第44話 よーく見ると
三日で、三百九十二体を倒した。
小像は、ゼロだった。
魔石の代金だけが、三日分で四十七万円を超えていた。窓口で明細を受け取るたびに、田村さんの目が少しずつ優しくなっていくのが、何よりつらかった。
(同情されてる。Sランクが、窓口で)
四日目、のあは行き先を変えた。
「――配信、始めます。今日は、弟子の訓練を兼ねて、南管理区の遺構の下の層です」
『弟子ちゃん回!』
『二号の声聞ける』
『遺構の下って、ゴブリンの巣じゃなかった?』
「はい。数が多いので」
『数が多い=抽選回数が多い』
『訓練を兼ねて(本命は小像)』
『兼ねて、の比重』
(比重は半々だ。……六四だ。どっちが六かは言わない)
「よろしくお願いします」
すずの声が、胸元のマイクに小さく入った。
ドローンは、のあの後ろの高いところに浮かべてある。映るのは、のあの背中と、前の通路だけ。すずは画面の外、のあの半歩前にいた。顔は映さない約束だ。
*
石造りの遺構の下には、崩れた街並みが広がっていた。
低い石の家が並び、屋根の抜けた戸口がいくつも口を開けている。その暗がりから、甲高い声が漏れていた。
ゴブリンだった。
のあの胸ほどの背丈。灰色がかった緑の肌に、大きく尖った耳。鉤鼻の下で、黄色い歯を剥いている。手には、木の棍棒や錆びた刃物。三体、五体、と群れで固まって通りを走ってくる。
一発ずつ、止めていった。
二十体を越えたところで、すずが言った。
「師匠。さっきから、出てくる場所が決まってます」
「どこですか」
「奥の、三つの戸口です。右、真ん中、左。右から出て、しばらくして真ん中、それから左。また右に戻ります」
すずは、目を閉じたまま、三つの戸口を順に指した。
「中で動き出すのが分かるので。出てくる前に」
のあは、三つの戸口を見た。暗がりの奥は、何も見えない。
(戸口の奥で動き出した瞬間を、拾ってるのか。出てくる前に)
「右、動きました」
のあは、右の戸口へ照準を置いた。
息を吐き切る前に、ゴブリンが戸口から顔を出した。出た瞬間に、倒れた。
「真ん中、動きました」
照準を移す。出る。倒れる。
「左です。二つ」
二発。
『湧き読みしてる』
『出てくる前に撃ってる』
『出待ち』
『弟子の実況が完全にタイマー』
『これが師弟の効率か……』
(一人なら、戸口を三つとも見張って、出てきたのを撃つ。今は、出てくる場所に先に銃口がある)
半分の時間で、倍の数が倒れていった。
通りの石畳に、魔石が転がっていく。
小像は、出なかった。
『出ない』
『倍速で出ない』
『効率が上がっても確率は上がらない』
(知ってる。知ってるけど、分母は増えてるんだよ)
*
五十体を越えたころ、すずの声が変わった。
「上。屋根の上、四つ動いてます。見えてないです」
のあは顔を上げた。
崩れかけた二階の屋根の縁に、細い影が並んでいた。短い弓を構えている。ゴブリンアーチャーだ。
同時に、通りの奥から、棍棒を持った七体の群れが、声を上げて走ってきた。
(上から射かけて、下で足止め。……頭を使うじゃないか)
「すず。下の、先頭の一体だけ。溜まってますか」
「溜まってます」
「一体だけ。斬ったら、あの柱まで下がってください。上は、私が」
「はい」
屋根の上で、弦が鳴った。
のあは、すずの前へ自分の形のミラージュを立てた。矢が二本、幻の胸を抜けて、石畳に刺さった。
その間に、一発。屋根の縁の一体が、弓ごと後ろへ倒れた。二発目。三発目。
下では、先頭のゴブリンが棍棒を振り上げて、すずへ突っ込んでいた。
すずは、正面に立たなかった。一歩、横へずれる。棍棒が石畳を叩く。振り下ろした腕の下へ、片刃が低い弧を描いた。
鍔の石が、一瞬だけ光った。
ゴブリンの体が、腰から前へ折れた。
すずは、振り返らなかった。決めてあった柱の陰へ、まっすぐ下がった。
『通った!』
『蓄力刃!』
『斬って即下がる、が徹底してる』
残りの六体が、倒れた仲間を踏み越えて柱へ向かった。
のあは、屋根の最後の一体を撃ってから、通りへ銃口を下ろした。
六発。
一体が、倒れたまま、薄目を開けていた。胸が、わずかに上下している。死んだふりだった。すずの柱の、すぐ手前だった。
七発目。
『死んだふりも撃つ』
『容赦ねえ』
『見逃さないの怖い』
「すずの前でした」
(弟子の三歩手前で寝てるやつを、放っておく理由がない)
屋根の上で、逃げようとした最後のアーチャーが、瓦の陰から這い出た。背を向けて、隣の屋根へ跳ぼうとする。
八発目で、瓦ごと落ちた。
「……終わりです」
「後ろ、何も動いてないです」
すずの声が、柱の陰から返ってきた。
*
通りの真ん中に、魔石がいくつも転がっていた。
すずが拾い集めている間に、のあは、屋根から落ちた最後のアーチャーのほうへ歩いた。
霧が、晴れていく。
魔石の横に、何かが立っていた。
小さな、緑がかった人の形。
のあは、足を止めた。
『あ』
『あれ』
『え、待って』
『出た!?』
のあは、しゃがんだ。指先で、そっと持ち上げた。
手のひらに、重みがあった。台座の黒い石が、ひんやりしている。
ゴブリンだった。
高さは、五センチ半。棍棒を肩に担いで、片足に体重を乗せて立っている。
のあは、立ち上がった。天井の光る苔の、一番明るいところへ、小像をかざした。
しばらく、黙って眺めた。
鉤鼻の先が、少し曲がっている。鼻の穴が、二つ、ちゃんと彫ってある。半開きの口から、黄色い歯が不揃いにのぞいている。一本だけ、欠けていた。大きな耳の縁には、細かい皺が何本も刻まれていた。担いでいないほうの手の、爪の先が黒い。腹が、少し出ている。へそまである。
のあは、小像を、光の中でゆっくり回した。
背中側にも、ちゃんと皺があった。
『……』
『(見てる)』
『(めっちゃ見てる)』
『(三日分の感情で見てる)』
のあは、小像を顔の前で止めた。
「……よーく見ると、キモい」
ゴーグルの端が、真っ白になった。
『wwwwwwwwww』
『キモいwww』
『三日かけてそれwww』
『よーく見るとwww』
『ためてからのキモい』
『本人に言うな』
『光にかざして鑑賞してからの感想がそれ』
『へそまで見てたぞ今』
すずが、魔石の袋を抱えて駆け寄ってきた。のあの手の中を、のぞきこむ。
しばらく、黙った。
「……捨てますか」
「飾ります」
『飾るんかい』
『即答』
『キモいけど飾る』
『愛じゃん』
(キモいのと、欲しいのは、別の話だ)
のあは、小像を上着の内ポケットへ入れた。闇にはしまわなかった。ポケットの上から、一度だけ手で押さえた。
ゴーグルの端の数字は、一万九千を越えていた。
*
遺構の出口の石段を上りきるより先に、切り抜きが回っていた。
光る苔の下で、黒い上着の小さな人影が、緑の置物を無言で回している。三十秒。それから、ぽつりと一言。
『よーく見ると、キモい』
題も何もない、その一言だけの切り抜きだった。二人で電車に乗り、いつもの北管理区の窓口へ魔石を持ち込んだころには、三十万回を越えていた。
待合の長椅子で、知らない探索者たちが、自分の端末をのぞいて笑っていた。
「よーく見ると」
「キモい」
誰かが言うと、誰かが返していた。売店の前で、ゴブリンの魔石を持った若い男が、それを光にかざしてみせていた。連れが、腹を抱えていた。
(……やめろ。俺の声でやるな)
すずが、のあの袖の横で、小さく肩を震わせていた。
「すず」
「……笑ってないです」
(笑ってるだろ)
「のあさん」
田村さんが、受付台の向こうで手招きした。
笑いをこらえている顔ではなかった。
「小像の買取額、さっき上がったの。ゴブリンが三万円から、四万八千円」
のあは、瞬きをした。
「ハウンドドッグは、十一万。協会が上げたんじゃないのよ。海外の召喚士さんたちが、あっちでもこっちでも買い集めてるんですって。相場のほうが、勝手に上がっていくの」
(……ポケットの中のキモいのが、一日で一万八千円上がった)
のあは、上着の上から、内ポケットを押さえた。
買い集めている。世界中で。召喚魔法を持った、どこかの誰かが。
同じ魔物の、同じ小像を。
(……敵が、増えた)




