第105話 水針蜥蜴
レオたちは池の手前で、ミハルたちと合流した。
若い狩猟班の面々は、全員が低く身を伏せている。
弓は構えているが、まだ撃ってはいない。
撃てなかったのではない。
撃つべきかどうか、判断を保留したのだ。
「ミハル、大型は見たか」
合流するなり、レオが問う。
「見ました、でかいです」
「どこだ」
「池の向こう側です」
「気づかれてるか」
「いえ、大丈夫かと」
ミハルが、そっと顎で先を示す。
レオたちは身を低くして、湿った土の上を少しずつ進んだ。
春先の森は明るく、冬より見通しはいい。
だがその分、水辺に落ちる光が強く向こうの輪郭が逆に掴みにくい。
枝の隙間から、池が見えた。
アリスが、無意識に息を止める。
異形だった。
大きい。
鹿や猪の類ではない。
もっと獣とも鳥ともつかない、嫌な大きさだ。
まず目が異様に大きい。
頭の両脇へ張り出すようについていて、水辺の光をぬらりと返している。
口は横に広く、そこから時折長い舌がぬめるように伸びた。
身体つきは蜥蜴に近い。
だが、前脚の外側から皮膜が伸び翼になっている。
飛竜のような大翼ではない。
飛べはするのだろうが、空を支配するような飛び方はしないと一目で分かった。
「飛ぶ翼じゃないな」
「滑るか、跳ぶか、その程度だ」
ガレスが値踏みするように、呟く。
「それでも面倒だな」
エルマーが、杖を構えながらぼやく。
そして何より目を引いたのは尾だった。
身体の後ろに、ずるりと引きずるように伸びている。
だが、ただ長いだけではない。
途中から不自然に膨らんでいた。
まるで袋のように。
あるいは、何かを溜め込むための器官のように。
その先端だけが、逆に細く絞られている。
鋭い針のように。
レオは、頭から尾の先までゆっくりと視線を動かした。
「あれか…」
「さっき、水を飲んでました」
「そうしたら、尾が膨らんだんですよ」
ミハルが尾を指差しながら説明した。
「水を体内に溜めるわけか」
「エルマー、どう見る?」
「たぶん、飲んだ水を尻尾に貯めてるな」
「そして、あの尾の先から圧縮して撃ち出す」
「最悪だな」
魔物は池の縁にしゃがみ込み、巨大な目で周囲を見回していた。
時折、長い舌を水面へ伸ばす。
そのたびに、尾の膨らみがわずかに脈打つ。
エルマーが、その光景を見ながら顎に手を当てた。
「レオ、名前をつけるなら水針蜥蜴だな」
「安直だな」
「名前なんて後にしろ、問題はどう殺すかだ」
ガレスはすでに剣に手を掛けていた。
レオは、目を逸らさずに水針蜥蜴を見た。
恐らく飛行は苦手。
だが前脚が翼ということは、跳躍と滑空で距離をずらしてくる。
尾は水を圧縮して撃ち出す。
しかも先端が針状なら、ただの水弾ではない。
貫通力があると見るべきだ。
「池から離したいな」
レオが全員を見渡しながら言った。
「水場にいる限り、補充される可能性があるな」
エルマーも同意するよう頷いた。
ガレスは、すでに木の位置と地面の傾斜を見ていた。
「坊ちゃん、正面からは駄目だ尾の射線が通る」
「しかも池の縁はぬかるんでる、足を取られたら終わりだ」
「左から回すか」
「悪くない」
「そっちは木が多いな、水を撃ってきても線が切れる」
「なるほど」
「ただし、跳んでくる可能性はある」
「前脚が翼だしな」
「でかい目してるぶん、視野も広いだろう。
「まずは位置を取る」
その時だった。
水針蜥蜴が、ぴたりと動きを止めた。
巨大な目が、水面ではなく森の方を向く。
「ちっ、気づかれたな」
ガレスの舌打ちと同時に、長い舌が引っ込み尾の膨らみが一段大きく脈打った。
「伏せろ!」
レオが叫ぶのと、尾が跳ねるのはほぼ同時だった。
空気が裂けるような音がすると、木の幹が弾け飛んだ。
水だ。
だが、ただの水ではない。
細く、鋭く、圧縮された水の針が目の前の木を貫いていた。
幹に穴が開き、その周囲へ水と木片が飛び散る。
「レオ、やばいぞ」
エルマーが伏せたまま言った。
「ああ、想像以上だ」
イルゼの顔が一気に険しくなった。
「当たったら終わりだね」
水針蜥蜴は完全にこちらへ向いていた。
池の縁から身体を起こす。
やはり大きい。
立ち上がると翼の膜がぬらりと広がり、尾が不気味に揺れた。
「やるぞ、池から引き剥がす」
レオが、木の影に身をせよながら剣を抜いた。
全員が短く了解の意を示す。
春の池は静かに見えていた。
だがその水辺には、明らかにこの村の水場を明け渡す気のない異形がいた。
飛竜ではない。
だが、十分に厄介だ。
そして、その厄介さはまるで春そのものみたいだった。
冬が終われば、ただ明るくなるわけではない。
眠っていたものも、全部起きてくる。
水針蜥蜴との戦闘は、最初から楽ではなかった。
あの異形は、見た目以上に厄介だ。
池の縁を滑るように動き、こちらが木を盾にしたと見るや、位置をずらしてくる。
飛竜ほどではない。
だが、前脚の翼を使った跳躍と滑空が絶妙に嫌らしい。
「右!」
ガレスが吠える。
乾いた破裂音とほぼ同時に、圧縮された水の針がレオのいた位置を貫いたていた。
背後の木に深い穴が穿たれ、水と木片が弾ける。
レオは転がるように横へ出る。
「洒落にならねえな!」
水針蜥蜴は、池を背負う位置を崩さない。
巨大な目でこちらを見回しながら、尾の膨らみを脈打たせる。
長い舌がぬらりと伸び、水面を舐めるたびに尾がわずかに膨れる。
「補充してやがる!」
エルマーが身を隠しながら、蜥蜴を見る。
「弓を撃て!池から引き剥がせ!」
レオがミハル達へ叫ぶ。
ミハルたち狩猟班が、左右へ散って弓を射る。
狙うのは目ではない、顔周りと翼だ。
一本は弾かれ、
一本は翼膜をかすめ、
三本目が首筋へ浅く刺さった。
水針蜥蜴が濁った声を上げる。
「効いてる!」
「でも浅い!」
「十分だ! 苛立たせろ!」
ガレスが叫ぶながら、小刻みに動いて距離を詰める。
木々の間を低く走り、常に尾の射線を切り続けていた。
レオもまた、池の正面を避け左手側から距離を詰めていた。
アリスはレオの少し後ろ。
剣とバックラーを構え、いつでも飛び込める位置だ。
水針蜥蜴が、そこで翼を大きく広げた。
滑空、いや跳躍だ。
飛ぶのではなく、低く速く木の間をすり抜けるように前へ出る。
同時に尾がしなると、連続で水針が飛んだ。
「伏せろ!」
一本目が木を貫き、
二本目がミハルの頬をかすめた。
「うっ!」
「ミハル、下がれ!」
ガレスが叫ぶ。
「大丈夫、浅いです!」
ミハルは弓を構えなおしながら、気丈に答える。
水針蜥蜴は着地と同時に、ぬかるみではなく乾いた地を選んでいる。
ただの獣ではない、知恵がある。
「池から引いたぞ!」
「でもまだ近い!」
「もう一押しだ!」
エルマーが詠唱と共に、杖を地へ叩きつける。
土が低い壁のようにうねり、水針蜥蜴の進路を少しだけずらした。
だが水針蜥蜴は、それすら前脚の翼で軽く越える。
「くそ、今の越えるのかよ」
「越えるだろうな! だから厄介なんだ!」
叫びながら、レオはそこで腹を決めた。
「アリス!」
「はい!」
「閃光いけるか?」
少女の目が一瞬で変わる。
「任せてください!」
意図は正確に伝わった。
水針蜥蜴は頭がいい。
池から少し離された程度では、すぐに戻ろうとする。
なら、その戻る前に無理にでも大きく動かすしかない。
レオがあえて正面へ出る。
「こっちだ!」
剣を掲げながら、木陰からでる。
巨大な目が、ぴたりとレオを捉えた。
長い舌がぬらりと伸び、尾が大きく脈打つ。
「レオ様!」
「分かってる!」
乾いた音がして、水針が飛ぶ。
レオは横へ転がる。
その隙に、ガレスが別角度から短剣を放った。
狙いは首ではない。
顔のすぐ横。
水針蜥蜴は本能的に頭を振り、短剣を避けた。
だがその反応で、体勢が上へ逃げた。
そこへ追撃するように、顔目掛けてガレスが再度短剣を投擲する。
「今だ!」
ガレスが叫ぶ。
水針蜥蜴は危険を察して飛んだ。
正確には前脚の翼を目いっぱい広げ、頭上の木々を越えるように跳ね上がった。
「アリス!落とせ!」
「全員、目をつぶれ!」
跳んだのを見て、レオが力の限りに叫んだ。
「はい!」
アリスの左腕が前へ出る。
銀のバックラーの縁が、春の森の薄明るさを受けてきらりと光る。
そして、純白の光がアリスの左手に集まる。
聖光。
閃光よりも鋭く強い。
まるで朝日を槍のように凝縮した光が、跳んだ水針蜥蜴の顔面へ炸裂した。
「グゲゲゲ!」
魔物が初めて明確な悲鳴を上げる。
大きすぎる目が災いした。
聖光はまともに両眼を焼いた。
光を受けた瞼の内側で、ぐじゅりと嫌な音がする。
「やった!」
薄っすらと目を開けながら、ミハルが叫ぶ。
「落ちるぞ!そこだ!」
ガレスが落下地点を指差しながら叫ぶ。
水針蜥蜴は、空中で一気に姿勢を崩した。
翼が乱れ、前脚の膜が無茶苦茶に風を叩く。
だが、もう風は掴めない。
そのまま、巨体が斜めに落ちる。
地響きが起き、森の木々が軋むような音を立てる。
舞い上がった土煙を差しながら、レオがエルマーへ指示を飛ばす。
「エルマー!頼む!」
「任せろ!」
エルマーの杖が地を叩いた。
土が唸る。
落下地点の地面が盛り上がり、そのまま鋭く伸びた。
槍。
いや、土の杭だ。
突き上がるように生まれた土槍が、墜落してきた水針蜥蜴の片翼を地面へ縫い付けた。
「ギィィィイ!」
魔物が暴れる。
片翼を土槍に串刺しにされても、まだ死なない。
尾が狂ったように振れる。
先端の針が、泥と木の根を裂く。
老剣士は、すでにもう動いていた。
土槍に縫われた巨体の死角へ潜り込み、振り上げるのではなく横から斬る。
狙いは尾の付け根。
あの厄介極まりない水袋付きの長い尾だ。
嫌な手応え。
だが刃は止まらない。
ガレスの一閃が、尾をきれいに断ち切った。
長く膨らんだ尾が、泥の上へどさりと落ちる。
切断面から水と血が噴き、魔物が絶叫した。
「坊ちゃん!」
「分かってる!」
レオも走り込んでいた。
水針蜥蜴は片翼を縫われ、尾を切り落とされ、それでもなお暴れている。
長い舌がぬらりと伸び、頭を振る。
目は焼け、もう焦点も合っていない。
だが、だからこそ本能だけで噛みついてくる。
「終わりだ!」
レオは、盛り上がった土槍の根元を踏み高い位置を取る。
大きく剣を振りかぶる。
狙うのは頭だ。
額の奥、脳へ届く一撃。
それを渾身の力で振り下ろした。
鈍い音がして、骨を割る感触がレオに伝わる。
刃がぬめるが、止まらない。
レオの一撃が、水針蜥蜴の頭へ深く食い込んだ。
魔物の身体が、びくりと大きく震える。
前脚の翼が痙攣し、長い舌がだらりと垂れ、巨体が最後には力を失って沈んだ。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




