↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/85

第37話 昔の私

 二回目の朝、すずのメモ帳に、矢印が増えていた。


 採取場所の図の横に、小さな矢印が一本ずつ。どこへ下がるか、先に書いてある。


 三回目の帰り、すずの手当ての跡は一つも増えなかった。


 四回目は、のあが時計を見る前に、すずのほうから言った。


「今日は、戻ります」


(……言われる前に言ったな)


 それから、カフェ・マーサの定食が、決まりになった。


 すずは毎回、九百円をテーブルの端に揃えて置いた。まさねぇは毎回、「はい、確かに」と受け取った。作り置きの紙袋も毎回出てきて、すずは毎回、一度だけ固まってから受け取った。


 五回目の豚汁で、すずは具を残していた。


 汁だけを先に飲んで、椀の底に、大根と人参と豚肉を寄せている。


「冷めますよ」


「……最後に、食べたいので」


 すずは、椀を両手で包んだまま言った。


「それと、のあさん」


「はい」


「朝倉じゃなくて、すずで、いいです。朝倉って、あんまり呼ばれないので」


 のあは、箸を止めた。


(……名前で呼べ、って言われる側になったのか)


「……すず」


「はい」


 すずは、それだけ返事をして、残した大根を口に入れた。


 *


 六回目の帰り、北管理区の出口に、男が一人立っていた。


 四十代の半ばくらい。白髪まじりの短い髪に、色の褪せたベージュのジャンパー。背を少し丸めて、出てくる探索者一人ひとりに、軽く会釈をしていた。


 男が、すずを見つけて手を上げた。


「すずちゃん、お疲れさま。今日も無事でよかった」


 すずの足が、止まった。


 それから、いつもより少しだけ早く、男の前まで歩いた。窓口に出さなかったほうの袋を、両手で差し出す。


「今日の分、です」


「はい、預かるね。明細は、いつもどおり週末に」


 男は袋を手のひらで量って、小さな手帳に何か書きつけた。中身を数えた様子はなかった。


 それから、のあのほうを向いた。


「のあさん、ですよね。配信、拝見してますよ。すずちゃんが、お世話になってるそうで」


 腰の低い、柔らかい声だった。


 すずが、この男に話したのだろうか。それとも、どこかで見ていたのか。


「久世と申します。新人さんのお手伝いを、細々と」


 差し出された名刺には、『久世サポート 代表 久世則明』とあった。のあは、名刺の端をつまんで受け取った。


「すずちゃんの頑張りは、私が一番よく知ってますから。ね」


 久世の手が、すずの肩の上で止まった。


 触れてはいなかった。けれど、すずの肩は、その手の下で固くなった。


「じゃあ、また週末に」


 久世は、もう一度会釈をして、駅のほうへ歩いていった。


(笑ってたな。ずっと。……目は、袋から離れなかったけど)


 *


「さっきの人は」


 カフェ・マーサの窓際で、のあは豚汁の椀を置いてから聞いた。反対側の窓際では、ミレイが一人で画面を見ていた。


「久世さんです。登録した日に、窓口の前で立ってたら、声かけてくれて」


 すずは、椀を両手で包んだ。


「何も分からなかったので。短剣も、安いのを探してくれて。採取の道具も、貸してくれて。窓口より、高く買ってくれるところも」


「高く?」


「一個、八百円です。窓口だと、七百円なので」


 すずは、少しだけ誇らしそうに言った。


(……八百円、ね)


「明細、見せてもらってもいいですか。見せてもいい分だけで」


 すずは、椀を置いた。


 しばらく黙ってから、鞄の内ポケットを開けた。紙の束を出して、一枚ずつめくる。何枚かを自分の膝の上に戻して、残りをのあの前に置いた。


 久世サポートの、買取明細だった。


 白い鉱石、十二個。九千六百円。


 講習費、千五百円。搬出費、千二百円。工具利用料、九百円。


 お支払い額、六千円。


 のあは、次の一枚をめくった。その次も。


 どの紙にも、同じ三つが並んでいた。


「講習って、受けました?」


「受けてないです。呼ばれたこと、ないので」


「搬出は。どこかへ運んでもらった?」


「自分で、出口まで持っていきます。さっきみたいに」


 のあは、紙の枚数を数えた。十八枚。


 講習費が、合わせて二万七千円。搬出費が、二万千六百円。


(単価を高く見せて、よく分からない手数料で抜く。窓口で売れば、十二個で八千四百円。こっちで売ると、六千円)


 前の業界で、さんざん見た手口だった。表に大きな数字を置いて、小さな字の欄で取り返す。


 すずは、単価の八百円だけを見ていた。


「……助けてもらったんです」


 すずが言った。


 のあが何か言う前に、先に言った。


「何も分からなかったとき、声かけてくれたの、久世さんだけでした」


 のあは、紙から顔を上げた。


 すずの手が、椀の縁を握っていた。白くなるほど。


(昔の俺だ)


 十歳のとき、のあは施設の職員に言った。稼いでるのは俺だ、と。誰の世話にもなってない、と。


 言えたのは、紙が読めたからだった。三十二年分の、前の人生があったからだ。明細の小さな字も、契約の穴も、読めた。


 すずには、それがない。


 一人で稼ぐと決めたところだけが、同じだった。


「助かったのは、本当だと思います。それは、そのままでいいです」


 のあは、講習費の欄を指で押さえた。


「でも、このお金が何の分かは、聞いていいと思います。助けてもらったことと、ずっと払い続けることは、別なので」


 すずは、答えなかった。


 窓際の反対側で、グラスの置かれる音がした。


「久世サポート?」


 ミレイだった。昼のランチに手もつけずに、画面を見ていたはずの顔が、こちらを向いていた。


「その名前、前にも聞いたわ。登録したての若い子ばっかりに、窓口の前で声かけるの。単価を高めに言って、よく分からない費用を差し引く。……同じ話、これで三人目よ」


 すずの肩が、跳ねた。


「あんたが悪いんじゃないわよ」


 ミレイは、声の調子を変えなかった。


「こういうのは、最初に分からないように作ってあるの。分かったら、仕事にならないもの」


 すずは、明細の束を見下ろしていた。


「……のあさんは、最初から、分かってたんですか。こういうの」


「私は」


 のあは、少し考えた。


「本で、読みました」


(前の人生っていう、分厚い本でな)


 *


 すずは、自分の端末で、久世へ送る文を打った。


 のあは、隣で見ているだけだった。すずが迷ったところで、一つだけ言葉を足した。


『講習費と搬出費が、何の分か教えてください。講習を受けた覚えがないので』


 送信を押したすずの指が、少し震えていた。


 返事は、五分もしないうちに来た。


『細かいことは、会って話しましょう。すずちゃんの頑張りは、私が一番よく知ってますから。今夜、少し時間あるかな?』


 すずが、のあを見た。


「……夜は」


「協会の相談スペースなら、職員さんが同席できます」


 のあは相原に連絡して、明日の午後二時に、北管理区の相談スペースを押さえてもらった。


 すずは、その時刻を久世へ送った。


『分かりました。すずちゃんがそうしたいなら』


 すずは、その一行を長いこと見ていた。


「のあさん。……一緒に、いてもらえますか」


「行きます」


 すずは、うなずいた。


 帰り際、まさねぇの紙袋を受け取りながら、すずは小さく言った。


「共同住宅なんです。支援の人たちの。四人で住んでて。……前は、親戚の家にいました」


 それ以上は、言わなかった。


 のあも、聞かなかった。


 *


 その夜、のあは家で、手入れの配信をつけた。


『今日も手入れ音』


『最近、昼の配信少ないね』


『S、忙しいのかな』


「忙しいです」


『即答』


『手入れの音、いつもより速くない?』


(速いか。……速いな)


 布で銃身を拭いながら、のあは昼の明細を思い出していた。十八枚。四万八千六百円。


 端末が、震えた。


 すずからだった。


『家の前に、久世さんがいます』


 布を持つ手が、止まった。


 もう一通、続いた。


『明日の前に、二人で話そうって』


 さらに、もう一通。


『親戚のおうちに戻ることになったら、大変だよねって。言われました』


 のあは、魔銃を闇へしまった。


「今日は、ここまでです」


『え』


『急にどうした』


 配信を切った。


 上着を取る。靴に足を入れながら、返信を打った。


『鍵をかけて、中にいて。出なくていい』


『場所、送って』


 玄関の扉を開けたところで、のあは気づいた。


 すずの住んでいる場所を、のあは知らなかった。一度も、聞いたことがなかった。


 久世は、知っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。