第41話 二号の席
重い石の扉の隙間から、白い粉がこぼれていた。
奥で、何かが床を引きずる音がする。一定の間隔で、低く、長く。
「右の奥で、さっき何か動きました。今は、止まってて分からないです」
すずが扉の横で、目を閉じたまま言った。
「覚えておきます」
「石像は」
「分からないです。あれは、動いても、生き物じゃないので」
(そうだった。気配察知が拾うのは、生き物だけだ)
「石像は、私の目で見ます。すずは、生き物のほうを」
「はい」
保管庫型の区画。依頼の広間は、この扉の先だった。
『今日は石像回』
『二号ちゃんの声、今日も入ってる』
『保管庫って、宝箱あるやつ?』
のあは扉の脇の太い柱を指した。
「すずは、ここ。後ろの通路と、広間の入口の両方が見えます。呼ぶまで、柱から出ないでください」
「分かりました」
すずは柱に背をつけ、道具袋を押さえた。金具の音が消えた。
*
広間の中央に、リビングスタチューが立っていた。
二本の角と、のあの胴より太い石の腕。顔は動かない。腰の継ぎ目だけが、ゆっくり回っている。床のあちこちに、拳の形の凹みがあった。
その向こう、奥の壁際に、保管室の扉と、布をかけた容器がいくつも並んでいる。
(胸を正面から撃ったら、抜けた弾が奥の箱まで行く。取りに来たものを、自分で壊してどうする)
写真で見たとおり、腕を振り下ろすときに肩が回る。回った分だけ、胴の側面の継ぎ目が開く。
正面に立たない。立たせるのは、別のものだ。
のあは《隠密》で自分を沈め、石像の正面へ、自分と同じ形の影を歩かせた。
石の顔が、幻へ向いた。
右腕が持ち上がる。のあは、その左側面へ回り込んでいた。
腕が落ちた。幻ごと床を打ち抜き、砕けた石が跳ねる。肩が回りきって、胴の横に、指二本分の隙間が開いた。
のあは短刀を振った。
闇をまとった飛刃が、見えないまま隙間へ吸い込まれた。内側で、硬いものが削れる音がした。
石像が、ゆっくりこちらへ向き直ろうとする。
(浅い。もう一回、振らせる)
二体目の幻を、反対側に立たせようとしたときだった。
「師匠、右の奥! 動きました!」
柱の陰から、すずの声が飛んだ。
のあは右を見た。
奥に積まれた石材の山。何もない。岩と同じ色の――
石材の色が、ずれた。
ハイドリザードが、壁から剥がれるように跳んでいた。石像の陰から、のあの背中へ。小型ではない。一回り大きい。
のあは体を半分ひねった。短刀を、跳んできた前脚の付け根へ下から入れる。トカゲは、のあの肩の横を抜けて床を滑り、動かなくなった。
あと一拍遅かったら、背中だった。
『うわ』
『今の見えなかった』
『弟子が先に言った』
『常連、今日も負けてる』
(扉の前で、聞いてたのに。……石像だけ見てた。止まってる相手は、この子にも分からない。動いた一歩目を、拾ってくれた)
「……助かりました」
声だけ、柱のほうへ投げた。
石像の腕が、また上がっていた。
のあは反対側へ幻を立たせた。石の拳が、それを叩き潰す。肩が回る。さっき削った隙間が、さっきより大きく開いた。
魔銃を抜いた。
闇の魔弾を、その隙間へ一発。着弾した闇を、内側へ浸透させる。
石像の肩が、下がった。振り下ろした腕を床についたまま、胴が傾き、容器のない側の床へ、ゆっくり崩れた。角の一本が折れて、転がって止まった。
奥の容器は、布一枚動いていなかった。
『倒れた』
『箱無事』
『幻に殴らせて横から、が完全に型になってる』
『今日のMVP、二号』
のあが柱の前まで戻ると、すずは言われた場所から、一歩も出ていなかった。短剣の柄に手を添えたまま、目だけが、倒れたトカゲを見ていた。
「後ろの通路は、何も来てないです」
「右の奥、よく拾いました」
「……石像のほう、ずっと見てたので。師匠が」
すずは、それだけ言って黙った。耳の先が赤くなっていた。
*
保管室の容器から、刃物が二本出てきた。
一本は、すずの短剣より長く、厚い刃。もう一本は、写真とよく似た片刃の短剣だった。柄は細く、刃は緩く反っている。鍔の近くに、小さな魔石がはめ込まれていた。
協会の整備窓口で、担当の職員が短いほうを光にかざした。
「蓄力刃ですね。この石に力を溜めて、一撃だけ、刃を補強します。使ったあとは、また溜め直すまで、普通の短剣です」
「溜めるのは、どのくらいかかりますか」
すずが聞いた。
「小さい魔石を一つ使って、半日。整備を入れると、一回あたり千二百円くらい見ておいてください。厚い殻なら何でも切れる、というものじゃありません」
査定は、長い刃が九万二千円。蓄力刃が十六万八千円。
すずの目が、数字の上で止まった。
のあは、蓄力刃の買い取りの欄に名前を書いた。
「これは、指導用の道具です。代金は要りません」
「……でも」
「そのかわり、溜め直しと整備の千二百円は、すずの手取りから出してください。使うなら、それも込みで」
(十六万八千。……回収の見込みは、立ってない。立ってないけど、まあいい)
すずは口を開いて、閉じた。それから、長い刃のほうを見た。
「あっちのほうが、強そうです」
両手で持てば、構えは安定する。届く距離も長い。試用の台で、すずは長い刃を何度か持ち直した。そのたびに、腕が少しずつ下がった。
短いほうに替えると、握り直す回数が減った。片手を空けて前を指し、すぐ構えに戻れる。道具袋にも当たらない。
「こっちのほうが、動きやすいです。でも……」
すずは長い刃を見た。
「師匠が、あそこまで行って、取ってきたのに」
のあは、すずの手の中の短剣を指した。
「使うのは、あなたです」
すずが顔を上げた。
「私が取ってきたから重いほうを選ぶ、なら、それは私の武器です。すずの武器じゃない」
(俺の顔色で選ぶな。……その癖は、俺もまだ抜けてないけどな)
すずは、短剣を鞘へ戻した。腰の、道具袋と触れない位置へ寄せる。
「これを、試したいです」
*
翌日の浅層で、すずは小型のハイドリザードの横へ回った。
正面のうろこには向かわない。前脚が上がる。付け根の、薄いところが開く。
片刃が、低い弧を描いた。鍔の石から、鈍い光が一瞬だけ刃先へ走った。
刃は、うろこの縁を滑らなかった。すずの腕が引く先へ、抜けた。
トカゲの前脚が折れ、頭が床へ落ちた。
すずはその場に残らず、決めてあった左へ下がった。光は、もう消えていた。
「……通りました」
声が、いつもより大きかった。
奥で、石が転がった。ひと回り大きいハイドリザードが、岩の陰から頭を出す。
すずは柄を握り直しかけて、手を止めた。刃は、まだ溜まっていない。
「奥に、もう一体。大きいです。見えてます。溜まってないです」
すずは空けてあった場所まで下がって、振り返った。
「師匠、お願いします」
「はい」
一発で、大きいほうは沈んだ。
(無理をせずに、頼めた。……俺は、それに十六年かかったぞ)
*
仕事部屋の扉を開けると、炊きたての米の匂いがした。
「おかえり。ちょうどできるよ。手、洗ってきて」
千晴が調理台から顔を出した。
机の上に、まさねぇの紙袋が二つ置いてあった。昼間、店の前を通ったら持たされたものだ。袋の端に、まさねぇの太い字で名前が書いてある。
一つは、『のあ』。
もう一つは、『すず(二号)』。
「……二号って、書いてあります」
「まさねぇ、配信見てるので」
「たまにならいい、って言ったのに」
(あの人の辞書に、たまに、はない)
袋の中身は、煮物と鶏そぼろと、きんぴらだった。千晴が大皿に移して、唐揚げの隣に並べた。
机の周りに、椅子が五つあった。
四つは前からのもの。五つ目は、昨日まで折り畳みの丸椅子だった場所に、新しい背もたれつきの椅子が置いてある。
「そこ、すずの席ね。丸椅子じゃ、落ち着かないでしょ」
千晴が言って、茶碗を配った。四つは見慣れた茶碗。五つ目は、白地に小さな鈴の絵がついていた。
すずは、その茶碗を両手で受け取った。しばらく、鈴の絵を見ていた。
「……代金は」
「言うと思った」
千晴と真帆と紗月が、同時に笑った。
すずは、今日は値段を聞き直さなかった。茶碗を置いて、背もたれのある椅子に座った。
「いただきます」
五人分の声が重なった。
すずは豚汁の椀を先に持った。汁だけを少しずつ飲んで、大根と人参を椀の底に寄せていく。
のあは、冷めますよ、と言いかけて、やめた。
(最後に食べるものが残ってるのは、悪くない。冷めても、それはすずの分だ)
「今日の報告、聞かせて」
紗月が言った。すずは椀を置いて、背筋を伸ばした。
「一体目は、蓄力刃で通りました。二体目は、大きくて、溜まってなかったので、師匠に頼みました」
「頼めたんだ」
「……はい」
「それが、一番えらいよ」
紗月は、それだけ言って箸を戻した。すずは返事をしないで、唐揚げを一つ取った。
「ねえ、そのときの立ち位置、描いてみて」
真帆が、自分のノートの端を破って渡した。すずは箸を置かずに、左手で丸を二つと矢印を描いた。
「ここで斬って、ここへ下がりました」
「下がる場所、先に決めてたんだね」
「師匠が、拾う前に帰り道って」
(言ったな。初日に。……覚えてるもんだな)
「はい、二号の分、唐揚げ多めね」
千晴が大皿をすずの前へ寄せた。すずは煮物を取って、そぼろを取って、唐揚げをもう一つ取った。
茶碗が空になったところで、すずの箸が止まった。
茶碗を見て、調理台の炊飯器を見た。
「おかわり、ありますか」
「あるよ」
千晴が、炊飯器の蓋を開けた。
のあも、自分の空の茶碗を持った。すずの茶碗の隣に、並べて差し出す。
「こっちも」
すずが、隣を見た。
同じ高さに、茶碗が二つ並んでいた。見慣れた茶碗と、鈴の絵の茶碗。どちらも、米粒一つ残っていなかった。
すずが、笑った。
声を立てて笑うのを、のあは初めて見た。




