006 姫とママ
異界の存在が確認されてからおよそ10年。
つい先日、日本人として七人目となるルーターが誕生した。
このニュースは国内のみならず、世界に大きな衝撃をもって迎えられた。
いわく、日本はどこまでいくつもりだ。もういっちゃってるなと。
北海道の中央に大きくそびえる大雪山のふもと。
試楽院琴音は、友人であり、ルーターの先輩でもある根々塚明美が住む牧場を訪ねていた。
明美は琴音より一年早くルーターに目覚め、初心者時代の琴音をよく指導した。
その縁で琴音は、半ば引退した明美といまだに親しく交流を続けている。
「テレビ見たわよ。またルーター平均化論が再燃したみたいね」
「急にインタビューが来たんで、ちょっと噛みついてやったわよ」
翼翔の個人情報については伏せられているものの、七人目のルーター誕生のニュースは格好の餌だったようで、テレビ局各社の食いつきはすさまじいものだった。
だが本人には取材できない。ならばどうすればいいかと考えたテレビ局は、琴音にインタビューを試みたのである。ルーター平均化とからめて。
ルーター平均化とは、常任理事国にルーターの管理を任せ、大国に均等に割り振ることによって富の均衡化をはかり、地球全体で繁栄していこうという考え方である。
大国と先進国を合わせると四十近い国がある。ちょうどいいのではないかというのが、ルーター平均化の主張である。
もちろん琴音は反対しているし、多くのルーターが反対を表明している。
自分たちは駒ではないというのがその主張である。
「熱的死圏の数を正確に報告していない国とか、ぜひとも欲しいんでしょうね」
「独裁国家や社会主義国、あと共産国とかは絶対に正直に報告してないわよね」
「うん。自国民にウィークポイントを隠したい国は想定以上の熱的死圏を抱えていると思うわ」
「よね~……それで国が立ち行かなくなっても自業自得でしょうけど、地球全体に影響があるのが困りものね」
熱的死圏とは、数十年前から観測されている不思議な現象で、直径数キロメートルほどの円形の範囲内で、まるでエントロピー増大による『熱的死』のような現象がおこることをそう表している。
熱的死圏にはいくつかの段階があり、まず温度の変化がなくなり、風がまったく吹かなくなる初期段階からはじまる。
そこにいる人間は不調を訴え、生き物がその地から去っていってしまう。
中期段階になると、音や光すらも失われていく。
完全な静寂の中、色のコントラストを失った世界ができあがるため、この段階になると遠くからでも視認できる。
そして最終段階。
すべての物質が光の粒子となり消滅する。もっとも、まだそこまで至った例は存在せず、理論上有り得るという段階に留まっている。
このような熱的死圏が、いまも地球上に二百近く存在している。
そのどれもが、人が足を踏み入れない場所ばかりであり、人類社会に影響はほとんどない。
ただしこれを解消できるのは、ルーターが異界から持ち帰るキューブと呼ばれる四角い物質のみとなっている。
キューブは、日本が世界に向けて輸出している戦略級物資となっているのだ。
琴音と明美も過去にいくつもキューブを持ち帰り、熱的死圏消滅に貢献してきた。
だがいまだ、完全除去に至っていないのは、ルーターの絶対数が少ないからだろう。
ルーターを抱えていない国土の広い国は、いまどれだけ熱的死圏を抱えているか、正確な数を公表しているとはいいがたい。
そして熱的死圏は近くに複数できると、そこに巨大な熱的死圏が生まれることも分かっている。
そうなると、熱的死圏を消滅させるのに必要なキューブがたくさん必要になり、ルーターの負担が増大する。
ゆえに世界各国には、熱的死圏の数を正確に報告する義務を課しているのだが、それを守らない国があるのである。
「そういう国ほど、ルーター平均化に積極的なのよねぇ……」
明美はその時のことを思い出したのか、遠い目をした。
「あれだけ貢献しているのに、日本への風当たりも強いし、本当に嫌になるわ」
ルータータレントとして露出の多い琴音は、その風をまともに受けている。
「わたしもいまだに出版社の方に、長文のお気持ち表明がくるわよ」
明美は29歳とき、5年間のルーター生活を綴った『異界探訪記』を出版した。
事細かに記録した塔の中のこと、知り合った異世界の人々のこと、そして塔の上階で体験した様々なことが書かれたこの本は多くの国で翻訳された。
動画配信サービス最大手からドラマ化もされ、知名度で言えば琴音とほぼ変わらない。
海外での知名度では、明美の方が高い可能性もある。
ただし明美はほとんどメディアに顔出しをせず、出版した翌年に結婚。出産を経て、現在は北海道の片田舎で馬の飼育と子育て中である。
タレントとして顔と名前が売れている琴音は『姫』、文化人として著作が売れた明美は『ママ』と世間で呼ばれている。
そんな姫とママは……。
「あ~……トキくん。かわいい~~」
明美の息子時哉2歳にメロメロになっていた。
〇
都内のゲームセンターで、三人の男女がたむろしている。
「ねえ、なんかつまんない」
宗像美麗が不機嫌な声を出すのはいつものことだ。
「新しい音ゲーでもやってみたら?」
「そういう話じゃないでしょ!」
「じゃあ、カラオケにいっ……」
「分かってるくせに」
徳和柊翔の言葉を遮り、美麗がジト目で柊翔と多尾芳一を睨む。
「「…………」」
柊翔と芳一は、揃って肩をすくめた。
「クラスは受験と学園祭組に分かれちゃったし、放課後は変わらないメンツで同じことの繰り返し……高校最後の半年間はコレなの? このまま卒業するの?」
美麗の言いたいことも分かる。だが男二人だって言い分がある。
事の起こりはこうである。
三年生になって、仲間内で男女間のすれ違いが持ち上がった。
取手翼翔が簑崎結菜に告白してフラれたのだ。
それだけなら慰めて終わりだ。心の傷は時間が解決してくれるだろう。
だが、グループチャットではなく翼翔を除いたDMで法輪樹が話題にしたのはいただけない。
センシティブな内容なのだから、当人同士で留めておけばよかったのだ。あれでは除け者にした状態で笑いものにしたも同然だ。
美麗はすぐ、樹に問いただした。
友達なのだから、たとえ翼翔から話があっても、ここで言うべきではないと。
だが樹は結菜から聞いたと言い出した。ここで美麗は「ん?」となった。
美麗すら聞かされていないことをなぜ樹が知っているのか。
結果、美麗は二人の交際を知ることになった。
たしかに結菜と樹は仲がよかった。それならそれで、先に言ってくれればいいと美麗は思ったが、当人たちの事情もあるだろう。
これらの会話がDMで繰り返され、グループチャットは閑散としているものの、裏では多くの会話がなされるようになった。
気が付いたら、翼翔がグループチャットから抜けていた。
どうやらだれかが、翼翔にチャット画面を見せたようだ。
高校三年生は忙しい。DMの合間に定期試験や全国模試があったりして、いつの間にか夏休みに入っていた。
結菜は樹と一緒に夏期講習を申し込んだようで、美麗たちと日中は会えなくなった。
美麗たちも夏期講習で忙しかった。
夏休み明けの9月。久しぶりにグループチャットで誘っても、結菜と樹は不参加。
これまでの遅れを取り戻そうと、放課後毎日残ったメンバーで出かけているのだが、一週間で一人消え、そしてまた一人消えてしまい、いまでは美麗と柊翔、そして芳一の三人だけとなってしまった。
この三人は夏期講習を一緒に受けたため、九月になってからもそのままでいられたのだ。
「そういえば芳一。お前、最近学力上がってね?」
柊翔がふと思い出し、そんなことを言った。するとなぜか美麗も頷いている。
「わたしもそう思った! だって夏なんか、無理してわたしたちと同じクラス受講したじゃん。結構ヤバイかなって思ってたのよ」
二人に言われて芳一が苦笑した。
「夏休み前の模試を自己採点したら結構良かったんだよ。……んで、なんか知らんけどやる気が出た」
芳一が受験を意識し始めたのは、二年が終わろうとする頃だった。
仲の良い柊翔に引っ張られた感じである。
そして勉強が分かってくると面白い。そう感じるようになった。
真面目に勉強を始めたところ、ほんの五ヶ月で結果が出たのである。
「夏期講習終わったあともなんか真面目だったしな」
「柊翔だって、家に帰ったら勉強してるんだろ? それを知ったから俺も真似しただけだって」
「なるほどな……ちなみに九月の実力模試はどうだった?」
「オール七割の出来!」
芳一はピースサインを出した。
「マジヤバ! わたしたちと同じ大学行けんじゃん?」
「そうだよ。国立だし、医学部あるし、近いし」
「そうだな……まっ、学園祭終わって、そのときまでに成績が落ちてなかったら考えるよ」
柊翔と美麗は一般家庭の出であり、兄弟もいるため、大学はできれば国立にしてほしいと両親から言われている。
そのため、はじめから国立狙いで受験勉強を進めてきた。
芳一は実家が開業医ということもあり、気にしたことはなかったが、二人にそう言われて悪い気がしない。
「よし、いっちょ頑張ってみるか」
「分かんないとこがあったら、おれが教えるぜ」
「わたしにも聞いてよね」
「助かるよ。……ところで放課後、どうする?」
「そうだな、だれか新規で誘うか?」
「いまさら? もう固定メンバーいるでしょ」
大学受験が迫る中、あと何回放課後にみんな集まって遊べるか分からない。
柊翔が提案するも、美麗は乗り気ではない様子だ。
「俺も呼べるような知り合い、クラスにいないなぁ……」
「だったら、翼翔呼ぶ?」
「グルチャ抜けたってことは、連絡してくるなってことでしょ。止めなよ」
「そっか……じゃ残り、このメンバーで遊ぶしかないだろ」
「だからそれがつまんないって言ってるの!」
結局、話はループした。
〇
「翼翔にいさん、久しぶり!」
「弥生ちゃん、久しぶり。大きくなったね。いまは……中学2年生か」
翼翔は一人っ子であり、弥生は親戚の子となる。
「もう、二年ぶりだよ。近所に住んでいるのに、全然会えないんだから」
翼翔が最後に弥生と会ったのは、彼女が小学校を卒業する頃。
お祝いを持っていったときに少し話をした程度だ。
二年前と比べると背は伸び、昔のやんちゃな雰囲気が面影だけになっていると翼翔は思った。
日焼けした肌は相変わらずだが、これは部活動の影響だろう。
ちなみに家はわりかし近所にあって、自転車で十分も漕げば遊びに行ける距離にある。
近くに住んでいる親戚はいつでも会えるからこそ、なかなか会わないのかもしれない。
「賢治おじさんと早苗おばさんは元気?」
「全然変わりないよ。……それより弥生ちゃんはどうしてここに?」
翼翔の住んでいるマンションに弥生が来ることはほとんどない。
「パパが言ってたけど、もうすぐ東京で会社のパーティがあるんだって」
「へえ」
「翼翔にいさん、全然興味ないでしょ」
「正直言うと、ない」
「だよね。たぶん出席しないんじゃないかってパパが言ってたから、確認しにきたの」
なるほどと翼翔は納得した。
弥生の父である高見稔は、一族のグループ会社を一つ任されている。
そのパーティがどういうものか翼翔は知らないが、弥生も出席するのだろう。今日は来ていないが、その妹の英も。
翼翔の母にも話が来ているのかもしれない。
「もし聞かれたら、俺は欠席ってことで頼む」
「ええ~!? 東京でやるんだよ?」
「母さんだってけっせ……いや、母さんは嫌々でも出席するかな。まあ、俺たち家族はあまり関わりたくないって言っといて」
「もう~~」
弥生はふてくされるが、翼翔は母系の一族とはあまり付き合いたくない。
性根が悪いとか、嫌がらせを受けているとか、そういうことは一切ない。
たた、母の言葉を聞くと、付き合いたいとは思えないのだ。
母の実家は歴史の長い商家で、戦中、戦後の動乱期にかなりの伸長を果たし、高度経済成長期にも躍進したと聞いている。
そのせいか、早苗の幼少時、近所の大人がこぞって早苗に頭を下げていたというのだ。
それは学校でも同じ。なまじグループ会社で働いている人の子が多いため、腫物扱いだったとも。
教師も同じだったらしい。それがとにかく嫌だったと。
翼翔の母は、高校卒を業後するとすぐに家族のもとを離れ、誰も知らない東京で、自分だけの力で生きてきたのだという。
そのせいか、盆や彼岸はもとより、正月すらロクに帰省していない。
それを見て育った翼翔も同様である。母の実家がある神戸へは、数回しか行ったことがなかった。
「まっ、おじいさんには、よろしく言っといて」
それが翼翔の答えだった。




