第104話 池に潜むもの
セラフィーナの受け入れ準備。
徐々に増えてきた移住者の受け入れ。
相変わらず、レオの村は忙しかった。
いや、以前より忙しいと言っていい。
春が近づくにつれ、やるべきことは減るどころか増えていく。
冬を越えたからこそ、今のうちに手を打たねばならないことが山ほどあった。
テオドールは、もはや書類屋というより村役人の元締めだった。
新規移住者の振り分け。
家族構成の確認。
技能の見極め。
どこまで村の内側へ入れるかの判断。
書類の山を前にして、本人が真顔で言った。
「レオ様、私があと三人ほしいですね」
「無茶言うな」
「無茶なのは、いまの仕事量です」
「違いねえ」
「ですが、やるしかありません」
「知ってる」
エルマーもまた、暇とは程遠かった。
土の魔法使いとして、畑の拡張、水路の掘り直し。
春先のぬかるみ対策、小さな堤の補修。
魔法使いという響きほど華やかではない。
むしろ毎日土まみれだ。
だが、今の村で一番必要な魔法は、たぶんそれだった。
「また水路が増えてるぞ」
とレオが言えば。
「増やさなきゃ食えないだろ」
エルマーが返す。
「正論だな」
「俺は正論しか言わん」
「お前の正論は、半分くらい違う気もする」
「便利な数字だな」
ガレスはガレスで、ほとんど訓練場に住んでいた。
新入りを一から鍛える。
歩き方、槍の持ち方、弓の引き方。
森で死なないための距離感。
とにかく基礎。
だが、その基礎が村の生死を分ける。
カイルの鍛冶場も、朝から晩まで火が落ちなかった。
農具の補修、狩猟班の鏃。
村の自衛用の槍の穂先。
最近は、飛竜の鐙の改良も行いだした。
「これ誰が考えた」
カイルが鐙の金具案を見て眉をひそめる。
「俺だ」
ドーレンが胸を張る。
「頭おかしいな」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めてねえよ」
「でも要るだろ」
「そこが腹立つんだよな」
イルゼは、ほとんど半分引きこもりのようになっていた。
シロップの煮詰め具合、保存性。
薬との相性。
甘味としての改良。
「イルゼも、あれで戦ってるな」
アトリエを眺めがら、レオが言う。
「一番楽しそうですけどね」
見回りに同行していた、アリスが返す。
「それはそうだ」
「甘味ですから」
「便利な言葉だな」
「最近ほんとに」
そんなふうに、村全体が忙しかった。
春を迎えるために。
人を受け入れるために。
そして、来るべき公爵令嬢の輿入れにも間に合わせるために。
だからこそ、その若者が領主館へ飛び込んできた時、ただ事ではないとすぐに分かった。
扉が勢いよく開く。
土と汗の匂いと荒い呼吸。
「レオ様!」
叫んだのは、狩猟班の若者だった。
この間来たばかりの移住者で、まだ二十に届くかどうか。
痩せてはいるが足は速い。
ミハルが「あいつは足が速い、育て甲斐がある」と言っていたのを、レオも覚えていた。
「どうした、森か?」
「はい」
「落ち着いて言え」
「森の浅い層の池です」
「池?」
何事かと出てきたテオドールが、若者を見る。
「狩猟班が水場として使ってる、あの池ですか?」
「はい」
「何があったんです?」
「大型の魔物が!」
その一言で、部屋の空気が変わった。
レオだけではない。
近くにいたガレス、エルマー、イルゼ、アリスまで一斉に集まって来る。
「どんな奴だ、見たまま言え」
ガレスの声が低い。
若者は唾を飲み込んだ。
「目が異常に大きいんです」
「それから、長い舌があって」
「しっぽも長くて、途中から膨らんでて」
「先端が、針みたいに尖ってる」
「それに、前足が翼でした」
誰もすぐには口を開かなかった。
頭の中で、その姿を組み立てているのだ。
「かなり大きいです」
若者は続けた。
「熊なんて目じゃないです」
「水場に居座ってるのか」
「はい」
「気づかれたか」
「たぶん、まだ」
「よし、坊ちゃん」
レオが全員を見渡しながら、即座に指示を出す。
迷いはない。
「ガレス、エルマー、アリス」
三人は、すぐに準備に取り掛かった。
「毒持ちの可能性があるから、イルゼも頼む」
「了解、薬を用意して来るよ」
「テオドール、村を頼む」
「帰りが遅れた場合の線も引いておきます」
「頼む」
「はい」
若者は、ようやく少し息を整えながら言った。
「レオ様、ミハルさんたちは池の手前で待ってます」
「よく戻ってきた」
「お前が走って報せたのは正しい」
若者は目を丸くした。
「名前は」
「ユアンです」
「ユアン、もう一回走れるか」
「走れます!」
「案内しろ」
「はい!」
武器を取る音が、館の中へ満ちた。
ガレスは槍ではなく、長剣を選んだ。
狭い森の浅い層、水場の周辺ならその方がいいと判断したのだろう。
レオは剣。
アリスも同じ。
彼女は腰の剣に加え、左腕へ銀のバックラーを通した。
「本気だな」
「相手が分からないので、魔法も使うかもしれません」
「そこは任せる」
イルゼは薬箱を背負いながら、館へ駆け込んで来る。
「イルゼ、ほんと仕事の顔になるな」
「そりゃそうだろ」
「甘味の時より怖いぞ」
「当たり前だよ」
ガーネットが、入口まで見送りに来ていた。
「村の中へは、まだ大きく知らせるな」
「バルドには共有しておいてくれ」
「サラを走らせております」
「早いな」
「こういう時のためにおりますので」
「助かる」
エルマーが杖を弄りながら、森のほうを見る。
「大型魔物が浅い層の池にいるってことは、春の水場を取りに来たか」
「たぶんな」
「それとも巣を作る気かもしれん」
「それは最悪だな」
「同感だ」
「討つ前提でいくぞ」
「当然だ」
外へ出ると、春先の空気はもう穏やかではなかった。
風はある。
だが、その風さえ急かしてくるように感じる。
ユアンが先に立つ。
本当に足が速い。
森の入口まで、迷いがない。
ガレスが小さく頷いた。
「たしかに育て甲斐はあるな」
アリスが横で、少しだけ口を結んでいる。
「怖いか」
少しだけ、気遣うようにレオが言った。
「少しだけ」
「そうだろうな」
「でも、何も知らないのも嫌です」
「それもそうだ」
「だから、行きます」
「よし」
森の入口は、もう冬ではなかった。
雪は消え、
湿った土と若い草の匂いがある。
その分だけ、命の気配も濃い。
だからこそ、水場に何かが入る。
「目が大きい」
エルマーが呟く。
「舌が長い、しっぽの先が針、前足が翼か…」
「分かるのか?」
駆けながら、レオがエルマーを振り返る。
「分からん」
「おい」
「でも、嫌な感じしかしない」
「それは同意だ」
「水辺を押さえられると厄介だ」
「だから今からやる」
前方で、ユアンが手を上げた。
「この先です」
「ミハルさんたち、あそこで待ってます」
視線の先、木々の間に人影が見えた。
こちらへ手を振っている。
春の始まりの森は明るい。
だが、その明るさが逆に、何か大きなものの気配を隠しているようにも思えた。
春はやはり優しいだけではない。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




