005 ルーティン
傷薬を管理センターに売った翼翔は、ホクホクした顔で家に帰った。
帰りの電車の中で、初めてエゴサもした。
もっとも七人目のルーターがだれなのかは依然不明。
ネット上のどこを探しても、翼翔の名前は載ってなかった。
「センターの人は上に報告するとは言ってたけど、発表はまだ先だったよな。これ、マスコミにルーター誕生の話が漏れた?」
いくらマスコミとはいえ、何もないところからすっぱ抜けるはずがない。
異界対策局の上、つまり大臣か官僚から漏れたのかもしれない。
もしそうなら、今後の付き合い方も考えてしまう。
家に帰った翼翔は制服から初心者セットの服に着替えた。
「時間は……午後五時か。いまから塔に行くとして、どのくらいで帰ってくればいいんだろう」
薄暮の塔の中では、地球の六倍の速さで時が流れる。
この時間の流れの差が、実は重大な問題となっている。長居しすぎると、時差ボケを引き起こすのである。
時差ボケと聞くと、飛行機で外国に行ったときを連想するだろう。
あのように一時的なものでさえ、寝不足やパフォーマンスの低下がおきる。
毎回薄暮の塔で長時間過ごすと、体内時計が狂いっぱなしになる。
時間の感覚がグチャグチャになり、睡眠不足と体調不良がずっと続くようになる。
すると、人はしだいにどちらかの世界に居続けることになる。その方が楽だからだ。
必然、向こうの世界に定住するルーターが出てくる。
「四時間以上ズレると時差ボケを感じるっていうし……やっぱりルーティンを持った方がいいかな」
ルーターは、自分で時間を管理する必要がある。
塔で十二時間過ごすと、地球では二時間経過する。
いま午後五時なので、塔で十二時間過ごすと、体感時間は午前五時になっている。
つまり朝五時のつもりで地球に帰ってくると、こっちではまだ夜の七時だったりする。
こんなことを毎日繰り返していたら、重度な時差ボケに苦しむことになる。
ちなみに塔の中は、ずっと夜明け直後のような薄暗い状態なので時差とは無縁。
問題は地球に戻ってきたときだ。だからそこだけ気をつければいい。
「……まずは時差を三時間程度にして、それで自分の身体がどうなるか確かめた方が良さそうだな」
昨日のように塔で四時間過ごしても、地球では四十分しか時が流れない。時差は三時間二十分だ。
これを毎日繰り返して体調の変化を確認する。問題なければ、塔にいる時間を伸ばせばいい。
翼翔はそう考えて、放課後毎日、向こうで四時間程度過ごすことに決めた。
「よし、それじゃ行くか」
翼翔は、足元に渦を作り出し、その中に飛び込んだ。
◯
「さあ、二回目の探索とルーティング(ゴミ拾い)だ! 道を外れるつもりはないけど、今日は少し遠くに行ってみようかな」
翼翔が塔1Fの黒い壁を潜ると、道が四本に減っていた。
「あれ? ……そっか、塔1Fって価値の低いゴミが多いから、もっと上に行ける人はここを使わないのか」
塔1Fは不人気ゆえに、利用するルーターが少ない。
競争相手がいないと喜べばいいのか、早くこんなところは卒業しなきゃと思えばいいのか。
翼翔は、四本の中で一番細そうな道を選んで進んだ。
三十分ほど道に沿って歩くと、病院のような建物が見えた。
「道はあそこに続いている一本のみか。まだ道を外れる勇気はないし、そこに決まりだな」
病院の中を歩くたび、足元にホコリが舞った。
「まだほとんどルーターが来てないってことかな……音もしないし」
壁の一部は崩落し、扉は外れている。耳を澄ましても、小さな物音ひとつしない。
ここに来たルーターはおそらく一人か二人。そして再入場制限で待機中なのだろう。
「……じゃ、俺もルーティング(ゴミ拾い)だな」
パッと見た限りでも、多くのゴミが散乱している。今回はなるべく価値の高そうなものを選んで持ち帰りたい。
「おっ、形状が違うけど注射器? こっちは精密機器っぽいな。あっ、薬品瓶があるじゃん。これいいな」
嵩張らず、重すぎず、さりとて価値のありそうものを選んでカバンに詰めていく。
色のついたガラス器具は、何に使うか分からなかったが、とりあえず持ち帰ることにした。
高値で売れそうな手術道具もあった。翼翔は、目についただけそれをカバンに入れた。
今回は書類や文房具のたぐいは見向きもしない。
過去のルーターの証言から、専門性の高い物、芸術性のあるもの、小さくて重いものほど価値があり、逆に汎用性のあるもの、日常的に使うものは価値が低いことが分かっている。
「色付き粘土じゃん。これは……別にいいかな」
どの階層でも等しく落ちている色付き粘土。10CPから15CPで買い取ってくれるただの換金アイテムだ。
粘土はカラフルなものが多く、色相12色に対応したものが存在していることが分かっている。
テレビのリモコンサイズのそれは、地球の研究者によると、組成は謎だがただの粘土で間違いなく、特別な部分は何も発見されなかったということだ。
翼翔はそれを放り出して、別のゴミを探すことにした。
「……これは病院が大き過ぎて、価値あるものをすべて持ち帰れなかったパターンか」
レプセの町では、思った以上に1Fを探索するルーターは少ないのだろう。
翼翔だって、早く上階へ行きたいのだから当然だ。
おそらく新規のルーターは、一ヶ月ほどで2Fへ上がり、3Fを目指して2Fで活動を続けるのだろう。
いま1Fをメインに探索しているルーターは、翼翔を含めて十人か二十人か。いや、二十人もいないのではないか。
「そうと分かれば、ここはじっくりとルーティングするべきだな。ミュータントに気をつけながら」
ときおり耳を澄まして他のルーターやミュータントがいないか確認しつつ、翼翔はカバンがパンパンになるまで探索を続けた。
◯
千代田区霞が関にある文部科学省異界対策局では、局長の鳥之瀬吉影が、先ほどから難しい顔で書類を眺めていた。
日本で七人目のルーターが誕生したことは正直喜ばしいことだが、一部の記者にすっぱ抜かれてしまった。
情報を流したのは、どこぞの大臣だろう。
忌々しいことだが、それを掣肘する権限がこちらにはない。
そしてすでに面倒事が発生しかけている。
「局長、ただいま戻りました」
取手翼翔の専属となった曽根咲夜が戻ってきた。
「曽根くん、お疲れ様。彼はどうだった?」
「ごく普通の高校生という感じです。ですが、やる気はありそうでした」
「そうか、それは朗報だ。ルーターは扱いが難しいからな。対応を間違えると、すぐに地球への興味を無くしてしまう」
「……そうですね」
異界へ赴く者が現れてから十年。世界各国は、ルーターとなる者の共通点を見つけ出そうとした。
だが人種、性別、年齢、環境、どれをとっても、およそ共通点と呼べるものはなかった。
唯一、「これは!」というものを見つけたのは、日本だけだった。
もちろん、発表はしていない。
ルーターの身近な人の声を集めたところ、「あいつは一度挫折したのに、うまいことをやりやがった」「人生の底に落ちかけたのに持ち直したな」といったものが多かった。
調べてみると、国内のルーターのほとんどが、渦が現れた当時、ネガティブな状態に置かれていたことが分かった。
もしかしてと日本政府が、国外の顔と氏名が分かっているルーターすべてを対象に調査した結果、その予想が正しいことが分かった。
彼らはみな、渦ができる直前に大きな挫折、理不尽な扱い、仲間の裏切りなど、無力感や絶望感を味わっていたのである。
「人生なんてクソだ」と叫ばずにはいられない境遇に陥っていたのだ。
つまりルーターに覚醒するほとんどの人は、いまの生活から抜け出したい、どこかに行ってしまいたいなどの感情を抱えていたことになる。
ルーターになるのはそんな連中ばかり。ゆえに、なにかきっかけがあれば、異界の方に感情移入してもおかしくないことが容易に想像できてしまった。
事実、長い間塔の中で生活し、滅多に地球に戻ってこないルーターは、いまなお生死不明の扱いになっている。
そのため、異界対策局としても、日本を嫌いにならないよう心情的なケアを重視することにした。
「曽根くんには迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」
「おまかせください……ところで局長、先ほどから難しい顔をしてらしたようですが」
咲夜は吉影が机の上に投げ出した書類に目を向けた。
そこには企業側から新しいルーターに対する要望が羅列されていた。
一度会って話させてほしい、こんなアイテムを持ってきてほしい、自社の広告塔になってほしい、我が社に迎え入れるから転職を打診してほしいなどなど。
一通り目を通して、咲夜の口が曲がった。
「まああれだ。外野のたわごとだよ……無視すればいい」
「はあ、局長がそう仰るのでしたら……」
その書類とやらは、どこかの省庁から回ってきたのだろう。
大臣や官僚が間に入り、「任せてください」と引き受けて、すでに何らかの見返りを得ているかもしれない。
いずれにしろ、完全に無視すると、異界対策局への風当たりが強くなりかねない筋からの依頼であるはずだ。
「なに、他国の蠢動に比べれば可愛いものだよ」
「それはそうですけど」
すでに異界管理センターの周辺に、監視の目があると報告が上がっている。
管理センターには毎日数十人から数百人の来客がある。
販売中のアイテムを買いにきたり、公開されている展示品を見にきたりするため、一般人の来場も多い。
それでも、中に新規ルーターがいるかもしれないと、目を皿のようにして見張っているのだろう。
だが新規ルーターである取手翼翔はもう、滅多なことではセンターに足を運ばない。
もはや、彼らの目に留まることはない。
「とにかく曽根くんは、雑音を気にせず、彼のためになることを心がけてほしい」
「分かりました。誠心誠意尽くします。もしかしたら、惚れられちゃうかもしれませんね」
「ふむ……曽根くんは優秀だと思ったが、年齢の計算は存外苦手と見える」
「うっ!?」
二十四歳の咲夜は、銃弾に撃ち抜かれたように胸を押さえて苦しんだ。
「局長……それ、セクハラですからね」
「そうかな。うーん、よく分からないな」
韜晦する吉影に、咲夜は不敵な笑みを浮かべた。
「あれれ……そういえばなぜか、録音ボタンが押したままに……」
「曽根くん!?」
「あー、私、良末のウナギが食べたいです。特上の二枚載せのやつ」
「…………」
「ちなみに私、官僚の知り合いは多いです。なぜかモテるようで」
「……分かった。二枚載せの特上だな」
「当然、肝吸い付きですよね。それと松茸の初物が出たらしいですよ」
期待のこもった目で局長を見る咲夜に、吉影は無言で頷いた。
「ゴチになりまーす。では二人分で予約入れておきますね」
咲夜はいそいそとスマートフォンを取り出した。
小声で、うっなぎ♪うっなぎ♪と、ハミングする24歳がそこにいた。




