第92話 帝都へ刺さる甘味
翌朝、領主館の会議部屋では、珍しく全員の顔が少し重かった。
レオ、テオドール、ガレス、ガーネット、イルゼ。
そして、少し遅れてアリス。
昨夜の話を引きずったまま、机の上には紙が広げられている。
レオが全員の顔を見回した後、最初に口を開いた。
「結局、何から手をつける」
「優先順位だけでも切りましょう」
テオドールが昨夜のうちに纏めたメモを読み上げる。
「館の体裁、移住者の受け入れ、甘味の商品化」
「そして、公爵家を迎える前提での見せ方」
「このあたりで何を優先するか」
「最悪だな」
「ですが、最悪にもだいぶ慣れてきました」
「そこに慣れたくねえんだよ」
イルゼは腕を組んだまま、机へ突っ伏したいのを我慢している顔だった。
「領主様、甘味の方は待ったなしだよ」
「樹液の時期は限られる、今やらなきゃ損だ」
「分かってる」
「分かってるが、他も全部待ったなしだ」
アリスは、そこへ少し言いにくそうに口を挟む。
「セラフィーナ様の件、館の中をちゃんと整えるのは、やっぱり大事ですよね」
「そこはガーネットに一任したいが、だめか?」
ガーネットが静かに頷く。
「そこはお任せください」
「辺境の荒れた館で迎えるのと、まだ若いが整い始めた領主館で迎えるのでは、見え方がまるで違います」
「全部見直します」
「すまないが、これはガーネットにしか任せられない」
その時、廊下を走る音がした。
「ちょっと、止まってください!」
サラの悲鳴のような声も聞こえてきた。
足音に遠慮がない。
館の中を走るのを止められている子供でも、ここまでではない。
「嫌な予感がします」
ガーネットが、額に手を当てながらぼやく。
次の瞬間、扉が勢いよく開いた。
「レオ!何だあの甘味は!」
飛び込んできたのは、ハルトだった。
髪は少し乱れている。
息も上がっている。
だが、目が完全に商人の目だった。
「朝からうるせえ」
「うるさくもなる!」
「あんな隠し玉があったなら、もっと早く見せろよ!」
「昨日は色々あっただろ」
「それでもだよ!」
会議部屋の重い空気が、一瞬で別の意味で崩れた。
ハルトはそのまま机へ乗り出す勢いで話し出した。
「あれは売れる!」
「間違いなく、帝都で売れる!」
「砂糖みたいにくどくない!」
「上品だ!香りがある!」
「特に女は飛びつく!」
「いや、女だけじゃない。上級貴族は確実に食いつく!」
「なんなら最初は、珍しい新大陸の甘味ってだけで勝てる!」
イルゼが、そこで思いきり頷いた。
「だろう」
ハルトはやっと一つ息を吐いた。
だが、まだ落ち着いてはいない。
「昨日の夜、ちょっとだけ舐めて」
「そのあと、パンに塗ったやつ食った」
「で、確信した」
「これは、いける」
テオドールが努めて静かに言う。
「具体的に、どの層へ刺さると見ますか」
「帝都の上級貴族だ」
「理由は、上品だからだ」
「砂糖は強い甘さで分かりやすい」
「でも、こっちは香りと後味が綺麗だ」
「分かるやつだけが分かる高級品って顔してやがる」
「そういうのは、帝都の上の連中が大好きだ」
「なるほど、説得力がありますね」
「商人の目利きなめんな」
レオは、そこで少しだけ目を細めた。
「公爵家にも刺さるか」
「刺さる、断言する」
「もし本当にセラフィーナ嬢が来るなら、ああいう手合いにも一発で分かる札だ」
「見た目で価値が分かるし、舌で格が分かる」
「しかも珍しい」
「帝都の完成品みたいな女ほど、ああいうのには敏いぞ」
その言葉に、アリスがほんの少しだけ視線を伏せた。
完成品。
その言い方が、妙に胸に引っかかった。
ハルトはそのまま続ける。
「レオ、公爵令嬢が来るかもで胃を痛めてたろ」
「今も痛えよ」
「向こうが帝都最高級の札なら、こっちも新大陸最高級の札を見せろ」
「この甘味は出せる」
「しかも、見た目も味も、すぐ価値が分かる」
「辺境の村じゃなく」
「帝都の上を唸らせる産物を持つ土地として見せられる」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
レオも、テオドールも、ガレスも。
ガーネットすら、少しだけ考える顔になる。
レオがハルトに向き直る。
「見せ札、か」
「しかも、かなり強い」
「レオ様、面白いですね」
テオドールも筆を走らせながら、言葉を落とす。
「面白いで済ますな」
「ここであの甘味が、商品から外交資産へ格上がりしました」
「言い方が気に入らねえけど、たぶんそうだな」
「単価だけの話ではありません」
「この村は帝都へ刺さるものを持っている」
「その証明になる」
「公爵家がこちらを値踏みするなら」
「こちらも、この札で向こうの反応を見られます」
ハルトは、ようやく椅子へ腰を下ろした。
だが目はまだ爛々としている。
「とにかく、最初に出すなら量は絞れ」
「小瓶だな、焼き菓子寄りでもいいかもしれん」
「焼き菓子?」
イルゼが首を傾げる。
「生地に練り込んだやつだ」
「マルタ達から、聞いた」
「相変わらず、耳が早いな」
ガレスが鼻を鳴らした。
そこで、アリスがおそるおそる口を挟んだ。
「レオ様」
「なんだ」
「セラフィーナ様って、すごく頭がいいんですよね」
「らしいな」
「なら、ただ美味しいだけじゃなくて」
「この村がどこまで先を見てるかも見そうです」
「その通りです」
テオドールの目が、少しだけ細くなる。
アリスが目を瞬く。
「合ってました?」
「むしろ大事な視点です」
「彼女が本当にハルト殿の言う通りの人物なら、これをどう領地の力に変えるかまで見ます」
「こちらも、そこまで答えを用意して見せる必要があります」
「甘味そのものより、甘味を持つ領地としての頭を見られるわけです」
アリスはテオドールの説明を聞きながら、胸の奥がまた少し落ち着かないのを感じていた。
昨夜からずっとそうだ。
セラフィーナという名前が出るたび、頭では正しいと分かるのに、心のどこかがひっかかる。
この甘味の話だって、村にとっては明らかに追い風だ。
セラフィーナのような人間が来るなら、きっとそういう札の価値も正確に見抜くだろう。
それなのに、そう考えるほど、余計にその存在が現実味を帯びてくる。
帝都の完成品、公爵令嬢。
レオの婚約者として、ほぼ定まった相手。
胸の奥が、少しだけざわつく。
レオは椅子へ深く座り直した。
「分かった」
「甘味は、ハルトに見せるだけの札じゃねえ」
「公爵家にも、帝都にも、この村が何を持ってるかを示す札だ」
「どう使うか、どう増やすか、どこまで守るか」
「テオドール、そういうことだな」
「その認識で正しいです」
レオはそこで少しだけ黙った。
もしセラフィーナが来たら。
この甘味も、村も、館も、全部違って見えるのだろう。
良い方へ行く可能性は高い。
たぶん、高すぎるくらいに。
それでも、それが本当にこの村にとっていいことなのか。
今のこの泥臭い村の空気ごと強くしてくれるのか。
それとも、別のものに作り変えてしまうのか。
そこまでは、まだ分からない。
そして、なぜかその想像の端に、アリスがいる。
甘味のことを言いながら、帝都の女のことを気にして、でもきちんと村の先を見ている、
あのじゃじゃ馬シスターが。
沈黙を破るように、イルゼが手を挙げた。
「領主様、煮詰めの段階をもっと詰めるよ、いいかい?」
「お前、ほんとに止まらんな」
「甘味だからね!」
「そこはもういい」
そこまで聞いて、ハルトがにやりと笑った。
「レオ」
「なんだ」
「昨日までは、ちょっとまずいことになってるぞだった」
「どういう意味だよ」
「今は、ちょっと面白いことになってるぞだ」
レオは、小さく息を吐いた。
「まだ、面倒の方が多い」
「でも、面倒と利が両方あるなら、商売になる」
「お前らしいな」
「だろ?」
そうして、会議室の空気はまた少しだけ変わった。
追い込まれるだけではない。
こちらにも見せ札がある。
しかも、帝都に刺さる札だ。
春が近い。
面倒は山ほどある。
だが、この村もまた、ただ待っているだけではなかった。
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