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第90話 春は優しくない

サラがテオドールを呼びに走り、そのまま受け入れ作業を一時的に引き継ぐことになった。

こういう時、元とはいえ地方役人だった経歴が役に立つ。


ほどなくして、テオドールが入ってくる。

なぜかアリスも一緒だった。


レオは一度アリスを見たが、何も言わなかった。

テオドールがガレスの横へ座り、アリスは何となくガーネットの横に控えるように立つ。


暖炉には火が入っている。

だが、部屋の空気は少しも温かくなかった。


「ハルト殿、どこまで確定ですか」


最初に口を開いたのは、テオドールだった。

いつも通り静かな声だ。

だが、机の上に置いた指先が、ほんの少しだけ止まっている。


「婚約自体は、ほぼ既定路線だ」

「正式な発表前ってだけで、家同士の話はかなり進んでる」

「侯爵家は公爵家と話を詰めてる」

「公爵家は帝室へ」

「侯爵家は宮中と帝都の有力貴族へ根回しを始めてる」

「ここまで来ると、止めるより、どう着地させるかの話だ」


テオドールは、それを聞いてしばらく黙った。

それから、小さく息を吐く。


「レオ様、最上級ですね」


「何がだ」


「面倒さがです、しかも質がいい」


「最悪だな」


「最高に面倒です」


二人の話を聞きながら、ガレスが鼻を鳴らした。


「テオドール、どう見る?」


「先に言っておきます」

「断るのは、かなり難しいです案件です」

「本家だけならまだしも、公爵家が絡む話です」

「ここで雑に蹴れば、独立分家が身の程知らずに大貴族を侮辱した形へ持っていかれます」


「まあ、そうだろうな」


「つまり、受けるしかないんですか」


ここでアリスが、少し不安そうな声を出した。

その声は小さかった。

だが、部屋の中では妙にはっきり響いた。


テオドールは、首を振った。


「何も考えず受けるのは悪手です」

「受けるにしても、条件と立ち位置をこちらで整えねばなりません」

「でなければ、本当に首輪になります」


レオが腕を組む。


「じゃあ、どうする」


「まず整理です」


彼は紙を引き寄せると、ためらいなく筆を取った。


「利からいきます」

「一つ、公爵家の格」

「これは村の見え方を一気に変えます」

「辺境の分家村ではなく」

「公爵家令嬢が入る価値のある新大陸拠点になる」

「人の流れも、商人の反応も、変わるでしょう」


「それはハルトも言ってたな」


「二つ、公爵令嬢本人」

「私もセラフィーナ嬢の事は、多少知っています」

「軍でも一度話題に上がりましたので」

「話が本当なら、彼女は人材として破格です」

「正直に申し上げて」

「村の格を一段どころか三段くらい引き上げる可能性があります」


「三段もか」


「少なく言ってそれです」


ここでハルトが口を挟んだ。


「少なく見すぎだ」

「帝都での評判だけで言えば、あの公爵令嬢は化け物だぞ」

「政治、経済、外交、社交、礼法、全部一流だ」

「おまけに公爵家の血で魔力も高い」

「風と氷の使い手で、魔法師としても一級」

「公爵令嬢って立場がなけりゃ、帝都の魔法師団が頭下げて迎えに来るって言われてる」


部屋が静まる。


さすがのレオも、少しだけ眉を寄せた。


「盛ってないか」


「盛ってねえ、むしろ削ってる」

「婚約破棄の件で傷はついた」

「だが、それで価値が落ちるような代物じゃない」

「だからこそ、公爵家も次を雑には決めねえ」


アリスは黙っていた。

政治も、外交も、魔法も一流。


言葉が重なれば重なるほど、胸の奥が少しずつざわついた。

村にとっては良い話のはずだった。

本当にそう思う。

それなのに、レオの正式な婚約話としてその名前が置かれるたび、胸のどこかが妙に落ち着かなかった。


もちろん、顔には出さない。

出せるはずもない。

ただ、無意識に作った拳を握る力だけが、少し強くなる。


テオドールは、今度は害の方を示した。


「公爵家の目が入る、これは確定です」

「本人だけで終わるはずがない、人も理屈も入ってきます」


「そうだろうな」


「そして、本家の首輪」

「レオ様の兄君は、良縁を世話した兄の顔で村へ紐をつけたがる」

「婚姻を通じて、家の論理を流し込むつもりでしょう」

「これも確定です」


「最後に、セラフィーナ嬢が本当に帝都の完成品なら」

「こちらが領主として前に立てなければ、飲まれます」


部屋が静まり返る。

そこは、全員が分かっていることだった。

優秀な妻、ではない。

格も能力も飛び抜けた政治人材が入る。

それを迎えるということは、助けを得ることでもあるし、油断すれば主導権を奪われることでもある。


「そこは、俺も思った」


レオが腕を組みながら、唸るように応えた。


「なので前提です」


テオドールは、机を指先で叩いた。


「前提として、レオ様が領主として立ち続けること」

「相手がどれだけ優秀でも、この土地の主は自分だという軸だけは渡さない」

「そこが崩れれば、全部終わります」


ガレスが小さく笑う。


「結局そこか」


「剣でも村でも同じです」

「軸が死んだら、あとは流されるだけ」


ハルトが茶を置きながら、口を挟む。


「商人目線でもそうだ、公爵家の格は使える」

「セラフィーナ嬢本人も、使えるどころじゃねえ札だ」

「だが、使われる側に回ったら負けだ」

「だから、最初の立ち位置だけは間違えるな」

「助けてくださいで迎えたら終わる」

「組みましょうで迎えろ、その差はでかい」


ガーネットが、静かに頷いた。


「公爵家令嬢に、救われる村という見え方にしてはいけません」

「整いつつある領地へ、相応の夫人を迎える」

「そこまで持っていく必要があります」

「館も、当然整えなければなりません」


「やれますか?」


レオがガーネットを見る。


「それこそが、侍女長の仕事です」


その返答は、妙に頼もしかった。

そこで、ハルトがもう一つ思い出したように口を開いた。


「あと婚約破棄の件だが、教会が噛んでるって噂がある」


「教会?」


レオがハルトに向き直る。


「男爵令嬢が皇太子に近づいた流れが、妙に綺麗すぎるらしい」

「教会が裏で道筋を整えたんじゃねえかってな」

「真実の愛だのなんだのを甘い餌にして、皇太子を転がしたって話まである」

「どこまで本当かは分からん」

「少なくとも帝都じゃ、セラフィーナ嬢も教会の策に巻き込まれた被害者だって見方がある」

「だから、公爵家の外聞もまだ生きてる」

「傷はあるが、落ちたわけじゃない」

「むしろ、同情と評価の両方が残ってる」


テオドールが目を細める。


「なるほど、それは厄介ですね」

「単に婚約破棄された令嬢じゃない」

「帝都の一部では、気の毒な被害者でもある」


アリスは、その話を聞きながら、少しだけ胸のつかえが増すのを感じていた。

悪い人ではないのだろう。

むしろ、理不尽に巻き込まれた側なのかもしれない。

それは分かる。

分かるからこそ、余計に何も言えない。


それでも、レオの隣に立つ相手としてその人の話がされるたび、胸の奥が少しだけ重くなった。


「その…」


アリスは、おそるおそる口を開いた。


「セラフィーナ様って」

「やっぱり、怖い人なんでしょうか」


ハルトは少し考えてから答えた。


「怖いだろうな」

「それだけじゃない、冷たいってより、隙がねえ」

「それでいて頭が回る」

「しかも、必要ならちゃんと笑う」

「帝都じゃ完成品扱いだ」

「だからこそ、婚約破棄で潰れなかった」


ガレスもそこは頷いた。


「怖いだけじゃ使いもんにならねえ」

「本当に厄介なのは、頭が良くて、しかも折れてないことだ」


テオドールはが、今までの内容を紙に整理しながら、纏めるように言う。


「この縁談は、逃げる話ではありません」

「飲み込まれる話でもない」

「こちらからも条件を持って迎える話です」

「村を整える、甘味の札も形にする」

「アズとヴァルカの件は、切り札としては伏せる」

「正式に話が来た時は、こちらも価値を持った側として応じる」

「それが最善かと」


レオは、そこでしばらく黙った。

暖炉の火が揺れる。

外では雪解けの水が、どこかで落ちる音がした。


春は近い、村は動いている。

そして帝都もまた、こちらを呑み込もうと動いている。


「分かった、受け身ではいかねえ」

「迎えるにしても、こちらの形で迎える」


「それがよろしいかと」


「そのために、村をもう一段整える」

「館も、人も、仕事も」

「本家にも公爵家にも、拾われる側だと思わせねえ」


「それでこそ、レオ様です」


ハルトも少しだけ笑みをこぼしながら、話を纏めた。


「俺は帝都側の空気を、もう少し拾ってくる」

「色々と伝手を総動員だ」


そうして話し合いは終わった。


何も解決してはいない。

だが、軸は決まった。


逃げない、飲まれない。

こちらも価値を持った側として、公爵家を迎える。

その覚悟だけは、部屋の中に確かに残った。


扉の外へ出た時、アリスは一人だけ少し遅れた。

誰にも見られていないことを確かめてから、小さく息を吐く。


良い縁談なのだろう。

村にとっても、大きな意味がある。

それは分かる。


それでも、胸の奥に残る小さなもやは、まだ消えなかった。

言葉にするほどではない、するべきでもない。

ただ、少しだけ苦い。


そんなことを思いながら、アリスは静かに顔を上げた。


春は近い。

でも、その春はきっと、少しだけ優しくない。

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