008 ミュータント
学校の昼休み。
取手翼翔は、教室でクラスメイトの会話に耳をそばだてていた。
「七人目のルーターさ、誤報かと思ったら、マジもんらしい」
「ニュースで文科省が認めたってやってたな。本人の希望で氏名の公表は避けるとか」
「スゲーよな。前回は四年前のオバちゃんだろ? あの人まだルーター続けてるっぽいぜ」
「一応ハイウォーカー目指してるらしいけど、まだ4Fをウロウロしているって、前にテレビでやってたな」
「あのオバちゃん、初期の頃に何回か死んで、心が折れてるって話もある」
「まあ……5Fへ行くのは大変らしいしな」
薄暮の塔は、0F、5F、10F、15Fと5の倍数に町がある。
最初はだれでも0Fから始めるが、特定の条件を満たすと5Fに上がることができる。
この最初の関門を越えられるかどうかが、ルーターの試金石となっている。
関門を越えられず、1Fから4Fの間でルーティング(ゴミ拾い)をしている者をローダー、5Fの町に到達し、その上を目指す者をハイウォーカーと呼んで区別している。
というのも、5Fのガチャからかなり有用なものが排出されるからである。
確率はかなり低いが、怪我や病気を治すポーションも5Fのガチャからもたらされる。
ルーターズサイトに募集がかかっているアイテムも、ほとんどが5Fのガチャから出る。
翼翔が名前すら聞いたことがないものがそれが原因だ。
現在日本のルーターの半数がハイウォーカーであるが、それでも10Fまで到達できた者はいない。
公表されていないので詳細は不明だが、世界には10Fのガチャから排出された『若返りポーション』が、何度か表に出てきた。
それを服用した大金持ちの話や、数年に一度、オークションにも出品されるため、10Fへ到達したルーターが確実に一人は存在している。
非公表であるため、どの国のルーターか分かっていない。
「七人目もぜひ上を目指してほしいわ」
「ああ、おれたちの暮らしは1ミリも変わらないだろうけど、頑張ってほしいな」
それを聞いた翼翔は、「ありがとう」と声をかけたくなったが、さすがに自重した。
その代わり、低層で停滞することなく、上階を目指すことを密かに決意した。
◯
放課後、家に帰ろうと翼翔が席を立ったとき、一人の女子が近づいてきた。
「取手くん、まだ帰らないで」
「うん?」
どうやら翼翔に用事があるらしい。
急いでやってきたせいで、彼女の息が少し荒く、肩のあたりで切り揃えた黒髪がまだ揺れている。
「……あのね、いまから学園祭実行委員の打ち合わせがあるんだけど、出席できる?」
「……?」
翼翔が首を傾げていると、その女子は少しだけ困った表情を浮かべた。
「四月の委員決めのとき、立候補したでしょ」
「あ~、そういえば……したかも」
高校生活の残り一年をより実りあるものにしようと、翼翔はクラスの学園祭実行委員に立候補していたのだ。
その後、女子にフラレ、ボッチの夏休みを過ごし、ルーターになったことですっかり忘れていた。
十一月に学園祭するのは覚えていたが、気にも留めていなかった。
だからといって、四月に立候補した委員の仕事が無くなるわけではない。
「今日は初顔合わせの会議みたい。出られる? 無理ならわたし一人で出るけど」
「あ~……ゴメン、用事がある」
翼翔はいまルーティンを始めたばかりで、それを崩したくなかった。
「そう。じゃ、欠席ね。そう伝えておく」
「ごめん」
「ううん。大丈夫」
そのときふと、翼翔は彼女のことを少しだけ思い出した。
クラスメイトの結菜などは、進学校にありがちな校則の緩さにあぐらをかいて、毎日バッチリと化粧を決めている。
他の女子も同様だ。高校三年生にもなると、派手にならないレベルで化粧している女子はそれなりにいる。
ただこの目の前の女子はまったく化粧っ気がないことで、逆に一部の男子に人気があったはずだ。
「会議で決まったことは、明日報告するね」
それだけ言うと、彼女は去っていってしまった。
翼翔の中では、今頃は彼女ができており、学園祭実行委員でいいところを見せ、当日は二人で楽んだはずだった。
「現実は本当にままならないよな……それでいまの子、名前なんだっけか」
翼翔の記憶が確かなら、これまで一度も話したことがない。
翼翔をまっすぐ見つめたときの大きな瞳は、思ったより印象に残った。
少しでも話したことがあれば覚えていたはずだ。
「それより名前だよ。えーっと……西河さんだ!」
授業中、教師からそう呼ばれていた。
そして残念ながら、下の名前は思い出せなかった。
◯
家に帰った翼翔は、初心者セットを装備して渦に飛び込んだ。
翼翔の感覚では一日(24時間)ぶりだが、塔の中では六日が過ぎている。
当然ながら、ガッランドの店はもうなかった。
「裁線筆欲しかったな……」
ただ、同じ町を使っていれば、いつか会うこともある。
そのときCPに余裕があるなら、注文して買うことができる。だから慌てることはないと、翼翔は自分に言い聞かせた。
「……さて、今日も頑張るか」
翼翔は塔1Fに向かった。
黒い壁を潜ると、道は五本あった。そのうち二本は、記憶にない方角へ伸びていた。
「六日も経つと、こうなるよな」
そのうちの一本を選んで、翼翔は探索を始めた。
道の上を歩きながら、翼翔はハイウォーカーのことを考えた。
より大金を稼ぐならば、5Fの町を拠点とした方が断然いい。
たとえば、0Fのガチャから出る薬やポーションは、すべて最低品質のものだ。
最低品質でも地球では需要あるし、それなりの値段で買い取ってくれる。
だが、5F産の薬やポーションは文字通り買取金額の桁が違う。
将来を考えれば、ぜひともハイウォーカーになりたい。
「けど……運も絡むからなぁ」
5Fに上がるには、1Fから4Fの各階に落ちているシャード(欠片)を拾わなければならない。
各階のシャードを一つずつ、計四つのシャードを集めないと5Fへは行けないのだ。
1Fから2F、2Fから3Fへ上がるには、シャードを集める必要はない。
その階へ赴いた回数とワークベンチの使用回数、そしてガチャの回数が一定値を越えれば、自動的に解放される。
つまり問題はどうシャードを見つけるかである。
シャードは5cm程度の石の欠片で、ぼんやりと光るのが特徴だ。
見た目は黒曜石に近い。それを各階で探さなければならない。
余談だが、シャードは滅多に見つからず、ワークベンチだと5000CPで買い取ってくれるため、他のルーターから買うのは難しい。
そして一般的なルーターは、シャードを見つけた場合、もうその階は必要なくなるので入らなくなる。
そのせいで、複数のシャードを手に入れる者はほとんどいない。ある意味、ルーター泣かせのアイテムがシャードなのである。
「この道はどこに繋がっているのかな。あまり荒らされてなければいいけど」
シャード探しを考えるなら、道を外れて未探索の構造物を見つければいい。
だがそこにはミュータントがいる可能性が高い。
装備も揃わないうちにミュータントに出くわすのは自殺行為である。たとえ保険に入っていようともだ。
「ん? あれは……げぇっ、ミュータント!?」
道の先にミュータントがいた。翼翔の声が届いたのか、ミュータントはキョロキョロと周囲を見回している。
「一体だけだけど、はぐれか? ……ヤバッ、見つかった」
――GYURRRAAA
ミュータントが翼翔めがけて駆けてきた。
当然翼翔は逃げる。だが、すぐに思い直した。
「このまま道を戻ったら、入口までミュータントを引き連れてしまう。それじゃ、MPKだ」
黒い壁を潜れば翼翔は安全だが、次にここへ来たルーターがミュータントの餌食になってしまう。
翼翔は道を外れて、大きな円を描くようにして走った。
しばらく翼翔とミュータントの追いかけっこが続いた結果……。
「……追ってこない? ミュータントって、そんな持久力なかったっけか。いや、なんか最初から疲れていたような?」
まだ数百メートルほどしか走っていないが、すでにミュータントは目で見て分かるほど疲れており、翼翔に追いつけなくなっていた。
「まあいいか」
これ幸いと、翼翔はミュータントとの距離を離し、視界が切れたときに大きな岩陰に身を隠した。すると……。
――ひょこ
二つの長い耳が翼翔の視界で揺れた。
見ると、岩陰に穴を掘って、身体を縮こませるように体育座りしている兎獣人(♀)がいた。
翼翔とその兎獣人の目が合う。
長くて大きい耳は、真っ白なファーがついているように、もこもこしていた。
「あの……?」
翼翔が声をかけると、兎獣人はビクッと身を震わせた。
しばし、互いに沈黙する。その間に翼翔は考えを巡らせた。
最初から疲れているように見えたミュータント。そして何もないところで隠れている兎獣人。
「もしかしてミュータントに追いかけられていた?」
兎獣人はコクコクと頷いた。
「なるほど……あれは追いかけっこのあとだから、疲れていたわけか」
もともとミュータントは、その力強さとは反対に、持久力はそれほどないと言われている。
だが今回出会った相手は、あまりにバテるのが早かった。
何のことはない、すでに兎獣人と追いかけっこしたあとだったのだ。
逆に考えれば、穴の中で震えているこの兎獣人が、ミュータントを道の上まで引っ張ってきたとも言える。
不可抗力であろうが、あまり褒められた行為ではない。
一言文句を言ってやろうと口を開きかけた翼翔だったが、兎獣人の悲しそうな目を見て口を閉じた。
「まああれだ……生きてて良かったね」
すべてを飲み込み、辛うじてそれだけ言った。
◯
「傷薬が百万円で売れたらしい」
その半値で大手病院へ卸す予定だったが、途中でどこかの富豪が買い取ったようだ。
「あからさまなインターセプトだったみたいですね」
曽根咲夜が冷笑を浮かべている。
「倍額で買い取るんだから、文句はないだろと言い放ったらしい」
局長の鳥之瀬吉影は、難しい顔のまま、ヤレヤレと頭を振った。
ルーターに多額の税金が使われているのは、彼らの社会貢献度が高いからである。
決して、一部の富豪のためではない。
「仲介した者は当然、コレですよね?」
咲夜がクビを切る真似をした。
「下っ端を切っても意味はあるまい」
「上はどこです?」
「デジタル庁の参与と聞いている」
「あ~……繋がりからすると、相手はIT関連会社の富豪ですか。それはまた」
そういう者は、若くて金だけはあるが、常識が足りない。
天才だけど馬鹿というやつである。
「だからこそ横紙破りをしたわけだが、この成功体験を人に話せば、続く者が出るかもしれない」
「なるほど! 今回はそっちで我慢しろということですね!」
「前々から目を付けていたらしい。少しは参与も大人しくなるだろう」
「どうですかね……」
後日、とあるIT会社の社長宅に家宅捜索が入った。
そこから脱税の証拠となる書類や現金、貴金属が多数押収されたとニュースで報道された。
パソコンを含め、関連物はすべて押収されるため、今後はさらなる証拠探しは始まるだろう。
脱税額がゆうに三億円にのぼること、架空会社への外注、暗号通貨への資産隠し、役員への口裏合わせがあったと報道されている。
ここまで脱税額が巨大で、手口が悪質だと実刑は免れないというのがコメンテーターの見解だった。




