第45話 並べる場所
土曜の朝、部屋の呼び鈴が鳴った。
扉ののぞき穴いっぱいに、ひげ面が映っていた。
「のあちゃん、おはよぉ。起きてた?」
扉を開けると、ゴンちゃんが廊下の天井に頭をつけないよう、首を傾けて立っていた。両腕で、布をかけた大きな木の何かを抱えている。後ろに、段ボールを一つ持ったルカがいた。
「……何ですか、それ」
「配信で、飾りますって言ってたでしょ。飾る場所、要るじゃない」
ゴンちゃんが、布の端を持ち上げた。
三段の、ひな壇だった。
幅は、のあの肩幅より少し広い。段の板には黒い布が張ってあって、縁だけ木の地が見えている。角は丸く削られ、手で撫でても引っかからなかった。
(……作ったのか。この人が。こんなに早く)
「入っても、いい?」
ゴンちゃんは、戸口の手前で止まっていた。
のあは、少しだけ迷ってから、扉を大きく開けた。
「どうぞ」
*
ルカが、部屋の真ん中で立ち止まった。
マットレス。低い机。壁際の白い棚。それで全部だった。
「……のあさん。ここ、住んでます?」
「住んでます」
「生活感、なさすぎません? モデルルームでも、もうちょっと物ありますよ」
「武器も道具も、闇にしまってあるので」
「服は」
「闇に」
「……便利すぎて、部屋が要らないんだ」
ルカは、台所をのぞいた。冷蔵庫の扉に、まさねぇの字の貼り紙が一枚だけ貼ってある。『三日で食べる』。
白い棚の前で、ゴンちゃんが大きな体をかがめていた。
上から二段目。目の高さの真ん中に、緑の小像が一体だけ、ぽつんと立っていた。
「あらぁ。一人で立ってると、寂しそうねぇ」
(寂しくない。……いや、ちょっと寂しい)
ゴンちゃんは、二段目のゴブリンをそっと端へ寄せた。そこへ、ひな壇を据える。幅も奥行きも、測ったように収まった。
「……寸法、どうして分かったんですか」
「前に、この建物の入口まで送ったでしょ。窓の大きさで、部屋の形は大体分かるのよ。棚は、よくある既製品だったから」
(盾役の観察眼を、そこに使うな)
ルカが段ボールを開けた。
中から、小さな丸い台座が出てきた。直径は、五百円玉を三つ並べたくらい。木を削って、上に黒いフェルトを張ってある。全部で、六つあった。
「これは、これからの分」
ゴンちゃんが、一つ目の台座をひな壇の一番上の段に置いた。
のあは、ゴブリンを手に取った。台座に載せる。
黒い布の段の上で、黒いフェルトの台に乗った緑の小像が、一体だけ、まっすぐ立った。
のあは、一歩下がった。
もう一歩、下がった。
(……いい)
三段のひな壇に、一体。空いている場所のほうが、ずっと広い。
それでも、朝の窓の光が、黒いフェルトの上で、小像の足元だけを照らしていた。
「棚だけ、立派になりましたね」
ルカが、部屋を見回して言った。
「部屋の中で、ここだけ高級店です」
「……材料費を、払います」
のあは財布を出した。
ゴンちゃんは、首を横に振った。
「いらないわよぉ。余ってた板だもの。そのかわり」
大きな指が、ひな壇の空いた段を指した。
「次に猫ちゃんが出たら、最初にアタシに見せて」
「……出たら」
「出るわよぉ」
(簡単に言うなよ。……でも、まあ。見せるくらいなら)
「約束します」
二人が帰ったあと、のあは棚の前に座りこんだ。
ゴブリンの台座を、指で一センチ右へずらした。戻した。今度は、少しだけ斜めに向けた。棍棒を担いだ肩が、窓のほうを向く。
(こっちのほうが、顔の皺に光が当たる。……いや、正面のほうが)
また、戻した。
気づくと、窓の光の角度が変わっていた。二十分、たっていた。
(前の人生でも、これやってたな。休みの日の朝に、一時間)
棚の上の三段は、あのころと同じ高さだった。
*
「集めたの。公開されてる報告、全部」
午後の仕事部屋で、真帆が机に紙を広げた。
細かい表だった。魔物の名前と、倒した数と、小像が出た数。国の名前が横にずらりと並び、隅に、のあの配信の数字まで書き込んである。『のあ 三九二体 〇』。
(晒すな。俺のゼロを)
「世界中で報告されてるのが、この一か月で、千九百件くらい。倒した数も一緒に書いてる人だけで計算すると……」
真帆の指が、表の下を滑った。
「ゴブリンは、だいたい三百体に一体。ハウンドドッグは、七百体に一体くらい」
「三百」
「うん。のあの三百九十二体は、ほとんどハウンドドッグとアリだったよね。ハウンドドッグは七百体に一体だから、その半分くらいなら、出てなくて普通。ゴブリンは、遺構の日の五十何体目で出たから、むしろ早いほう」
「……普通」
「普通だよ。運が悪いわけじゃない」
(普通って言われるのが、一番腹立つ)
真帆は、表の一番下の行に、赤い丸をつけた。
「猫系は、報告がまだ十一件しかないの。でも、たぶん二千体に一体くらい。中層のあの区画で、一日に四十体倒すとして、五十日」
「五十日」
「理論上は、ね。確率だから、明日出るかもしれないし、百日出ないかもしれない」
表の端に、もう一つ、小さな欄があった。
『右足から近づいた場合 / 左足から近づいた場合』
「……これは」
「コメントで言われてたやつ、配信のアーカイブで全部数えたの。差、なかった」
「……数えたんですか」
「数えた。右足から近づいたの、のあ、四十七回あったよ」
千晴が、飲みかけのお茶を吹いた。紗月が、顔を横に向けて肩を震わせていた。
(四十七回。……たまたまじゃなかったのが、数字で証明された)
真帆の目が、表の上で光っていた。
(……楽しそうだな、真帆さん)
千晴が、のあの横で紙をのぞきこんだ。
「真帆、これ一晩で作ったの?」
「二晩。……面白くて」
「目の下、隈できてる」
「のあの目が光ってたから、つい」
(俺のせいにするな)
*
すずの席の前に、白いハンカチが畳んであった。
すずは、それを両手で開いた。
中に、緑の小像が一体、横になっていた。
先日、同じ遺構の下の層へ、もう一度行ったときのものだった。すずが蓄力刃で倒した、その日の最初の一体。霧が晴れたら、もう立っていた。
のあは、その日、そのあと六十一体を倒した。一体も出なかった。
配信のコメントは、すずの一体目で爆発し、のあの六十一体目で静かになった。
『弟子、一発』
『師匠、六十一発』
『物欲センサーは師匠にだけ反応する』
(あれは、忘れない。一生、忘れない)
「すずちゃん、それ売らないの? 今、四万八千円だよ」
千晴が、ハンカチをのぞきこんで言った。
すずは、小像を見たまま答えた。
「……売ったほうがいいのは、分かってます。四日分の稼ぎです」
小像の、棍棒を担いだ肩のあたりを、指の腹でなぞった。
「でも、自分で倒して、自分で拾ったので。……取っておきたいって、初めて思ったので」
すずは、ハンカチの端を握っていた。
のあは、上着のポケットに手を入れた。
朝、ゴンちゃんから受け取った台座のうち、一つだけ、闇ではなくポケットに入れてきていた。
何も言わずに、すずの茶碗の横に置いた。
黒いフェルトの、小さな丸い台座。
すずが、それを見た。のあを見た。
のあは、自分の麦茶のほうを見ていた。
(何か言うと、値段を聞かれる)
すずは、小像をハンカチから出して、台座の上に立たせた。
鈴の絵の茶碗の隣に、緑のゴブリンが一体、立った。
すずは、しばらくそれを眺めていた。
それから、小さな声で言った。
「……よーく見ると」
「キモい」
千晴と真帆と紗月と、のあの声が重なった。
すずが、肩を震わせて笑った。
*
「あら、いい台じゃない」
夕方、千晴にサムネイルを届けに来たミレイが、すずの席の前を見て言った。
「ゴンちゃんでしょ。あの人、昨日の夜までジムの隅で板削ってたわよ」
(……夜まで)
ミレイは、真帆の表を一枚取り上げた。赤い丸の行を、爪の先で叩く。
「で、猫。狙うんでしょ」
「……狙います」
「北管理区の中層、柱の林。普通の個体なら、今あそこにしかいないわ」
ミレイは、表を机に戻した。
それから、のあの顔を見た。
「猫系が狙えるの、あの層よ。あんたが一度逃げた場所」




