第57話 続け方の棚
白い棚の前で、のあは十分近く動かなかった。
上から二段目に、ゴブリンの小像が五体並んでいた。ハウンドドッグが二体。その横に、猫が一体。
ゴブリンを一体ずつ手に取って、光にかざした。棍棒の角度。耳の欠け方。台座の石の、奥の光り方。
(全部、同じだ。……いや、同じじゃない。一体目は、一体目だ)
遺構の地下、光る苔の下で、初めて手のひらに載った一体。それを台座に戻して、残りの四体を布に包んだ。ハウンドドッグは、耳の倒れ方がいいほうを残した。
(ダブりは、ダブりだ。前の人生でも、ダブりは交換に出してた)
飾る分以外は、売る。
布の包みを五つ、箱に詰めた。送り先は、北の国。リーヴが、向こうの召喚士たちにまとめて渡してくれることになっていた。
入金は、四日後だった。ゴブリン四体とハウンドドッグ一体で、三十四万円。手数料を引いて、三十三万二千円。
(窓口で売るより、二割高い。……リーヴの顔が浮かぶな。欲しい物には正直な人だ)
のあは、その額を見て、口元が緩むのを我慢しなかった。
使い道は、もう決めてあった。
*
灯り火の仕事部屋の壁際に、新しい棚が立った。
鍵つきの、背の高い金属の棚だった。千晴が中古で見つけてきて、真帆と二人で脚の高さをそろえた。扉に、紗月の字で札が一枚。
『装備の貸出棚』
中には、工房の中古の胸当てが三着、大きさ違いで。小盾が二枚。片手剣の予備が一本。手袋と膝当ての組が五つ。ヘッドライトが四つ。救急の箱が三つ。
初期費用、二十一万六千四百円。
「残りの十一万五千六百円は、会のご飯代と、冊子の印刷に回すね」
真帆が、帳簿の一行目を書きながら言った。記録と会計は、クランを作った日から真帆の担当だった。
棚の横には、決まりが貼ってあった。
貸すのは二週間。延ばすときは、一言。壊したら、言う。弁償は、いらない。ただし、言う。
「壊したら言う、が一番大事なんだよね」
千晴が言った。
「言わないで隠して、同じ壊れ方でまた怪我するのが、一番もったいないから」
(……壊れた装備を隠して、高い店で直して、また休めなくなる。どこかで聞いた話だ)
のあは、何も言わずに棚の鍵を紗月に渡した。
鍵を受け取るのは、運営の窓口だ。紗月は、鍵に小さな鈴のついた紐を通した。
*
月に一回の「帳簿の会」は、日曜の夕方、カフェ・マーサの奥の席を借りて始まった。
集まったのは、五人だった。足首にまだテーピングを巻いた蓮。春に寮を出るまどか。蓮が当番で一緒になる、Dの二人。それから、すず。
「すずは、帳簿、つけてるでしょう」
「つけてます。……数えるのは、得意なので」
(知ってる。お前が一番、数えてる)
真帆が、白い紙を配った。線で三つに区切ってある。
入ったお金。出たお金。次に壊れそうな物。
「三つ目、何ですか」
まどかが聞いた。
「のあの案」
真帆が、のあを見た。のあは、紙の三つ目の欄を指さした。
「壊れてから直すと、高くつきます。即日の店しか選べなくなるので。壊れそうな物が先に分かれば、安い店に、休みの日に出せます」
(予防保全の予算化、なんて言っても通じない。……言い方を変えろ、俺)
「胸当ての革が裂けそうとか。盾の縁がぐらぐらするとか。書いておくだけでいいです。書いたら、ここで一緒に考えます」
蓮が、自分の紙の三つ目の欄に、大きな字で書いた。
盾。全部。
Dの二人が、吹き出した。蓮は、にこりともしないで言った。
「割れたんだよ。全部」
「貸出棚に、小盾が二枚あります」
「……借りる。二週間」
「延ばすときは、一言」
「分かってる」
まさねぇが、奥から鍋を運んできた。カレーだった。
「はい、一人六百円。材料費だけよ。払えない子は、皿洗い」
のれんの奥から、ゆーくんが小さな手提げ金庫を持って出てきた。テーブルの端に置いて、何も言わずに戻っていく。
「……金庫番さん、出てきた」
ルカが小声で言った。
「帳簿の会だもの。お金のことは、あの人の管轄」
蓮が、硬貨を六枚、テーブルの端にそろえて置いた。すずが、その隣に同じように六枚置いた。
まさねぇは、両方に「はい、確かに」と言った。
食べ終わるころ、まどかが紙の一つ目の欄を指でつついた。
「あたし、入ったお金の欄に書けるの、まだ当番の分だけなんすけど。……あ、そうだ。部屋、審査通りました。三枝さんに言ったら、泣きそうになってた」
「泣いてないよ」
入口の近くの席で、紗月が言った。会の手伝いに来て、ずっと皿を運んでいた。
「泣きそうって言ったんすよ」
蓮が、自分の紙を、のあの前へ滑らせた。
入ったお金の欄に、一行増えていた。共済の休業給付、十二万六千円。
「半分、返す。五万二千。残りは、月一万」
「一括でも、いいですけど」
「一括にしたら、来月の修理代がなくなる。……三つ目の欄に、書いてあるだろ」
三つ目の欄に、太い字で、胸当て、と書き足されていた。
(……使い方、分かってるじゃないか)
「わかりました。それで」
のあは、蓮の紙の端に、受け取った額を小さく書いた。
*
会の中身は、千晴とミレイが一本の動画にした。
題は、『新人の装備と収支――続けるための三つのこと』。
名前は出さない。顔も出さない。施設のことも、寮のことも、一言も入れない。のあの声で、架空の「Aさん」の一か月の数字を読み上げるだけの動画だった。数字は、蓮の十一月と十二月を、本人の了承を取って、丸めたものだった。
決まった巡回の仕事が、月に二十七日。修理は即日で七万一千円。怪我で三週間ゼロ。共済の休業給付、未申請。
『一日単位では、計算は合っています。月単位で見ると、合いません』
のあの声は、いつもどおり平らだった。
『登録のときの冊子の、十四ページを見てください』
公開から三日で、再生は四十二万回を超えた。
『共済の休業給付、知らなかった』
『冊子出してきた。十四ページ本当に書いてあった』
『即日修理が高いのは知ってる。でも休めないんだよ』
『その「休めない」を、保険料って呼んでるのが刺さる』
『ASMRかと思って流したら家計簿だった』
『キモいの人が金の話してる』
『よーく見ると、赤字』
(……最後のやつ、誰だ)
掲示板にも、スレッドが立った。
【新人】装備費と収支、みんなどうしてる?スレ その3
12:名無しの探索者
例の家計簿動画見た
俺も先月、即日の店に四万払ってた
15:名無しの探索者
>>12
「壊れそうな物」の欄つけるだけで変わるの、分かる
壊れてから探すと、選べないんだよな
19:名無しの探索者
協会の整備窓口、三日かかるけど安いぞ
あと工房によっては代わりの防具貸してくれる
23:名無しの探索者
こういう話、誰も教えてくれないんだよ
先輩いないやつは、全部自分で踏む
27:名無しの探索者
>>23
それを動画にしたのが、一番でかい
31:名無しの探索者
あの狙撃の子、暗いとこで撃ってるだけじゃなかったんだな
*
動画の翌週、相原から連絡が来た。
『窓口に、共済の申請が、先週だけで三十件来ました』
「多いんですか」
『普段は、月に四、五件です』
相原の声は平らだった。けれど、少しだけ速かった。
『新人向けの冊子に、一枚目として「困ったときの窓口」を入れることになりました。共済、整備窓口、住宅相談の提携一覧。それと、当番の予定表にも同じ紙を挟みます』
「十四ページじゃなくて、一ページ目に」
『はい。一ページ目に』
相原は、少し黙った。
『……本当は、こちらが最初からやるべきことでした』
のあは、何も言わなかった。
(窓口に来た人にしか渡さない一覧。誰も読まない十四ページ。……作った人たちは、たぶん、読まれると思ってたんだ)
「ありがとうございます」
『お礼を言うのは、こちらです』
通話が切れた。
*
夜、部屋の棚の前で、のあは一体だけ残ったゴブリンの台座を、少しだけ斜めに向け直した。
ゴブリンと、ハウンドドッグと、猫。空いた台座が、まだ二つある。
端末が鳴った。
北の国の時間では、まだ昼のはずだった。
『小像、確かに受け取りました。みんな喜んでいる。売ってくれて、ありがとう』
短い日本語だった。少しだけ硬い言い回しが、あの人の声で聞こえた。
もう一行、続いた。
『春に、会うことになりそう』




