない性格をはっきり示している。

口元は薄い。

笑えば柔らかくなるのだろうが、この絵ではそこまで崩していない。


「近寄りがたい感じがするな」


レオが呟く。


「だろ?」

「だから帝都でも完璧すぎるって言われる」


「男が勝手に怖がる顔です」


テオドールが淡々と言った。


「急に嫌な言い方するな」


「でも事実でしょう」


「否定しにくい」


アリスは少し複雑そうな顔で姿絵を見ていた。


「レオ様…綺麗ですね、悔しいですけど」


「何にだ」


「なんとなくです!」


「正直だな」


「最近ほんとにそう言われること増えました」


レオは、しばらく黙って姿絵を見ていた。


今まで、セラフィーナは話だった。

公爵家令嬢。

婚約破棄された女。

帝都最高級の札。

政治と経済と外交の化け物。


そういう記号の塊だった。


だが、こうして顔がつくと違う。

そういう実感が、少しだけ増した。

姿絵をじっと見つめたままのレオへ、アリスが怪訝そうに声を投げた。


「レオ様?」


「なんだ」


「大丈夫ですか、ちょっと止まってたので」


レオはようやく姿絵から目を離した。


「思ったより実感が出た」

「やっぱり、絵でも顔があると違う」


「それはそうでしょうね」

「記号ではなく、人になる」


テオドールも頷く。


「嫌な言い方だけど、分かる」


最後に、レオはもう一度だけ姿絵を見た。


セラフィーナ=ウインザルフ。


この女が、この村へ来る。

公爵家の令嬢として、自分の妻となるために。

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