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第39話 弟子になります

 仕事部屋の机に、白い紙が一枚置かれた。


「一行目から、すずが決めていいよ」


 紗月が言って、伝票用のボールペンを添えた。まさねぇの店のものだ。クランを作った日から、なぜかここに住みついている。


 すずは紙を見て、それからのあを見た。道具袋は、椅子の脚に立てかけてある。昨日までは、膝の上から下ろさなかった。


 すずは上着の内ポケットからメモ帳を出して、白い紙の横に開いた。


 明日、一回だけ。お金はかからない。採ったもの、倒したものは、自分の。灯り火にも、入らなくていい。


 その下に、のあ、の二文字。


「前のは、一回だけ、でした」


「はい。だから今日は、続きの分です」


(一回だけ、のはずが、何回目だよ。……数えるのはやめた)


 のあはペンを取って、一行目を書いた。


 指導の代金は、取らない。


「……本当に、取らないんですか」


「取りません。そのかわり、練習の日は先に決めます。変えるときは、お互い連絡」


 二行目。


 自分で採ったものは、全部自分のもの。


「一緒の仕事は」


「行く前に、分け方を決めます。あとから変えません」


 三行目。四行目は、のあが少し考えてから書いた。


 潜る前に行き先を送る。戻ったら一言。


「一人で行く日も、ですか」


「一人の日のほうが、要ります」


(連絡がないと、潜ってるのか、戻れなくなってるのか分からない。……俺はそれを、誰にも送ってこなかったけどな)


 すずは四行目を、指でなぞった。


「五行目は、住むところのこと」


 紗月が言った。


「今のところに、いたいです」


 すずの答えは、今日一番早かった。


「いつかは、自分で部屋を借りたいです。でも、今は、あそこがいいです。管理人さん、あの夜、部屋の前まで一緒に来てくれて」


「なら、今のままで」


 のあが五行目を書いた。


 住む場所は、今のまま。


 すずはその行を見ていた。ペンの跡が乾くまで、目を離さなかった。


「母さんが帰ってこなくなったの、十一のときでした」


 のあの手が、止まった。


 千晴が、湯を注ぐ手を止めた。真帆はノートを閉じた。


「仕事に行ったまま、三日たって、一週間たって。それで、叔母さんのところに行きました」


 すずは紙の角を押さえていた。


「ご飯を食べると、今月いくらかかったって言われて。靴が小さくなったときも。……同じ家の子には、いつまでいるのって聞かれました。私も、知りたかったです」


 すずは少しだけ笑った。笑う場所ではなかった。


「今のところは、そんなこと言わないです。でも、私がもっと困らせたら、同じになるかもしれないって。だから、怪我も、お金が残らないのも、言わなかったんです」


 のあは、ペンを置いた。


(待っても、帰ってこなかった。……それは、俺も同じだ)


 空の冷蔵庫。玄関の外の足音。顔を上げては、また待った部屋。


 けれど、そこから先は違った。


(俺が行った先の施設は、飯に値段をつけなかった。借りだと数えてたのは、俺のほうだけだ。……この子は、数えられる側だった。茶碗一杯ずつ、声に出して)


 同じだと言えば、すずの話を自分の話にしてしまう。


「……私も、待っていたことがあります。帰ってこない人を」


 すずが顔を上げた。


「でも、そのあとの家のことは知りません。だから、分かるとは言いません」


 のあは五行目を指した。


「住む場所は、困らせても変わりません。あの夜、管理人さんがそう言いました。こっちも同じです」


 すずは紙を見た。


 しばらくして、手を伸ばした。ペンを取り、六行目に、小さな字で書いた。


 嫌なときは、断っていい?


「……これ、書いてもいいですか」


「いいです」


 答えたのは、のあだけではなかった。紗月と、真帆と、千晴の声が重なった。


「うちの紙にも、同じ行があるから」


 千晴が、壁に貼ったクランの約束書きを指さした。四行目。嫌な依頼は、断っていい。


 すずはその紙と、自分の六行目を見比べた。


 それから、椅子の上で背筋を伸ばした。


「弟子になります」


「はい。引き受けます」


 のあは答えて、少しだけ背中を伸ばした。


(真帆さんのときは、気づいたら師事の届けが出てた。今度は、自分で言ったな。引き受けるって)


 *


 届出は、その日のうちに相原の窓口で済んだ。久世から借りていた採取の工具も、目録どおりに返した。


 相原は受理の印を押してから、眼鏡を押し上げた。


「お二人目ですね」


(数えないでください)


 協会の廊下を戻りながら、すずが、道具袋の紐を握り直した。


「あの。呼び方、変えてもいいですか。教わるときだけ」


「どうぞ」


「……師匠」


 のあが振り向いた。


 隣で、千晴も振り向いていた。


「……千晴さんじゃないです」


「分かってるよ。分かってるけど、響きがかっこよくて、つい」


 千晴は自分の胸に手を当てていた。


「師匠。いいなあ。私も呼ばれたい」


「私は、先生って書いてたのに」


 真帆が、ノートの表紙を見下ろした。『のあ先生』の文字の横に、すずが不思議そうに目をやる。


(先生と師匠。……肩書きが増えていく。名刺作るぞ、そのうち)


「あの」


 すずが、廊下の真ん中で止まった。


「灯り火にも、入れますか。見習いで、いいので」


 紗月が、鞄から登録の用紙を出した。持ってきていたらしい。


「入るかどうかは、すずが決めていいよ。入っても、財布は別。一人の仕事も続けていい」


「入りたいです」


 見習いの欄に、朝倉すずの名前が載った。


(五人目か。一人でいいって言ってたの、どこの誰だよ)


 すずは用紙の控えを受け取ると、メモ帳の新しい頁に挟んだ。挟む前に、頁の一番上へ小さく何か書いていた。


 のあの位置からは、最初の一文字だけが見えた。


 師。


 *


 翌日、すずは見習いとして初めて、灯り火と浅層の採取に出た。


 すずは紗月の後ろを歩き、袋を下ろす前に、必ず一度帰り道を振り返った。休憩の場所を決めるときは、自分の意見を言わずに紗月の顔を見た。一度だけ、真帆より先に岩陰へ顔を向けて、何も言わずに戻した。


(今の、言っていいんだぞ。……次の練習で、そこからだな)


 帰還後の休憩所で、千晴が短い配信をつけた。


「はい、灯り火です。今日は採取の帰りでーす。あとね、新しい子がいます。見習いのすずちゃん。顔は映さないでって言われてるので、手だけ」


 画面の端に、すずの手が映った。借りた工具を、一本ずつ布で拭いている。


『新人?』


『灯り火五人目』


『手がちっちゃい』


『隣の黒いのは』


『のあちゃんじゃん』


「弟子です。私の」


 のあが言うと、コメントが一瞬止まった。


『弟子!?』


『あの野良猫が、弟子を取った』


『真帆ちゃんの先生だけじゃなかったのか』


『野良猫がボス猫になってる』


「……なってません」


『ボス猫』


『ボス猫だ』


『群れを作ってる』


(群れじゃない。クランだ。あと猫をやめろ)


【暗闇】のあ(狙撃)の配信を語るスレ その44


5:名無しの探索者

弟子取ったってマジ?


8:名無しの探索者

>>5

灯り火の配信で本人が言ってた

「弟子です。私の」って


11:名無しの探索者

所有格つけるの独占欲強くて好き


14:名無しの探索者

弟子の手、拭き方が丁寧なんだよな

師匠の手入れ配信見て育ったのかってくらい


17:名無しの探索者

>>14

まだ二日目だろ


 配信を閉じると、千晴が冷たい飲み物を二本持ってきた。


「はい、お疲れさま」


 一本を、すずの前に置く。


 すずは手を出さなかった。ボトルを見て、千晴を見た。


「これ、いくらですか」


 のあの手が、自分のボトルの上で止まった。


 千晴が、吹き出した。


「二号も、同じ顔するね」


「……二号?」


「のあちゃんも最初、同じ顔したの。受け取る前に、こうやって値段を気にする顔。野良猫がもう一匹来たみたいで」


 千晴は慌てて手を振った。


「あ、ごめん。嫌なら呼ばないよ。すずって呼ぶから」


「一号の許可は、取ってないですよね」


 のあが言うと、千晴は目をそらした。


「……一号は、もう定着してるから」


(してない。俺は認めてない)


 すずはボトルを見ていた。のあのボトルと、自分のボトル。同じ種類が、机の上に二本並んでいる。


 すずは両手でボトルを取った。


「……たまになら、いいです」

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