第51話 サンタは誰だ
食堂の長机を三つつなげると、端から端まで、のあの歩幅で十一歩あった。
真帆が、机の縁に紙の札を立てていく。ぬいぐるみ。文具。えほん。ゲーム。たんさくしゃグッズ。
「全部ひらがなにしたよ。三歳の子にも読めるように」
「……三歳は、まだ読めないと思います」
「え。……あ、そっか」
(真帆さん、たまにこうなる。考えすぎて、一周するんだよな)
その後ろに、包みが並んだ。リボンの先に、写真の札。三十八個。
ゴンちゃんのぬいぐるみだけは、包まずに、首にリボンを巻いて座らせた。ゴブリンが三体、ハウンドドッグが一体、金色の猫が二体。合わせて、四十四。十九人の最後の子にも、二十六個の中から選べる数だった。
「耳を隠すなんて、できないわよ」
ゴンちゃんは、そう言って、昨日の夜に最後の一体を縫い上げた。本人は来ていない。アタシが行くと小さい子が泣くから、と自分で決めていた。代わりに、ぬいぐるみが並んで座っている。
「くじの箱、ここに置きます」
すずが、菓子の空き箱に穴を開けたものを、机の端に置いた。中に、番号を書いた紙が十九枚。すずが書いて、すずが折った。
千晴は、今日はカメラを持ってきていなかった。
「今日は、撮らない日」
来る途中の電車で、それだけ言っていた。
十二月二十三日。窓の外は、もう暗くなり始めていた。
*
子どもたちが入ってきた途端、食堂の音が倍になった。
「なにこれ!」
「ぬいぐるみある!」
「キモいのがいる!」
この前の男の子たちだった。三人そろって、ゴブリンの前で止まった。
「キモい!」
「本物よりキモくない!」
「へそある!」
(へそは、そこまで見るのか。ゴンちゃん、正解だったな)
「はい、触るのは、くじのあとね」
園田がのんびり言って、手を二回叩いた。子どもたちが、ばらばらに椅子へ座る。
「今日はね、サンタさんが来てくれてます」
食堂の奥の扉が開いた。
赤い服。白い髭。大きな白い袋を、肩に担いでいる。背が高くて、肩幅があった。袖から出た手首が、日に焼けていた。
「メリークリスマス」
低い声だった。
のあの背中が、音を立てそうなくらい、まっすぐになった。
(……は?)
髭の上の目と、一瞬だけ、目が合った。
目の周りの皺。日焼けの跡。立ち方。
黒瀬匠だった。
「毎年の人よ」
隣で、園田が小声で言った。
「のあちゃんがいたころから、ずっと」
(十年以上。……十年以上、気づかなかった)
当たり前だった。会が始まる前に、いなくなっていたのだから。
(顔も見てないサンタに、気づけるわけがない。……でも、なんで、よりによって)
サンタは、のあのほうを二度は見なかった。袋を床に下ろし、くじの箱の横に立った。
「じゃあ、一番から。引け」
「サンタさん、言い方こわい」
「……引いてください」
食堂が、どっと笑った。
のあは笑えなかった。膝の上で、手が固くなっていた。
(何で、この人なんだ。……いや、この人だからか)
四歳ののあを見つけた人。一人で平気だと言ったのに、聞き入れなかった大人。ここへ来る子どもの何人かも、たぶん、この人が見つけている。
*
くじの順番どおりに、子どもたちが机の前を歩いた。
一番は、五歳の女の子だった。職員に手を引かれて、机の端から端まで二往復した。三往復目で、猫のぬいぐるみの前で止まった。
「これ」
金色の猫の一体が、その子の腕に収まった。
二番の男の子は、盤のゲームを選んだ。三番は、色鉛筆。四番で、あの男の子の一人の番が来た。
「キモいの!」
迷わなかった。ゴブリンを一体、頭の上に掲げる。
「キモいのゲット!」
「ずるい!」
「俺のキモいのも残しとけよ!」
七番で、二人目。九番で、三人目の男の子が、最後のゴブリンをつかんだ。四番の子と、自分のゴブリンを並べて、どっちのへそが大きいかで揉め始めた。
「キモい」
「お前のほうがキモい」
「キモいほうが強いんだよ」
十一番の子は、ゴブリンがもうないと分かって、机の前で口を尖らせた。しばらく黙ってから、ハウンドドッグを取った。
「……犬も、キモい?」
「キモくないです」
のあが答えると、その子は少しがっかりした顔をした。
(キモいのが、褒め言葉になってる。……俺の声のせいか)
壁際で、紗月が肩を揺らしていた。千晴は、口を両手で押さえていた。
「一番人気、ゴブリンなんだ……」
真帆が、札の横で呟いた。猫が一番だと思っていた顔だった。のあも、そう思っていた。
「猫のほうが、かわいいのにね」
千晴が、まだ笑いの残った声で言った。
「キモいほうが強い、そうです」
「のあちゃんが言うと、説得力あるなあ」
「ないです」
(ある。……いや、ない。ないことにしておく)
五歳の女の子は、猫のぬいぐるみを抱えたまま、ゴブリンの取り合いを不思議そうに見ていた。それから、猫の耳を自分の頬に当てて、にこにこしていた。
(……あれでいい。選んだ物を、選んだ顔で持ってる)
*
食堂の入口で、紙の箱を三つ抱えた、背の高い影が立っていた。
「あら、始まってるじゃない。ケーキ、どこに置けばいいの」
まさねぇだった。昼の白いシャツに、黒い上着。子どもたちが、一斉に首を上に向けた。
「でっか!」
「サンタさんより、でかい!」
「失礼ね。あたしは普通よ」
ケーキは三台。代金は、材料費だけで一万八千円。
「それ以上払うなら、来年は焼かないわよ」
注文の電話で、そう言われていた。
まさねぇは、箱を職員に渡しながら、食堂の奥へ目を向けた。
白い髭のサンタが、くじの箱の横で顔を上げた。
二人の目が、子どもたちの頭の上で合った。
まさねぇが、ほんの少しだけ顎を引いた。サンタも、髭の下で同じくらい、顎を引いた。
それだけだった。言葉は、なかった。
(……知り合いか)
お祝いの夜、黒瀬はまさねぇの店に来ていた。常連なのかもしれない。
それにしては、挨拶が短すぎた。
聞こうとして、やめた。まさねぇはもう、三歳の子にケーキの箱の中を見せていた。
*
十五番のくじを引いたのは、ひなだった。
ひなは、机の前をゆっくり歩いた。絵本の札の前で少し止まり、文具の前で少し止まり、それから、ぬいぐるみの札の前で止まった。
金色の猫が、一体だけ残っていた。
ひなは、猫を見ていた。
手は、出さなかった。
「ひなちゃん、選んでいいのよ」
職員の一人が、そっと言った。
ひなは、首を横に振った。
「見るだけでいい」
小さな声だった。
のあは、壁際で動けなくなった。
(……昔の俺と、同じだ)
受け取ったら、何かを払わなきゃいけない。大事にしなきゃいけない。なくしたら、壊したら、誰かががっかりする。だったら、最初から、自分の物にしないほうが楽だ。
ひながそう考えているのかは、分からない。理由は、たぶん違う。この子にはこの子の八年がある。
でも、目つきが同じだった。欲しいものを、欲しくないことにしている目。
ひなは、机の前から一歩下がって、次の子に場所を空けた。
机の端で、くじの箱を抱えたすずが、ひなの背中を見ていた。のあも、すずも、何も言えなかった。
*
全員が選び終わっても、猫のぬいぐるみは机に残っていた。
子どもたちが、ケーキの皿の前に集まっていく。ひなは、その輪の一番外にいた。
のあは、ひなの二歩手前でしゃがんだ。それ以上は近づかなかった。
「猫は、嫌いですか」
「すき」
「……そうですか」
のあは、少し考えた。
ぬいぐるみを押しつけても、この子はきっと、抱えたまま、見ているだけの顔をする。
(見るだけでいい、なら)
「次に、猫が出たら」
ひなが、のあを見た。
「本物の、小像です。私の部屋にあるのと、同じ種類の。次に出たら、それはひなのです」
「……ひなの?」
「ここの先生に、預かってもらいます。触らなくていいし、持って歩かなくていい。見るだけで、いいです」
ひなは、長いこと黙っていた。
「……見るだけで、いいの?」
「見るだけで、いいです」
ひなは、こくりと一度だけうなずいた。
いつの間にか、園田が後ろに立っていた。のあと目が合うと、ゆっくりうなずいた。預かり方は、こっちで考えるね、という顔だった。
(……言っちゃったな。出る保証なんか、どこにもないのに)
ゴブリンを抱えた男の子が、口の周りをクリームだらけにして、のあの前に走ってきた。
「キモいの人! ありがと!」
それだけ言って、走っていった。
のあは、しゃがんだまま固まった。
返す言葉が、出てこなかった。どういたしまして。いえ。こちらこそ。どれも、合っていない気がした。
「……サンタさんに、言ってください」
言ったときには、男の子はもう、ケーキの列に戻っていた。
千晴が、壁際で小さく吹き出した。紗月が、千晴の袖を引いた。
(お礼を言うのは、あんなに練習したのにな。……言われるほうは、練習したことがない)
*
皿を下げに廊下へ出ると、給湯室の前に、赤い服の背中があった。
髭を顎の下まで下ろして、紙コップの茶を飲んでいた。
「……サンタ、だったんですね」
「おう」
黒瀬は、紙コップから目を上げなかった。
「いつからですか」
「お前が来た次の年から」
「……知りませんでした」
「知ってる。お前、毎年いなかったからな」
のあは、皿を持ったまま立っていた。
(見てたのか。いない子の数まで)
「今年のは、お前か」
黒瀬が、食堂のほうへ顎を向けた。キモい、キモい、と笑う声が、まだ続いていた。
「……サンタさんです」
「そうか」
黒瀬は、それ以上何も聞かなかった。紙コップを握りつぶして、髭を元の位置へ戻した。
「ケーキ、食ったか」
「まだです」
「食ってこい。あの店のは、うまい」
赤い背中が、食堂へ戻っていった。
(あの店。……やっぱり、常連なんだな)
のあは、そう思うことにした。
*
帰り際、門の前で、園田が呼び止めた。
サンタも、まさねぇも、もう帰っていた。
「のあちゃん。今日は、ありがとうね」
「……はい」
(まただ。何て返すのが正しいんだ、これ)
園田は、それ以上お礼を重ねなかった。代わりに、カーディガンの前を合わせて、少しだけ声を落とした。
「それとね。春に出る子たちのこと、少し相談していい?」




