↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TS狙撃少女のダンジョン配信 ~ひとりで稼ぐつもりが、お姉さんたちに餌付けされています~  作者: アルモア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/102

第58話 退所の日

 行かないつもりだった。


 三月三十一日の朝、のあはトースターの前で、そう決めていた。


(迎えは、園田さんと灯り火で足りる。荷物は丸山さんのトラックが運ぶ。俺が行っても、手が一本増えるだけだ)


 それに、あの子が礼を言う相手が、一人増える。


 パンが焼けた。一枚食べて、二枚目を焼いて、それも食べた。


 白い棚の前を通るとき、ゴブリンと目が合った。ハウンドドッグと、猫とも。


 八か月前、この部屋に来たとき、この棚には何も載っていなかった。


 *


 去年の夏、十六になった次の日に、のあは若葉寮を出た。春の退所日ではなく、誕生日で出ていく決まりの子は、一人で出る。


 持ち物は、鞄一つだった。着替えと、整備の道具と、通帳。それ以外は、全部闇にしまえた。


 玄関で靴を履いて、園田に頭を下げて、門を出た。門の外には、誰もいなかった。


 来る人がいないことは、知っていた。知っていたから、待たなかった。


 新しい部屋の鍵を開けると、白い棚が一つだけ立っていた。部屋に、最初からついていたものだった。のあは鞄を床に置いて、その棚を見て、何も思わなかった。


 何も思わなかったことだけは、覚えている。


 *


 十時に、のあは若葉寮の門の前にいた。


(……何やってんだ、俺)


 門の前に、小型のトラックが停まっていた。荷台の横に『丸山運送』。運転席から、丸山さんが降りてくるところだった。


「あら、灯り火のちっちゃい子。今日もお手伝い?」


「……通りかかったので」


「こんなとこを?」


 丸山さんは笑って、のあの手に飴を一つ載せた。


 荷台には、もう荷物が積んであった。


 千晴が中古の店で見つけてきた、小さな冷蔵庫と洗濯機。二つで三万四千円。真帆の家から来た、三段の本棚。紗月が選んだ、窓の寸法ぴったりの薄い緑のカーテン。まさねぇが「新品じゃなきゃだめ」と言って買ってきた布団。ゴンちゃんが編んだ、座布団のカバー。


 冷蔵庫と洗濯機の代金と、今日の運賃の一万八千円は、のあが出した。何を買うかは、千晴と紗月に任せた。


(金を出すのは得意だ。選ぶのは、得意な人に任せる。……それで、いい)


 玄関から、大きな鞄を抱えたまどかが出てきた。後ろに、段ボール箱を二つ重ねた千晴と、紗月が続く。


「あ! のあ先輩!」


 まどかが、鞄ごと手を振った。


「来ないって言ってたじゃん」


「通りかかったので」


「ここ、駅から坂の上っすよ?」


 千晴が、段ボールの陰で吹き出した。紗月は何も言わなかった。目尻だけが、下がっていた。


 玄関の奥で、園田がカーディガンの前を合わせて立っていた。のあを見て、ゆっくり笑った。


「来てくれたのね」


「……通りかかったので」


「そう」


 園田は、それ以上何も言わなかった。


 二階の窓に、小さな顔があった。ひなだった。窓際の棚に、猫の小像が飾ってあるのが見えた。ひなは、のあに気づくと、猫を指さして、それから小さく手を振った。


 のあは、少しだけ手を上げた。


 ほかの二人の子は、もう出ていった。一人は親戚が、一人は勤め先の人が迎えに来たらしい。


 まどかの荷物が、最後だった。


 *


 新しい部屋は、朝の光でいっぱいだった。


 丸山さんと紗月が冷蔵庫を運び、千晴がカーテンを吊った。のあは、洗濯機の水の栓を締めた。真帆は仕事の都合で来られなかった代わりに、本棚と一緒に手紙を一枚寄こしていた。『棚の二段目は、帳簿用』。


 一時間で、空の部屋が部屋になった。


 まどかは、部屋の真ん中に座って、しばらく何も言わなかった。


 カーテンが、窓の幅にぴったり収まっていた。


「……先輩、これ、測ったの?」


「見学のとき、窓の数字を見たので」


「指でなぞってたやつ?」


「なぞってました」


 まどかは、カーテンの裾をつまんだ。それから、膝を抱えた。


「なんか。……一人で出るもんだと思ってた。みんな、そうだったから」


 のあは、窓の外を見ていた。


(そうだよ。俺も、そうだった)


 言わなかった。一人で出た日のことは、この部屋に持ち込むものではなかった。


「一人で出る日も、あると思います。今日は、違っただけです」


「……それ、慰めてます?」


「事実です」


 まどかが、笑った。膝を抱えたまま、肩を揺らして。


 それから、本棚の空の段を見上げた。


「先輩の部屋って、何があるんすか。配信だと、いつも真っ暗じゃないすか」


「棚が一つ」


「それだけ?」


「……今は、小像が三つ載ってます」


「キモいのと、猫と?」


「と、犬です」


 まどかは、真帆の手紙を本棚の二段目に立てかけた。『帳簿用』の字が、こちらを向いた。


「あたしも、なんか並べよっかな。一個目、何にしよ」


「最初の一個は、急がなくていいと思います」


(俺は、三か月かかった。……それでよかった)


 千晴がカーテンの端を直しながら、こっそり笑っていた。


 *


 昼過ぎに、蓮が来た。


 胸当ては、革が張り替えられていた。工房で、一万六千円。背中には、貸出棚から借りた小盾。


「引っ越し、終わったか」


「終わりました!」


「じゃあ、ちょっと出ろ。明日の当番のこと」


 蓮はまどかを外へ呼んで、アパートの前の低い塀に並んで腰かけた。のあも、少し離れて立った。紗月と千晴は、部屋の中に残った。紗月は、窓から一度だけこちらを見て、それから段ボールを畳む作業に戻った。


(……聞かないでいてくれる。いつも)


 蓮が、上着の内ポケットから紙を一枚出した。


 手書きだった。大きな字で、上から順に並んでいる。


 引き継ぎで言うこと。どこで、何が、何体。足跡の大きさ。見に行ったか、行ってないか。


「明日、俺が午前で、お前が午後な。引き継ぎは俺から。分かんなかったら、分かんないって言え。それで十分だから」


「はい」


「それと」


 蓮は、紙の一番下を指さした。


 赤い灯は、見えたら先に上げる。考えるのは、あと。


「俺は、これを上げるのが遅れた。一回。……台車の前で」


 蓮は、それだけ言った。どうなったかは、言わなかった。


 まどかは、紙を両手で持って、じっと見ていた。


「あと、休め。週に二日は、絶対。休んだ日の分は、休んだ日の分だ。取り返そうとすんな」


「週に二日も休んだら、お金足りなくないっすか」


「足りる。当番の賃金は、そういうふうにできてる。……足りなくなるのは、休まないで壊れたときだ」


 蓮は、まどかの紙を指で叩いた。


「それと、帳簿の会。来月、来い。飯が六百円で、量がすごい」


「行きます!」


 のあは、塀の端で、それを聞いていた。


(受けたものを、次へ渡してる。……俺より、ずっと上手い)


 のあが蓮に渡したのは、伝票の裏の三行と、十万四千円だった。蓮がまどかに渡しているのは、紙一枚と、自分がしくじった話だった。


 どっちが効くかは、分かっていた。


 蓮が、こちらを見た。


「何だよ」


「何でもないです」


「顔が、何でもなくねえ」


「……休みは、週に二日ですか」


「文句あるか」


「ないです」


(前の職場の俺に、聞かせてやりたい)


 *


 夕方、のあは一人で、駅への坂を下りていた。


 灯り火の二人は、丸山さんのトラックで仕事部屋へ戻った。まどかは、部屋の窓から、見えなくなるまで手を振っていた。


 風が、まだ冷たかった。坂の下に、駅の明かりが見えた。


(行かないつもりだったのにな)


 のあは、ポケットの飴を出した。丸山さんにもらった、苺の味だった。


 八か月前、誰もいない門を一人で出た。今日は、門の前にトラックがいて、新しい部屋の窓から、見えなくなるまで手を振る人がいた。


 あの子の門が、自分の門と同じにならなかった。


 それで、十分だった。


 飴を口に入れたとき、端末が鳴った。


 画面に、相原の名前。


「……はい」


『のあさん。お休みのところ、すみません』


 相原の声は、いつもどおり平らだった。平らなまま、一拍だけ、間が空いた。


『S向けの情報が、更新されました』


 のあは、足を止めた。


『十一箇所目です』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。