第31話 Sになっている
パンをかじりながら、のあは昨夜の通知を開いた。
探索者登録情報。名前、のあ。年齢、十六。所属、クラン灯り火(代表)。
ランク、S。
「……は?」
パンが、口から皿へ落ちた。
一度閉じて、もう一度開いた。Sだった。端末を再起動して、開いた。Sだった。
(待て。落ち着け。昨日の俺は、生姜焼きを食ってただけだぞ)
二枚目のパンが、トースターの中で焦げていた。
*
「のあちゃん! S! おめでとう!」
管理区の窓口に入った途端、田村さんの声が待合じゅうに響いた。
「……声が、大きいです」
「大きくもなるわよ。この窓口からSが出たの、何年ぶりだと思ってるの」
待合のあちこちで、顔がこちらを向いた。
「S? あの子が?」
「十六だろ。十六でS?」
「クノイチの子だよ。ほら、あの猫の」
「猫じゃなくて、クノイチだって」
(どっちでもない。あと猫を混ぜるな)
入口のほうで、揃いの装備の四人組が固まっていた。見覚えがある。A昇格の日に、ここで講習を受けていた新人たちだ。装備は、少しだけ使い込まれていた。
「あの人、この前Aって言われてた人だよな」
「今、Sって聞こえた」
「……基準にするなって、言われたやつだ」
のあは振り向かなかった。
(振り向いたら負けだ。前にも同じこと思ったな)
*
「昇格、おめでとうございます」
面談室で、相原が細い眼鏡を押し上げた。机の上には、分厚い記録の束が一組だけ置いてあった。
「……上げてくださいとは、言ってないです」
「はい。Aの方は、要件がそろった時点で、規定により審査に回ります。のあさんが『いりません』とおっしゃったのは、ちゃんと覚えていますよ」
相原は、束の一番上をめくった。
戦闘評価の欄は、A昇格の日と同じく、端まで埋まっていた。
「戦闘は、以前からS相当でした。足りなかったのは二つ。弟子を育てた実績と、組織で継続して活動した実績」
あの日、隣の欄は真っ白だった。
今は、埋まっていた。
「一つ目。瀬川真帆さんの指導記録です」
真帆のノートを写したものだった。練習の図と、実戦での立ち位置。最初は仲間が動いてから場所を探していた真帆が、途中から先に場所を選んでいる。一番新しいのは、ゴーレムの日の分かれ道。岩を削った日と同じ角度で、今度はアントを二体止めていた。
「正式な届出は最近ですが、指導はずっと前から続いていますね。瀬川さんの記録が、とても丁寧でした」
(あのノート、表紙以外もちゃんと書いてたんだな)
「二つ目。組織での活動です」
相原が、ヒュージセンチピードの現場の図を開いた。のあが大物を抑え、三人が作業者を運んだ日だ。
「のあさんが戦闘に集中し、ほかの方が搬送と安全を担った。任せるところは任せきって、全員が帰っています」
次の頁は、ゴンちゃんたちとの合同配信だった。前にゴンちゃん、斥候にミレイ、狙撃にのあ。記録の隅には、画面に映らなかったまさねぇの名前も載っていた。
「ほかのパーティとの共同活動。役割を分けて、一度も連携が崩れていません」
最後に、クランの登録と、昨日のゴーレム。
「代表として依頼を受け、分担を決めて、設備を守って終えた。依頼主さんの報告書も届いています」
のあは、束を最後まで見た。
弟子を取ったつもりはなかった。真帆に聞かれたから、答えただけだ。組織で動いたつもりもなかった。三人と潜りたかったから、潜っただけだ。まさねぇたちの看板を借りたのは、寄ってくる変なのを減らすためだった。
(Sのために、やったことが一個もない)
「実績で足りなかったの、そこだけでしたから」
相原は、少しだけ笑った。
「のあさんは、Sになろうとしてなったわけではありません。ただ、生活を選んでいったら、要件のほうが後からついてきました。そういう方は、珍しいです」
「……クランを作れば、誰でも上がるわけじゃないんですね」
「ええ。紙だけ作っても、中身がなければ通りません」
(紙だけ作っても、か。前の職場の上司に聞かせてやりたい)
*
「ここからは、S以上の方にだけお伝えする内容です」
相原は、束を閉じて、別の薄い資料を出した。表紙に、協会の印が二つ押してある。
「灯り火の皆さんや、配信にはそのまま出さないでください」
「はい」
「現在、世界には、まだ誰もクリアしていないダンジョンが十箇所あります。そのうち、日本にあるのは二箇所。東京と、北海道です」
のあは、資料の地図を見た。
赤い印が、二つだけ打ってあった。
(日本に、二つ。……行こうと思えば、行ける場所に)
腹の奥で、前の人生の男が、小さく身を起こした。地図を広げて、まだ誰も登っていない尾根を探していた、あの休日の感覚だった。
「詳しい資料は、必要なときに担当へつなぎます。今すぐ、というものではありません」
「……はい」
(今すぐじゃない。分かってる。分かってるけどな)
「それと、もう一つ」
相原が、依頼票を一枚、机に置いた。
「S昇格の通知が出た今朝、最初に届いた指名依頼です」
北管理区、採掘区画の奥。住みついたアースドラゴン一体の討伐。輸送路へ出てくる前に、奥の空洞で倒すこと。
報酬の欄に、数字があった。
四百二十万円。
のあは、ゼロを数えた。一、二、三、四、五。
(……一個多い。あの日と同じだ。いや、あの日より多い)
A昇格の日、相原が見せた一覧を思い出した。一件三百八十万円。つい、上から二回読み直した数字。
今度のは、見るだけの一覧ではなかった。のあの名前が、宛先に入っていた。
「受けます」
「内容を、もう一度読んでからでいいですよ」
「読みました。二回」
相原が、眼鏡の奥で笑った。
「では、灯り火の皆さんと日程を」
「これは一人で行きます。回収だけ、紗月さんに相談します」
「はい。そう書いておきます」
相原の手元で、ペンが動いた。今度は、のあも止めなかった。
*
その夜、家で装備の手入れを映すだけの配信をつけた。
『S!!!』
『おめでとう』
『協会の公開ランク表、更新されてた』
『十六歳でS、えぐい』
『野良猫、頂点に立つ』
『あの暗い画面の人が、S』
『手入れ音もS級』
「手入れ音は、関係ないです」
『喋った』
『照れてる』
『声が嬉しそう』
(声で分かるのかよ。……分かるか)
布が、銃身を擦る音だけが流れた。
【暗闇】のあ(狙撃)の配信を語るスレ その41
3:名無しの探索者
S昇格おめでとうスレ
7:名無しの探索者
理由のとこ、協会の発表だと「育成実績および組織活動実績の確認による」だって
真帆ちゃんの指導と、灯り火のクランか
10:名無しの探索者
オネエ軍団との合同配信も入ってるらしいぞ
あれも共同活動扱い
13:名無しの探索者
>>10
看板として見せつけてたやつが、そのまま実績になってるの草
16:名無しの探索者
寄生とか言われてた灯り火が、S昇格の理由の半分なんだよな
19:名無しの探索者
>>16
これ
22:名無しの探索者
で、クノイチ、最初のS指名なに受けるんだろ
25:名無しの探索者
今日の手入れ、いつもより丁寧じゃない?
大物の前の手入れの音だろこれ
(なんで分かるんだよ)
*
配信を閉じると、通知が三つ並んでいた。
『おめでとう! お祝いしよう! どこがいい?』
千晴だった。そのすぐ下に、真帆。
『ノートのこと、相原さんから聞いた。書いておいてよかった』
紗月からは、一行だけ。
『おめでとう。代表』
のあは、三つの通知を順に見た。
(……代表、は余計だ)
返事を打とうとしたところで、端末が鳴った。まさねぇからの着信だった。
「はい」
『聞いたわよ、S』
「……早いですね」
『協会の発表、見たのよ。あたしの端末、Sの知り合いから朝から鳴りっぱなし。「あの子、あんたのとこの子でしょ」って』
「まさねぇのとこの子では、ないです」
『ご飯食べさせてる数なら、あたしが一番よ』
まさねぇは、電話の向こうで鼻を鳴らした。
『それより、あんた。灯り火の子たちと、どっかでお祝いしようとしてるでしょ』
「今、千晴さんから来ました」
『でしょうね。やめときなさい、どっかの店なんか』
電話の向こうで、グラスを置く音がした。
『お祝い、うちでやるわよ。貸切で』




