第46話 因縁の猫
「――配信、始めます。北管理区、中層です。三日目です」
『今日も猫』
『今日ドローンなし?』
『猫の層だからか』
「耳がいいので」
『いつもの』
『ドローンなし=相手が強い、の目安になってきた』
柱の林は、あの日と同じ匂いがした。湿った石と、光る苔。風が抜けるたびに鳴る、低い笛の音。
左肩の三本の線は、もう突っ張らなかった。
二日で、五十八体のサーチブルキャットを倒した。あの日の変異個体とは違う、普通の大きさの猫だ。それでも、のあの背丈より長い体と、音を拾う二枚の耳は同じだった。
魔石は、一体一万四千円。二日で、八十一万二千円。
小像は、ゼロだった。
『時給がエグい』
『なのに声が暗い』
『真帆ちゃんの表だと五十日かかるんでしょ』
『まだ三日目』
(分かってる。分かってるから、数字で言うな)
*
五十九体目は、柱の陰から耳だけを出していた。
距離、五十メートル。耳が、のあの岩棚を向いている。息を聞いている。
のあは、短刀を左へ振った。
闇をまとった飛刃が、柱の林の奥の岩を叩いた。硬い音が、柱の間を跳ね返る。
耳が、そちらを向いた。
その耳と耳の間へ、一発。
猫は、音のしたほうを向いたまま伏せた。
『出た、囮』
『岩を鳴らして、振り向かせて、撃つ』
『前にここで逃げてたのが嘘みたい』
六十体目は、柱を登ってきた。岩棚の縁に前脚がかかる前に、のあは自分の形のミラージュを縁へ立てていた。爪が、幻を裂く。散りかけた闇の中から、刃が抜けた。
六十一体目。六十二体目。
どれも、魔石だけを残して霧になった。
『安定しすぎて逆に怖い』
『猫の方が気の毒になってきた』
『容赦がない(猫に)』
「仕事なので」
(半分は仕事だ。……四割は仕事だ)
*
六十三体目を待っていたとき、柱の林の東側で、悲鳴が上がった。
続けて、犬の吠える声。一つではない。十を超えている。
のあは、岩棚から身を起こした。
『今の何』
『人の声』
『東の方』
柱の間を抜けると、窪地の底に四人がいた。
二十歳前後の、揃いの装備。盾を構えた男が一人、槍が二人。その足元で、女が一人、肩を押さえてうずくまっている。短い弓が、そばに落ちていた。
周りを、ハウンドドッグの群れが囲んでいた。十二体。
そして、窪地の上の柱に、金色の影が二つ、張りついていた。
(射手をやられたな。上から猫、下で犬が足止め。……群れで狩ってる)
盾の男が、のあに気づいた。
「――た、助け」
「動かないでください」
のあは、窪地の縁で膝をついた。
《隠密》は使わなかった。代わりに、自分の形のミラージュを三つ、窪地の三方の縁に立てた。犬の頭が、ばらばらに振れる。
一発。二発。三発。
囲みの外側から、順に倒れていった。四発。五発。倒れた仲間に気を取られた犬の、耳の後ろ。
上の柱で、猫の耳が、のあの息のほうを向いた。
のあは、息を吐き切らなかった。短刀を右へ振る。飛刃が、反対側の柱を叩いた。
二つの耳が、揃ってそちらを向いた。
一発。一体目の猫が、柱から剥がれて落ちた。
二体目は、跳んだ。窪地の底の、うずくまった女のほうへ。
のあは、女の前にミラージュを立てた。猫の爪が、幻を裂いた。散りかけた闇の中から、闇の飛刃が抜けて、振り下ろしたばかりの前脚の付け根を断った。
顎から落ちた猫の頭に、最後の一発。
残った犬が七体、窪地の出口へ逃げようとした。
七発。
『全部』
『逃げたのまで』
『二十秒くらいしかたってない』
『容赦ねえ……』
*
窪地に下りると、盾の男が、膝から崩れるように座りこんだ。
「……すみません、中層、初めてで」
「射手の方、肩を見せてください」
女の肩の傷は、浅かった。上着の布が厚かったのだろう。のあは収納から止血帯を出して、女の手に渡した。
「自分で、押さえられますか」
「……はい」
(押さえられるなら、それでいい。男のほうには、触らない。女の人は、緊張する。……自分でやってもらうのが、一番だ)
「出口まで、送ります。前を、歩いてください」
四人を上層への坂の下まで送ると、坂の上に、管理区の係員の明かりが見えた。盾の男が、何度も頭を下げた。
「あの。クノイチの、のあさん、ですよね。配信、いつも寝る前に……」
「足元、気をつけてください」
(寝る前に見るな。……いや、見てもいい。今日は寝てもいい)
*
窪地へ戻ったのは、魔石を拾うためだった。
犬の魔石を十二個。一体目の猫の魔石。
二体目の猫が倒れた場所で、のあは、しゃがんだまま止まった。
魔石の横に、何かが座っていた。
金色の、小さな猫だった。
『え』
『待って』
『それ』
『猫!!!??』
高さは、七センチ。前脚を揃えて座り、長い尾を足元に巻きつけている。金色の毛並みに、細かな黒い斑点が一つずつ彫りこまれていた。
頭の上で、二枚の大きな耳が、別々の方向を向いていた。
右の耳は前へ。左の耳は、少しだけ後ろへ。
あの日、柱の陰から、のあの息を聞いていた耳の角度だった。
のあは、動かなかった。
『救助したら出た』
『人助けしてる間に出た』
『物欲センサー、人助けで解除される説』
『本当に欲しがってないときに出るんだ』
『相場四十五万』
『いや、今もっと上がってるはず』
(値段は、どうでもいい)
そう思った自分に、のあは少し驚いた。
(……いや、どうでもよくはない。四十五万は四十五万だ。でも、今は、どうでもいい)
のあは、手を伸ばした。両手で、そっと持ち上げた。
台座の黒い石が、ひんやりしていた。重みが、手のひらの真ん中に落ちてきた。
のあは、胸元のカメラを外した。
右手にカメラを持ち、左の手のひらの小像へ向ける。光る苔の明かりの下で、金色の毛並みが、細い線まで画面に映った。
『映った』
『きれい』
『耳!』
『あの猫だ』
のあは、小像をしばらく、画面に向けていた。
それから、左手を引いた。
小像を、胸元へ抱え寄せた。
カメラを持った右手が、膝の上へ下りた。レンズが、斜め上を向いた。
ゴーグルの端が、止まった。
一瞬、何も流れなかった。
それから、一斉に来た。
『顔』
『顔映ってる』
『今笑った?』
『笑った』
『初めて見た』
『口の端、上がってた』
『目、細くなってた』
『待って保存した』
のあは、自分の右手を見た。
レンズが、自分を向いていた。
のあは、カメラを胸元へ戻した。留め具を、二回、確かめて留めた。
「……映ってません」
『映ってた』
『二秒映ってた』
『二秒で十分』
『今の、切り抜かれるよ』
(映ってない。映ってないことにしろ)
ゴーグルの隅の数字が、跳ねていた。二万三千が、五万を越え、八万を越えて、まだ上がっていた。
のあは、小像を包んだ両手を、胸から離さなかった。
(……実物を最初に見せるのは、ゴンちゃんだ。画面は、数に入れない)
【暗闇】のあ(狙撃)の配信を語るスレ その49
12:名無しの探索者
見たか
13:名無しの探索者
見た
15:名無しの探索者
笑ってた
18:名無しの探索者
初配信から追ってて初めて見た
明細見て口元緩むのは知ってたけど、あれは違う
目が笑ってた
21:名無しの探索者
抱えてたよな、胸に
猫の小像を
あの猫の
23:名無しの探索者
>>21
やめろ泣く
26:名無しの探索者
救助の直後に出るの、脚本家いるだろ
29:名無しの探索者
のあちゃんをここまで笑わせるのに、四十五万と、一回の敗北と、六十四体の猫が要った
31:名無しの探索者
>>29
コスパで言うな
*
窓口の報告は、一行で済んだ。救助の謝礼として、協会から十五万円。猫六体と犬十二体の魔石が九万七千二百円。合わせて、二十四万七千二百円。
小像は、窓口に出さなかった。上着の内ポケットが、そこだけ固く膨らんでいた。
「のあさん」
田村さんが、困った顔をしていた。窓口で長く顔を合わせてきたが、こんなふうに困っているのは初めて見た。
「今ね、協会の国際窓口から回ってきたの。のあさんを、名指しで」
受付台の上に、紙が一枚置かれた。
上半分は、外国の文字。下半分に、協会の翻訳が添えてあった。
『本日の配信で確認されたサーチブルキャットの小像を、譲っていただきたい。条件はご提示に従う。直接、お会いしてお話ししたい』
依頼主の欄に、見慣れない名前があった。
リーヴ・ハルヴォルセン。北方の国の、Sランク。




