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第91話 春の前、揺れる心

会議が終わったあと、レオは一人で外へ出た。


領主館の扉を開けると、空気はまだ冷たい。

だが、真冬の刃みたいな冷えではない。

空気の奥に、もう少し柔らかなものが混じり始めている。


雪は、ところどころ残っている。

けれど広場の端は土が見え、

水路の音も、冬の間より少し大きい。


春が近い。

レオは、村をゆっくり見渡した。


ここまで来た。

新大陸へ流されるみたいに来て、巨猿を倒し、火尾鶏を討ち、村になった。

人が増え、飛竜が生まれ、甘味まで見つけた。


普通なら、一つでも手に余る。

それなのに、まだ増える。

今度は公爵令嬢だ。


しかも、ただの政略の駒ではない。

帝都の中心で育った完成品。


「化け物、か」


ハルトの言葉が頭をよぎる。


見た目は極上。

中身は政治と経済と外交の化け物。


嫌な言い方だ。

だが、たぶん間違っていない。


レオは苦笑した。


「来る前から、面倒だな」


もし本当に来たら、村の見え方も変わる。

人の流れも、対外の口も、全部変わる。


良くなる部分は多いはずだ。

たぶん、すごく。


公爵家の名はでかい。

人材も流れやすくなる。

本家も、帝都も、少なくとも今よりは軽くこちらを扱えなくなる。

村の格は確実に上がる。


それは分かる。


レオも貴族の端くれだ。

結婚が、好き嫌いだけで決まるものではないことくらい知っている。

家と家の利が絡み、血が絡み、名が絡み、その上で人が動く。


今さらそこに夢を見る歳でもない。


むしろ、利があるなら使うべきだと、頭では分かっている。

この村を守るためなら、なおさらだ。


だが同時に、今のままでは済まないこともはっきり見えた。


セラフィーナが来れば、この村はもっと大きくなるだろう。

もっと強くなる。

もっと洗練される。


その代わり、今の村の空気のままでいられるかと言われると、たぶん違う。


今のこの村は、荒い。

泥臭い。

でも、その荒さごと前へ進んできた。


そこへ帝都の理屈が入る。

しかも、最高級の形で。


それは本当に、この村にとって良いことなのか。

良いに決まっている、と切れるほど単純でもなかった。


「嫌かと聞かれたら」


レオは小さく呟く。


「分からねえな」


嫌だ、とは言い切れない。


面倒だし厄介だ。

飲まれる可能性もある。

それでも、話としては強い。


そして、どこかで思っている。

そんな女が本当にここへ来たら、この村はどこまで変わるのかと。

その想像をしてしまう時点で、もう完全に拒んではいないのだろう。


「くそ」


自分で自分に少しだけ腹が立つ。

そこで、不意に別の顔が浮かんだ。


アリスだ。


卵番をして、アズを抱えて、剣を振って。

妙に真っ直ぐで、時々うるさくて。

でも、ここしばらくやけに自然に隣にいる顔。


セラフィーナの事を考えているはずなのに、なぜそこであいつが出てくるのか。


「余計に面倒だな」


今度は、さっきより本気でそう思った。


その時、背後で雪を踏む小さな音がした。


「レオ様」


振り向くと、アリスだった。

吐く息が白い。

だが、顔は少しだけ迷っていた。


「アリスか、どうした」


「その…一人になりたかったなら、戻ります」


「来たなら来い」


アリスは、少しだけほっとした顔をして、隣まで来た。

少し距離はある。

でも、今日はそれがちょうどよかった。


「さっきの話、聞いててちょっと怖かったです」


「ちょっとだけ、か」


「半分くらいは」


「便利だな」


少しだけ、二人の間に笑いが落ちる。

それからアリスは、少し真面目な顔になった。


「セラフィーナ様、すごい人なんですね」


「そうみたいだな」


「悪役令嬢って言われてるけど、本当は違って」

「でも、優しくて可哀想なだけの人でもない」

「たぶん、すごく強い」


「そうだろうな」


アリスは、少しだけ言いにくそうに、それでも続けた。


「私、ちょっとだけ…嫌だな、って思いました」


レオは、そこで何も言わなかった。

急かさず、ただ待つ。


アリスも、自分で言ってしまってから少し耳が赤くなっていた。


「会ったこともない人なのに、嫌とか変ですよね」


「変じゃない」


「そうですか?」


「ああ」


アリスは、一度レオをちらりと横目で見た。

それから、言葉を探すように少し黙る。


「たぶん、分かってるんです」


「何を」


「村にとっては、良い話かもしれないってことです」

「公爵家で、セラフィーナ様本人もすごい人で」

「それなら、ここはきっともっと良くなる」


そこでアリスは、小さく息を吐いた。


「でも、それを頭で分かってても」

「心が、ちょっと嫌だって言うんです」


「そうか」


その言い方が妙に正直で、レオは少しだけ目を細めた。


「なんで嫌なんですかね」


「自分で分かってるだろ」


「言わせないでください」


「そうか」


しばらく、沈黙が落ちた。

水路の音が遠く聞こえる。

風は冷たい。

でも、前より少しだけ柔らかい。


「アリス、お前はどうしたい」


「私が決められることじゃないです」


「そうだな」


「嫌だと思うのは、本当です」

「だって…」


アリスはそこで、少しだけ顔を上げた。


「私、まだ…レオ様の隣に、ちゃんと立ててもいないので」


その言葉は、思っていたよりまっすぐだった。


アリスなりに、ここで自分の立つ場所を作ろうとしている、その途中だ。

そこへ帝都最高級の札が来るかもしれない。


そりゃ、嫌でもあるだろう。

そしてレオは、その言葉を聞いて、自分の胸の中にも似たものがあることに気づいた。


セラフィーナが来ること自体が嫌なのではない。

利があるのは分かっている。

だが、そこにアリスの顔がちらつく。


もしセラフィーナが来たら、村は変わる。

そして、今こうして並んで立っている距離も、たぶん今のままではいられない。


そこまで考えてしまった時点で、自分ももう十分に面倒な場所まで来ている。


「そういうとこ、ほんとに真っ直ぐだな」


「悪いですか」


「嫌いじゃない」


アリスが、あからさまに息を呑む。


レオも、言ってから少しだけ視線を逸らした。

軽く言ったつもりだった。

だが、自分で思ったよりその言葉は重かった。


アリスは胸の奥が、きゅっと熱くなるのを感じた。

嫌いじゃない。

ただそれだけの言葉なのに、変に響く。


そして、嫌だと思った理由が、自分の中でもうだいぶはっきりしてきてしまう。


怖いのではない。

セラフィーナが優秀だからでもない。

その人が、レオの隣に来るかもしれないからだ。


そこまで気づいてしまって、アリスは少し困ったように俯いた。


レオはそこで、視線を少しだけ広場へ戻した。


「今は、まだ何も決まってない」

「だが、帝都での話が進んでるのは事実だ」

「でも、こっちがただ座って待つつもりもない」


「はい」


「アリスが今、慌てて自分の場所を諦める必要もない」

「ちゃんと立て、その先の話はその先だ」


「はい」


アリスの返事は、小さかった。

けれど、今までで一番しっかりしていた。


「公爵令嬢がどうとか考える前に」

「お前はお前で、もっと強くなれ」

「この村で、こっちの札として」


アリスは、その言葉を聞いて、ゆっくり頷いた。


「ちょっとだけ、安心しました」


「ならよかった」


また少し沈黙が落ちる。

今度の沈黙は、さっきよりずっと軽かった。


「レオ様、本当にセラフィーナ様が来たら」

「私、負けませんから」


「何にだよ」


「それは…」


アリスは少しだけ困ったように笑った。


「まだ、うまく言えません」


「そうか」


「でも、負けません」


「そういう顔、嫌いじゃない」


「またそれ」



アリスは、そこでほんの少しだけ笑った。


レオはその横顔を見て、さっきよりはっきり自覚した。

自分は思っている以上に、アリスのことを気にしている。


まだ名前はつかない。

つけるには、早い。

だが、ただの部下でも、ただの仲間でもない、もう少し違う場所へ来ている。


アリスの方も、きっと同じだろう。


冬の終わりの夜気は冷たい。

でも、春は近い。

村にも、空にも、帝都にも、それぞれ別の形で春が来ようとしている。


そしてたぶん、自分たちの中にも。

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