第52話 約束の二体目
「――配信、始めます。北管理区、中層です。年末の、三日目です」
『年末も猫』
『ドローンなし、ってことは猫の層』
『もう一体持ってるのに?』
『二体目いる?』
「要ります」
『即答』
『売る用?』
「売りません」
『じゃあ何用』
「……言いません」
『言わないの珍しい』
『飾る用二体目説』
『観賞用と保存用』
(どっちでもない。……言わないって決めたんだ。言わない)
柱の林は、年末でも同じ匂いがした。湿った石と、光る苔。
二十六日から始めて、昨日までの二日で、倒した猫は四十九体。魔石は一体一万四千円で、六十八万六千円になった。
小像は、ゼロだった。
真帆の表では、一体目が出るまでの見込みが、五十日。一体目は、救助のついでに出た。あれは、運がよかっただけだ。
(年内は、無理かもしれない。……年内なんて、誰も言ってない。俺が勝手に決めただけだ)
それでも、今朝も、ここに来ていた。
*
五十体目は、柱の陰から耳だけを出していた。
距離、五十メートル。耳が、のあの岩棚を向いている。
のあは、短刀を左へ振りかけて、止めた。
右の奥で、岩が鳴った。
のあが鳴らしたのではなかった。
『今の音、何?』
『のあちゃん、振ってないよね』
『右の奥』
(……石を、落とした?)
正面の猫の耳は、動かなかった。のあの息を聞いたまま、じっとこちらを向いている。
鳴ったのは、右の奥だけだった。音のしたほうに、何もいない。岩の欠片が、一つ転がっているだけだ。
のあの首筋が、冷たくなった。
(囮だ)
正面の一体が、息を聞く。もう一体が、どこかで音を立てて、こっちの目をずらす。その間に、三体目が――
『左! 上の柱! 登ってる!』
常連の一行が流れた。
のあは、右を見なかった。
左の柱の上、岩棚より一段高いところで、金色の猫が身を縮めていた。跳ぶ直前の構えだった。
のあは、自分の姿のミラージュを、右へ走らせた。音のしたほうへ、振り向いたように見える影を。
左上の猫が、跳んだ。影の背中へ。
本物ののあは、跳んだ猫の真下にいた。
一発。
落ちてきた体を、半歩よけた。
正面の猫が、柱の陰から出た。仲間が落ちた音へ、耳が一瞬だけ向いた。
のあは、息を吐き切らなかった。そのまま、二発目。
右の奥で、三体目が岩陰から逃げようとした。石を落とした、あいつだ。
短刀を右へ振った。飛刃が、見えないまま柱の間を渡った。
三つの魔石が、ほとんど同時に床へ落ちた。
『三体』
『囮使ってきた』
『猫がのあちゃんの真似してた』
『いや、群れの狩りだろ。前に窪地でもやってた』
『それを初見で逆に使ったのがおかしい』
『常連ニキ今日も仕事してる』
「助かりました」
(俺のやり方を、猫にやられた。……覚えられたのか。こっちが通い詰めたぶん、向こうも覚える。当たり前か)
のあは、三つ目の魔石の場所まで歩いた。
魔石の横に、何かが座っていた。
金色の、小さな猫だった。
『え』
『待って』
『二体目』
『出た!!!!』
『三日で!?』
『真帆ちゃんの表どこ行った』
前脚を揃えて、座っている。長い尾を、足元に巻いている。
耳は、二枚とも、前を向いていた。
石を落としたやつの、小像だった。囮を使って、それでも最後は、こっちを向いていた耳だった。
のあは、しゃがんだ。両手で、そっと持ち上げた。
ひんやりしていた。重みが、手のひらの真ん中に落ちた。
のあは、胸元のカメラへ小像を向けて、一度だけ映した。
それから、収納の闇から、畳んだ布を一枚出した。小像を包んで、上着の内ポケットへ入れた。ボタンを留めて、上から一度、手で押さえた。
『抱えないの?』
『前は抱えてたのに』
『今日は笑わないの』
「……これは、預かり物なので」
『預かり物?』
『誰の』
「言いません」
『今日、言いませんが多い』
『なんか、いい話の匂いがする』
『詮索すんな』
『物欲センサー、自分のためじゃないと解除される説』
(そんな説、あってたまるか。……あってもいいけど)
「今日は、ここまでです」
窓口の報告は一行で済んだ。今日の魔石は三つで、四万二千円。三日で五十二体、七十二万八千円。小像は、窓口に出さなかった。
帰りに、雑貨屋で硝子の小さな箱を買った。蓋に鍵のつくもの。八千八百円。
*
大晦日の昼、若葉寮の門の前で、のあは紙袋を園田に渡した。
中に、硝子の箱。箱の中に、布に包んだ猫。
園田は、紙袋の中をのぞいて、長いこと黙っていた。
「……本当に、出たのね」
「出ました」
「差出人は、どうする?」
「書かないでください」
「分かった」
園田は、紙袋を両手で抱え直した。
「遊戯室の高い棚に置くね。先生の手は届いて、子どもの手は届かないところ。鍵は、私が持つ。ひなちゃんには、ひなちゃんのだって、ちゃんと言う。……誰からかは、言わない」
「はい」
「分かる子には、分かっちゃうけどね」
園田は、ゆっくり笑った。
「上がっていく? ひなちゃん、今、二階にいるけど」
「……今日は、帰ります」
(顔を見たら、たぶん、何て言えばいいか分からなくなる)
門を出て、角を曲がったところで、端末が震えた。
園田からだった。写真が一枚。
遊戯室の棚を、下から見上げている小さな背中。二つに結んだ髪の片方が、ほどけかけていた。顔は、写っていなかった。
文は、一行だけだった。
『見てるだけで、いいんだって』
のあは、角の電柱の横で、しばらく立っていた。
*
仕事部屋の鍋から、湯気が上がっていた。
「はい、年越しそば。海老天は一人二本までね」
千晴が丼を並べていく。鈴の絵の茶碗の横に、すずの丼。
のあの鞄には、猫の耳のついた留め具が下がっていた。二十五日のプレゼント交換で、くじで回ってきたものだった。三千円の予算で千晴が選んだ、千九百八十円の品。
(……装備店で見せられて、隣の棚へ逃げたやつだ。覚えてたな、あの人)
のあが三千円で用意した品は、すずに回った。一時間迷って選んだ、小さな砥石と、革の手入れ用の布。すずは、それを蓄力刃の鞘の横に下げていた。
「師匠のは、使えます」
「……使えるものしか、選べなかったので」
「使えるのが、いいです」
紗月が、のあの前に湯呑みを置いた。千晴は、自分の丼を持ったまま、のあの隣に座った。
「……届けた?」
小さな声だった。クリスマス会の日、千晴は壁際にいた。約束を、聞いていた。
「届けました。昼に」
「そっか」
千晴は、それ以上聞かなかった。海老天を一本、のあの丼へ移した。
「二本までって、言ってました」
「私の二本目だから、いいの」
(……千晴さんの一本が、減っただけだ。いいのか、それで)
のあは、何も言わずに海老天をかじった。衣が、つゆを吸って柔らかかった。
扉が開いた。
「あけましておめでとう! ……は、まだね。天ぷら持ってきたわよ」
まさねぇが、大きな包みを抱えて入ってきた。後ろに、ゴンちゃん。ミレイ。ルカ。仕事部屋が、一気に狭くなった。
椅子は五つしかなかった。ゴンちゃんは床に座り、ルカは調理台にもたれ、ミレイはすずの席の隣で、自分の丼を膝に載せた。
十一時五十九分。千晴が、端末の時計を机の真ん中に置いた。
「十、九、八……」
のあは、数えなかった。数えている全員の顔を、順番に見ていた。
「……二、一」
「あけましておめでとう!」
声が、重なった。すずの声も、その中にあった。
(……年越しを、人と数えたの、何年ぶりだ。前の人生を入れても、思い出せない)
*
丼を片づけているときだった。
机の上の端末が、一斉に鳴った。のあの分も、千晴の分も、すずの分も。同じ音で、同じ長さで。
千晴が、画面を読み上げた。
「ニュース速報。北方の島国で、大規模な魔力反応を観測……?」
ミレイが、自分の端末を横に向けた。動画が始まっていた。夜の空から撮った、白い雪原。その真ん中で、地面の一か所だけが、ぼんやりと光っていた。
「現地の観測所の針が、振り切れたって」
ミレイの声が、いつもより低かった。
まさねぇが、丼を置く手を止めた。すずは、画面ではなく、のあを見ていた。
のあは、洗いかけの丼を持ったまま、画面の光を見ていた。
『六十年、出なかったものが、急に出る。私たちは、何かの前触れだと見ている』
地下の訓練場で聞いた、少し硬い日本語が、耳の奥で鳴った。
『北の狼は、北でしか出ない』
(前触れ、って。……これか)
丼の縁から、湯が一滴、落ちた。




